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「この人のことは私がやる」と、聖霊はお語りになった(暫定1

暫定1回目の題は「この人のことは私がやる」と、聖霊はお語りになったとつけました。

すなわち、これが今、私の一番シェアーしたいことです。
いきなりクライマックスの、私にとって一番いいところに行きますw。

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2017年
腎臓も痛め、透析をし、当初はメンタルは元気だったのに、あることをきっかけに欝に陥ってしまって、もがくようにして父なる神さまに祈り始めて何か月か経ったころ、かねてから、ネットで情報交換をして、信仰のアドバイスを互いにしていた広島のYさんからFBメッセージが来て、「今度、アフリカから、ガジマという名前のすごい聖霊の油注ぎの伝道者が来ますから、東大阪の教会での集会に一緒に行きませんか」というお誘いだった。

私は、カリスマ派の信仰スタイルにはもう違和感がなくなっていたし、あこがれもあり、もしかしたらここに突破口があるかもと思って、重い足をひきずって、電車で1時間半ほどのその教会にたどり着いた。

開会前から「うぉーーーー」と大声を出して、そのように祈っている人もいるし、当然、異言の祈りをあちこちでしている。

そういう状況にはこれまでだんだん慣れてきたし、それでも「ここはカリスマ派のなかでも特に激しい部類だな。さすがディープ大阪」というような感想を頭に抱きながら集会は始まった。

どんな集会だったかとか思いだし、書き出すと、細かく正確に描写しようとする私の性(さが)だと、それは面倒くさく、いまそれを言いたい点ではないので割愛する。

集会が終わって、駅前の喫茶店でYさんと振り返りのミーティングをした。

「どうでしたか。ものすごい聖霊の嵐が吹き荒れるような集会でした(それが私の体験でした)が、三浦さんはどうでしたか」とYさんは問う。

私は、正直にありのままに「何も感じませんでした」と答えた。

それからしばらく会話が続いて、Yさんが言いにくそうに、「実は・・・」と切り出した。

「私は、何か聖霊様の導きがあったらお助けしようと三浦さんの隣に座っていたんですが・・・聖霊様が、『この人のことは私がやる』とおっしゃったんです。
そして、鳩時計がポッポと出てきたら、後はひっこんで、扉がパタッと閉まって、もう出てこないでしょう?
そのように聖霊様は、その後一切何もお語りにならないので、申し訳ないんですが何もお助けできなかったんです」

私はその言葉を聞いて、半分は何か見放されたように気持ちになった。

しかし何%かは、「この人のことは私がやる」というのだから、神さまが「何か」してくれるんだろう、という期待感と好奇心がわいた。

そしてその後、正に、私の性格というか気質というか、なかなか「こういうやり方(例えば異言で祈るとか)がいいですよ」と多くの人が言っていても、そこに「はまれない」自分にふさわしい、自分にとって心底納得できる経験をすることになる。

聖霊の働きって、人によって、その人に合わせて、いろんな手段をとってくださるのだな、というのが、この件に関する深い感慨であり、私にとって最も有り難い点である。
こんなややこしい性格の人間にも「合う」方法神さまは導いてくださるのだから。

今日はここまで。


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