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10月18日、新宿にて

季節外れのアイスコーヒーの冷たさに、ちいさく肩を奮わせながら、窓から見える大塚家具のビルをただぼんやりと眺めていた。新宿には一足早い冬を思わせるビル風が吹き抜けている。まるで早く大人にならざるを得ない子供のように、秋が倍速で通り過ぎてしまうような気がした。

月曜日の新宿を行き交う人々の表情はさまざまで、険しかったり、憂鬱そうだったり、人によってはイキイキしていたりする。その様をカフェの2階のカウンター席から、こうして私服でぼんやりと眺めていると、社会における自分の立ち位置がどうも分からなくなってきた。先週、新卒から1年半続けた仕事を辞めて、今は有給の消化中だ。


「もう一度真剣に考えてみたのですが、やはりやめようと思います」僕のこの一言から始まった退職の交渉は、びっくりするほど呆気なく承諾された。なんなら明日から有給に入ってもいい、と言われて、いかに社内で自分の存在が小さかったのか思い知ると同時に、会社ってこんなにあっさりと辞められるものなんだ、と拍子抜けもした。

それから数日後、退職願を提出しに出社した時、同じ部署の同期と少しだけ話をした。「寂しくなるなあ」と言う彼の声は、本当に僕の退職を残念がっている声だった。その言葉を聞いた時、ずっと誰かにこう言って欲しかったのだと気づいた。「お世話になりました」や「お疲れ様です」と部長や先輩は言ってくれたけど、寂しくなるとは言われなかった。本当に聞きたかったのは、自分がいなくなることに対する、誰かの率直な感情だった。

僕は彼のことを、仕事はできるけど何を考えているか分からない人だと思っていた。しかしこうして向かい合うと、彼の表情は実によく変化した。これまで目を逸らしていたのは僕の方だ。こいつはこんな奴だと決めつけて、勝手に自己完結して、彼を遠ざけていたのは僕なのだ。そして今回も、何も相談せずに一人で抱え込んで、一人で決断して、ひっそりといなくなろうとしている。

あ、多分、またやってしまった。「腹の底では嫌われているかもしれない」というネガティブで独りよがりな想像に引っ張られて、自分の退職を寂しがる人がいるなんて思いもしなかった。たとえそのスペースは小さくても、自分は誰かの心の片隅に存在しているのだ。


16時45分を少し過ぎた頃、街に薄闇が漂い始め、目の前の街頭にぽっとクリーム色の明かりが灯った。薄明と呼ぶにはいささか眩しいその光を数秒じっくりと丁寧に見つめるも、次第にきつくなって目を逸らした。瞼の裏を泳ぐ四角い光の跡は、あるとき芽生えた信念や誓いのように、まばたきをするたびに薄くなっていく。けど、忘れたくない、忘れるものか。

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