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日々の体験から自分の罪に悟らされることに感謝

ここ最近、日々の暮らしの中で自分の罪が顕になることが多々ありました。

昨日歯医者に行きました。

私が通っている歯医者さんで、
受付の方が診察券をいつも片手で渡してきます。

たったそれだけなんですが、
されるたびに嫌な気持ちがしてしまう自分がいます。

昨日は受付した時にその渡し方をされて、
ん?なんで片手で渡すの?嫌な感じ!

と思ってしまった自分がいたので、

うわぁ。本当にこんなことに気にしてしまうのはどんだけ心が狭いんだろう。

と自分にがっかりしました。
とりあえずああ、神様、
私はなんて心の小さい人間なんだろうと。

これで受付のおじさんに対してネガティヴな気持ちを持ってしまいました、とお伝えしました。


そして、診察が終わって、帰りのとき、
また片手で診察券を返されました。


え、やだ、

とまた思ってしまいました。

本当にそんなことを思ってしまう自分が本当にやだ、という感じです。


帰りながら、
なんで片手で渡すの?すごいやだ。。
VS
なんでこんなことにいちいち気にしてるの私、こんな自分がやだ。

が心で戦っています。


電車で福音の本を読みながら、
罪の勝利へは、
というところを読んでいる自分が、
とても汚れていることに心が痛いのです。

そして帰宅後に、祈祷会に参加して教会の人にその出来事をお伝えしました。


私は真の福音を体験していないのではないか、
なんで私はいまだに罪がこびりついているのか、

そして昨日気付かされたことがあります。

私は以前の記事で、試練と困難の大切さを書きました。(メモ)

試練や困難があるからこそ、弱っているときこそ、神様の品性を身につける鍛錬である、ということでした。


なので試練とか困難というのは、何か大きな病気とか、出来事とか、経済的困難とか、そういったことのような気がしていたのだと思います。


ですが、私たち真のクリスチャンを目指す人たちにとって、試練や困難はそういった大きな出来事だけではなく、日々の暮らしの小さなところからあるんだなぁということを教会の方からヒントを得ることができました。

なるほど、
そうだなぁと思いました。


日々いろいろな出来事の中から、神様が自分の抱えている罪を丁寧に教えてくださっている、

ということを改めてわかって、
ああ。本当に感謝だなぁと。

ここ最近、そんな罪深い自分を知らされては、落ち込んで、相手に対しても嫌な気持ちのままでしたが、

神様が私により、より深く神様の力を求めるようにしてくださっているんですねえ。。愛です。


自分の罪を見るのではなく、ひたすら神様の品性を見て、真似て、実践していくしかないのでした。

イエス様が人生のロールモデルであるクリスチャンの特権を噛み締めました。

またこと片手で物を渡すことに関して、ちょっと敏感になってしまった経緯も思い出しました。

18か19歳の時に大学入学までの間、
地元で色々アルバイトをしていました。


その一つ、スイミングスクールの受付のバイトをしていました。

子供達やお年寄り、いろんな年齢層の人がいます。

よくある受付のように、挨拶して、ロッカーの鍵を渡して、などの仕事があります。

仕事開始当初、私はたまにロッカーの鍵を片手でお客さんにお渡ししていることがありました。

先輩の社員さんが、
片手で渡すと失礼だよ。

と何回も注意されました。


はい、この出来事が結構ずっと心に残っています。

アルバイトの経験は、今の私にとってもとてもいい経験だったなということがたくさんあります。

社会の基本的なマナーとか、お客さんに対して気持ちよく過ごしてもらう配慮とか、
いろんな人がいる中でのコミュニケーションとか、

話が逸れましたが、
とにかく本当に神様が日々私に愛を注いでくれて、いつも恵みを与えくださっていることに感謝です。

どんな人にでも、どんな出来事にあっても、
いつも穏やかでニコニコ、優しく、柔和な態度で過ごせますように。
神様のお力を貸してください。

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