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自利と利他 ①

😑「今日も更新ですか? ちょっと、おっさん、ここのところにわかに元気ですねぇ?

あ、もしかして、無事更年期を乗り越えたとか?」

😎「馬鹿を言え。別に、特に何も変わっていないぞ。お前が、ようやくお前の仕事に向き合い始めただけ。僕はいつもここにいて、常にお前に語りかけているのだから」

😅「あーーー、そうですか………。それはどうもありがとうございます……。(ボソッ)亭主元気で留守がい」

😎「馬鹿を言え」

😅「あ、いや、なんでもないです。。。

にしても、自利と利他ですか。難しい話題ですね。書けるかしらね……」

😎「まぁ、アウトプットも練習しなければうまくならないからな。それから、アウトプットすればするほど、また新たなものが入ってくるわけだからな。」

😔「やってみるかぁ……」

😎「さて。題して、自利と利他。まぁ、どこに着地するか分からない話題ではあるが、まず、大前提の話を先にしておこうか」

🙂「大前提というと?」

😎「ひとには、上も下もないということだ。」

☺️「と、同時に、この世の人やモノすべてが、先生になる。」

😎「そうだ。すべてが師弟関係となる。」

😌「あらためて言葉にすると、難しい概念ね。これもまた長々と記事が書けそう。」

😎「だな。ま、今日のところは置いておこうか」

😊「はい。では、自利と利他。ですね。さて、どこから話しましょうか」

😎「まず、お前の心構えについて。だ。」

🙄「え?わたし?」

😎「そうだ。伝えようとする心は大切だ。それなくしては、物は語れない。

しかし、わかりあえないことに拘泥するな。
お前が「伝えたい」と思ったことが伝わらないとしても、決してそれを問題とするな。

人はそれぞれ、持っている波長が異なる。
しかし、魂は時空を超えた無限の存在であることを、心の底ではみな知っている。

魂に、上も下もない。
あとも先もない。
先んじているということも、
遅れを取っているということもない。

いつも いま だというのに、どうして先んじようか。どうして遅れようか。」

🥺「はい。おっしゃる通りです。

この世に生きる人々は、みな悟っている。と過去の記事に書きましたが、言いたかったのはまさに、そのことです。

しかし、スピリチュアルについて書こうとすると、やむなく次元を行ったり来たりしますので、言葉を通した時の混乱は、ある程度生じてしまうと思っています。

たとえば、ワンネス視点から見れば、前世なんてものはありません。
あなたの前世は、わたしの前世です。
あなたはわたし。わたしはあなたです。

しかし、フォーカスする側面が異なると、「わたし」の前世というものは、確かに存在しているわけです。

もっと端的に言えば、

生き方とは、時間軸ありきの理解です。

しかし、あり方とは、時を超えた理解です。

わたしたちは人間であって、時間の中に、朽ちる肉体の中に存在している以上、
このあたりのことが、どうしても言葉の中に混在します。

そして、無限の存在を、有限の言葉で語ろうとする以上、表現が有限の範疇にとどまってしまうのも、とても歯がゆいです。

でも、それは仕方のないことであり、結局は、じぶん自身の探求と理解こそが一番である、という結論に帰結します。

自分自身を、自分の人生を追求することが、結局は一番楽しいのです。

わたしの言葉なんて、真理でもなんでもないのです。でも、それでよいのです。
これは、スピリチュアルを語る際にだれもが直面する課題であり、そして有意義な挑戦であり、また醍醐味でもあるわけですから。」

😎「ふむ。よろしい。しかし、敢えてここでもう一度釘を刺しておく。お前はお前のままでいい。しかし、みなもみなのままでいいのだ。お前の言葉がどのように受け取られても、伝えたいことが伝わらなかったとしても、すべて正解である。このことを、くれぐれも忘れるな。」

😌「肝に銘じます」

😎「それでは、先に進もうか。つづきは次回。」

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