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人は何歳になっても自己ベストを更新できるのかチャレンジしてみた㉔

20年以上ゆるゆるとランを楽しんできて気づけば齢50。そんなアラフィフおばさんがコロナ禍をきっかけに初めてタイムを更新するために奮闘し始めた記録です。唐突にやってきた更年期の症状に身体も心もイマイチなまま向かったシーズン最後の長野マラソン《前編》です。

今回の目標

2023年4月23日。第25回長野マラソンで設定した私の4’29’59’’ という目標は、前年10月31日の横浜マラソンで達成できなかった2番目の裏目標でした。
①出産後のフルの自己ベスト
(4’43’’切り)→4'32'27'で達成
②サブ4.5 (4'30''切り)

ちょっと一歩下がって考えてみると、そんな真剣に設定するような話?にも思えるのですが、今回は成し遂げたい気持ち(だけは)強くありました。コロナ禍に入ってからの3年以上、改めてマラソンのために自己投資してきた結果を一旦区切りとして残したい、その上で、ここからはもう少しマラソンの優先順位を生活の中から落として自分の生活リズムを再構築したいという気持ちの変化と、どんな結果に終わってもこれが今の自分と受け止める覚悟を持って臨みました。

苦肉の策

4時間半を切るためには、単純にずっと同じペース(イーブンペース)で1kmあたり6分23秒以内で走る必要があります。2週間前の日曜日にハーフのペース走を自分で走ったときが平均6分22秒。正直この倍の距離を走る余力は感じられない。相変わらず座骨から膝裏までの筋は芯のような痛みが常に付きまとっていて、起床時、仕事中、家事の間、寝る時まで「いたた、、(でも走れないこともないんだよな…)」「20k以降はなるように任せよう、調子が良ければアドレナリンが走らせてくれるはず。最後は根性」と言い聞かせていました。
4月に入って3回整体で調整してもらう中で直前に鍼も打ってもらい、さらに正攻法ではない裏の手を考えていました。名付けて「トイレロス撲滅作戦」。
これまでどの大会も必ず1回以上はトイレに行き、そこでのタイムロスは待ち時間含めて多いときで15分。トイレに行かないだけでタイムは縮められるはず、、ネットサーチで見つけた「ロキソニンでトイレが遠くなる?」という説に乗っかり坐骨の痛み止めも兼ねて飲んで走ってみよう、と直前の20k走で試してみたり(結果的にこれは薬剤師の先生に、腎臓の働きを抑えて体内に水分を貯めるというのは逆にパフォーマンスの低下に繋がるしドーピングに近いのでは、、と警鐘を鳴らされた上に、実際やってみても効果が感じられず却下)、
トイレに行かない訓練を大会週の火曜日から土曜日まで5日間ウォータローディングとともにやってみたり。
具体的には、当日の時間想定で、朝8時から午後1時までトイレに行かずにちょびちょび水分補給を試みるというもの。午前中はカフェインはもちろん、朝ご飯はなるべく汁物は取らず、水分もOS-1など体内に取り込んで排泄しづらいものを選び、仕事中も「今10時半、もうすぐハーフ、まだトイレは大丈夫・・」12時のお昼休憩中も「もうすぐゴール、トイレもあと少し・・」と脳内イメージ。おしっこを我慢してお弁当を食べ、13時過ぎにようやく「5時間我慢できたから当日もいかなくて大丈夫なはず」と脳へ短期集中インプット。自分でも馬鹿なことをしているなぁという自覚はありました。

緊張なのか更年期の症状なのか?

大会のゼッケン引き換えなど事前受付が前日のみのため、土曜日に長野へ向かう必要がありました。その日の朝のGarminの睡眠スコアは100点満点。大会要項をしっかり印刷して、何時にどこへ向かうか蛍光ペンでマークして、念入りにタイムスケジュールを確認。

大会前日の朝の睡眠は最高点だったのが、、


しかし念入りに準備した気になっていた割に、ポカミスやあらゆる判断力が鈍ってあり得ないミスを連発していきます。

・鍼を打ってもらっている上にキネシオテープを貼ってしまい、剥がすと取れてしまうので、丸2日間そのままゴールまで貼り替えなしでいくことになる。
・上野→長野行きの往路新幹線を、土曜日ではなく日曜日で予約していたことに出発2時間前に気づき、大急ぎで予約変更する。
・お昼ご飯を新幹線車内で食べるか、家で食べてから出るか、迷いすぎて結局作った自作弁当を家で食べ始めるが、あまり喉を通らず、おかずは半分冷蔵庫に入れてご飯をおにぎりにする。

他人の横で食べるのは気を遣いそう、
と家で食べ始める。


・そんなことをしているせいで結局出るのが遅くなりホイルに包んだおにぎりをかじりながら早歩きで駅まで向かうが、改札入ってから、携帯を忘れたことに気づく。
・駅員さんに公衆電話の場所を聞いて、自宅に電話して家人に届けてもらおうとするが、プッシュボタンがうまく押せず、小銭をホームにばらまく。
・かき集めてもう1度公衆電話をかけても、家電も夫携帯も留守電で汗が噴き出す。
・自宅に駆け戻り、置きっぱなしのスマホを発見(既に汗だく。しかも変なダッシュで既に右坐骨が痛い)新幹線の変更2度目のネット手配にとりかかる…

帰宅したとき、台所で平和にお昼のラーメンを作っていた息子と夫に、「なんで電話出てくれないの?」と息を切らしながらいうと、「そういえば鳴ってたけど非通知だったし(夫)」「どうしたの?(息子)」と。「そもそも12時の電車のるのになんで11時半にまだ飯食ってんのかなとは思ってたけど全く計画がなってないよね」といつもの辛口小言を言われてさらにぐうの音も出ない正当なことを言われます。

何を緊張してんの?
普段仕事して、家のこともして、その合間にやっといける休日の楽しい旅なんだから、、そんな時間に追われる必要もないし、もっと楽しみなよ!

仰るとおりです。そうだよね。こんなことならお昼ご飯、最後までよく噛んで食べていけばよかった・・・なんならそのできたてのラーメン一緒に食べたい。ああもう、早く終わらせて帰ってきて平和な日常に戻りたい・・とまで思う始末。とりあえず40分後の新幹線に再々変更して、気を取り直して。

「では改めて…行ってきます!」
「楽しんで!」(とまた言われる)

長野入り、土曜日の午後

長野駅に着きました。

当初の予定では、ホテルにチェックインしてからゆっくり歩いて善光寺までいって、びんずるさまをなでなで(お尻から膝裏は触れないだろうけど)して、先にお土産を買ってからゼッケン受付にいきたいなぁくらいに思っていたのが結局全カット(計画性ないが故)。でも、11年ぶりに出会う友人が迎えにきてくれ、お互いの近況報告をしあいながらビッグハットまで車で送ってくれました。
受付会場に向かうまでも、北風ビュービューと寒くて、明日はこんな中を走るのか、、と一人だと心折れそうになっていそうだったのが、マラソンとは無縁の(でも、車椅子マラソンのボランティアは毎年やっているという)地元の彼女と、マラソンとは全く関係ないおしゃべりが私の緊張を解してくれました。
無事ゼッケンを引き換え、ほぼスペースが埋まっている書き込みメッセージコーナーにかろうじて控えめに目標を書き込みました。

「笑顔で」と書く字がひきつる


早めの夕飯に地元のファミレスあっぷるぐりむに連れて行ってもらい、目移りするメニューでまた散々悩んだあとは、ミスジステーキに豆腐丸ごと入り豚汁に麦ご飯をつけて明日へのチャージも完了。

すごいボリューム

ホテルまで送ってもらい、軽くお風呂に入って早めに就寝しました。

レース当日の朝

翌朝は快晴!昨日とは打って変わってほぼ無風。なんのいいわけもできない絶好のPB更新日和です。4:40a.m.に起床して湯船を張って15分浸かって汗腺を開け、白湯を飲んで軽くストレッチ。5:15には昨夜買ってきていたコンビニのおにぎりなどを食べて、戦闘服ランシャツ前後ろにゼッケンをつけて、ランタイツを履いて、マルチポケットにジェルなど捕食を突っ込みます。

本当は美味しい朝食のところだったのが
部屋のドレッサーで食べるコンビニ食


6:20にはホテルをチェックアウトし、スタートの北長野駅に向かうJR改札でランナー専用のチケットを見せて入場。周りは皆ベテランランナーに見えます。ぎゅうぎゅうの臨時列車に乗り込むと6分ほどで北長野駅に到着。日差しが強くてサングラスをかけると、「なんか落ちましたよー」と声をかけてくれる男性。背中のポケットから落ちたアミノショット。ありがとうございます、とお礼をいう視線の先に見える足下の厚底シューズがもう速そう。自分がなんだかとても弱々しい新参者に思えてきた。気がついたらこんな大荷物を背負っている人もそんなにいない(最小限にしたつもりでも東京からの全荷物が入っている。)そこからスタート会場まで歩くこと30分弱。後から知るのですが、長野駅のコインロッカーに入れたり駅近であれば滞在したホテルに預けることも当然できたはず。スタート直前になんのための背筋負荷?という重みを背負っていました。
兎にも角にも、スタート会場へ到着。身支度を調えてたところで知り合いランナーにも声をかけられ、言葉を交わしているうちに少し緊張が解けました。ようやく重たい荷物も預かり所で手放せて、自分のスタートブロックIの場所を探しながら軽くアップジョグを始めました。(つづく)








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