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厨房(中学生)だったヨハネ 若き日の“記憶”は輝きを増す

中学生の年齢の時、ヨハネという少年は、バプテスマのヨハネに弟子入りした。

学校制度の整った現在では考えられないことだが、日本でも昔、また動乱の時代、そういう歳の若い人が、生きる道を求め、「真理」を求め、自分が「この人だ」と思う師匠についていくことはあった。

ある日、師匠のBーヨハネは、一人の人物を指し、「見よ、神の子羊」と言った。

心が動揺する厨房ヨハネ。

師匠は、「この人に付いていっていい」「いや、ついていけ」と目で促した。

イエスの弟子となった。12弟子の一員となった。

イエスのもとで、イエスのさまざまな言葉を聞き、様々な経験をした。

主イエスの十字架「刑」の際は、歳が若かったので、十字架の足元近くまで従った女性弟子たちの「子ども」というテイで、その「今わの際」までおそば近くに従った。

イエスの死により生きる目的を失った弟子たち、しかし身をよせあっていた弟子たち、そして復活されたイエス様! 昇天をも目撃した弟子たち、その一員ヨハネ。

それからペンテコステを経験し、展開していくナザレのイエスの継続する弟子たちのミッション。それは、異邦人をも巻き込んで、キリスト教会の誕生となり、さらに発展していく。

11弟子及びパウロらは、迫害を受ける中心人物となり、ほとんどが年若くで殉教した。

ヨハネも迫害されたが、長生きすることとなった。

歳を取れば取るほど、厨房だった若き日の記憶は、みずみずしく心によみがえった。

それらの若き日の出来事や言葉の持っている深い「意味」は、年老いてさらに洞察力が深まる中、日々、心中に深く整理されていった。

その言葉を信仰の仲間に分かち合っていったヨハネ。多くの質問も受けただろう、イエスの目撃者、体験者として。その交流の中で自分の信仰への気付きがさらに深められていったであろうヨハネ。

先に世を去った尊敬する友らのことにも思いを致すヨハネ。

そして、その言葉を、自分がこの世を去った後もきちんと遺しておく責任を感じるに至ったヨハネであったろう。

彼は筆を執った。

「はじめに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった」

神ご自身が受肉して、全き人間として誕生し、その生きること全てが、人類への「言葉」となってくださったイエス。

そのイエスのことを書き綴れば、おのずからそのような巻頭句となった。

私たちも、厨房(中学生)の時にヨハネは真理を求め、イエスに従ったことを忘れないようにしよう。

自分が歳若いあなたも、そして単なる厨房に過ぎない若い人々を見守るあなたも

日本のキリスト教の現代史を、その「当事者」の立場で書き残していこう、という私に対するインスピレーションでもある

こちらルカのことを記しています▼


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