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受け継がれるもの 受け継がないもの

NHKの「ファミリー・ヒストリー」という番組はご存知でしょうか。
芸能人、著名人のゲストを迎
その方の父母や先祖がどのような人だったのか
いかに生き抜いてきたのかを取材したドキュメンタリー番組です。

先祖は様々な立場、職業、人生を送っているのですが
確かにそのゲストの中に
開拓者精神、、粘り強さ、リーダーシップ…など
彼らの資質が受け継がれているのが感じられます。

印象的なのは自分のルーツを知ったゲストが涙を浮かべることです。
私もよその家族の話なのになぜかジーンとしてしまいます。

どうしてなのかなと考えてみたところ
自分が確かに先祖から受け継がれてきたもので
形作られているということを実感できることや
自分の中に彼らが息づいている
過去から応援をもらっているような気持ちに
なるのではないかなと感じました。

年末の特別番組で視聴者からの反響が大きかった
俳優の草刈正雄さんの会が放送されていました

草刈さんはずっと自分の父親が
どこの誰なのかわからなかったそうです。
というのも草刈さんのお父さんは
戦後日本を統治するために駐在していた
進駐軍の軍人さんだったためです。

草刈さんが生まれる前に本国に帰ってしまったということで
戦後の混乱の中でお母様が苦労して子育てをされたとのことです。

父親について知っていたことと言いますと
祖父が郵便配達員だったこと
日本に駐在していたこと、それから名前です。

この少ない情報から番組が調査を開始しました。
名前が合致した電話帳から一軒一軒電話をかけていたそうです。

英語のスペルや読み方が幾パターンがあるので
それらを全部当たっていったとのことで
その人海戦術の結果、ついに見つかったとのことです。

お父さんはすでに数年前に他界されていたとのことですが
おばさんといとこたちが健在であることが分かりました。

そして意を決して彼らに会いに行くというところに取材班が同行したというのがドキュメンタリーとしてまとめられていました。

ある種捨てられたんだという複雑な気持ちもあったと思いますし
父親の墓前を詣でた時に
「母の苦労を思うと複雑な気持ち」
というふうに話しておられましたが
おばさんいとこたちと会った時はとても嬉しそうで
また親戚たちも驚きとともに
喜んで草刈さんを迎えておられたのが印象的でした。

それまで俳優をやるにあたって
父親の役を演じるということに
迷いがあったというふうに話しておられました。

というのも父親というのが本当は何かわからないからだそうです。
けれども今回、今まで隠されていた自分の一部と
ようやく出会えたという感じなのかなと思いました。

少し話は変わりまして
私の実家の父が自力でファミリー・ヒストリーの調査に
取り組んでいたことがありました。

定年後、第二の人生を迎えるにあたって
自分のルーツというのを辿りたくなったそうで
戸籍、お寺の帳簿などをたどって
江戸時代後期まで遡ることができたそうです。

「すごく名のある先祖がいたということがわかったりしないかなー」なんて冗談で言っていたのですが、みんな一般の村人だったそうです…
ただ江戸時代の古地図の中に
名前が書かれているのを見せてもらって
現在実家がある場所からそう離れていない場所に
家を構えていたんだということがわかったりしました。

武家や名家だったら古文書などで
もっと古くまで遡ることできるそうですが
多くの場合、第二次世界大戦などで名簿が消失しているケースが多く
江戸時代まで遡ることができたのは
結構すごいことだと聞きました。

話を聞きながら
当たり前といえば当たり前なんですけれども
本当に自分の先祖というのがその時代に生きていたんだ
ということを感じることができました。

また、私の曾祖父…父から見て祖父が
父が県外の大学に行っていた時に
お小遣いを仕送りしてくれた時の手紙を
見せてもらう機会がありました。

この手紙の書き出しがというのが印象的でした
どういうものかと言いますと

国家は安寧である
地域は安寧である
町内は安寧である
家内は安寧である

このような書き出しの後に
「元気でやっているか」と手紙が続きます。

曽祖父は別に国会議員や
地方の名士やどこどこの会長というわけでもない
普通の田舎の親父で
単に孫にお送るだけの手紙なんですけれども
こんな風に「国家は…」というところから
書き出しが始まるということで
父が言うには
「おじいちゃんの手紙はだいたいそんな感じだ」と言っていました。

昔の人は
国家や地域の安寧に自分も参画している
という意識があったんだなというのを
この手紙を読みながら感じました。

子孫である私は国家だの地域などの安寧っていうのは
つい別の人がやるもんだと思っているのですが
自分も参加しているんだという心持ちで
一般的な生活を送っていた祖先がいるということで
見習いたいなと感じました。

このように祖先や親世代から
様々なことを受け継ぐことができると思うのですが
必ずしも良いものばかりではないというのも感じます。

特に私は女性であるということか
母から娘に受け継がれる呪縛というのも感じることがあります。

そのことについて、よしながふみさんの短編
『愛すべき娘たち』というコミックスについてご紹介したいと思います。

主人公の如月雪子は30歳の女性です。
雪子を女手一つで育ててくれた母・麻里さんが
50歳を過ぎた時、癌で倒れてしまいます。

幸いにも回復するのですが
「これからは好きに生きていくことにしたから、再婚した」
という風に告げられ
そしてその相手というのが雪子とほとんど年齢が変わらない
俳優志望の男性だったとのことです。

雪子はその事実を当初を受け入れることができず
どのように受け入れていくのか
というのが漫画の中で描かれています。

この麻里さんというのは
娘の雪子の目から見ても
非常に美しい女性というように描かれています。

ただ人から「綺麗ですね」と言われると
真正面から「違います!」と
ピシャッとして否定するというところがありました。

なぜかというと母親…雪子の祖母にあたる人物から麻里さんは
「出っ歯だ、顔がニキビだらけだ、痩せすぎだ」と
容姿を否定され続けながら育ったためです。

麻里のお母さんは
本当は麻里が人並み以上に可愛い、美しい容姿をしている
と思っていたそうです。

けれども過去に
美しいけれどもそれを鼻にかけて
すごく嫌な態度をとるクラスメイトがいて
麻里にそうなってほしくないと思って
その彼女の美点というのをし続けたそうです。

それが大人になっても
それがずっと麻里の呪縛になっていました。

ただこの麻里さんのすごいところというのは
その呪縛を娘の雪子には受け継がなかったというところです。

雪子が着たいといった服を
明らかに似合わないとわかっていても着せてくれて
「可愛い」と言ってくれる女性です。

こんな風に自分がされて嫌だったことというのを
反面教師として娘には受け継がないとしようとする人と
そのまま呪縛を引き継いでいく人がいると思います。

ただこの呪縛というのは
よほど注意していないと
自分が育てられたようにしか育てられないので
他にやり方を知らないので
いつのまにか引き継いでしまうということがあると思います。

そしてよくよく注意してよく理解していたとしても
自分の中に刷り込まれてしまったっていうものを解消することは
かなり難しいと思います。

私自身の話ですが
私は両親共働きだったため祖母に育てられました。

ただこの祖母というのは
不思議の国のアリスのハートの女王のような人で
彼女の気に入らないことがあったら
すぐに張り手が飛んでくるというふうな人でした。

大正生まれの人なので
彼女自身もそうやって育てられてきたという面があると思います。

父に
「なんでうちのおばあちゃんってああなの?」と
訴えたことがあるのですが
「あれでも年をとって丸くなったんだよ」
なんて言われてしまいました。

父の時は言うことを聞かないと
抜き身の包丁を持って追いかけ回されたり
本棚を投げつけられたりしたそうで(本ではなく本棚)
ちょっとエクストリームなところがある人です。

そのため私自身
未だに人前でわがままを言って騒ぐ子供を見るのがちょっと苦手で
激昂しやすい祖母の家っていうのが
確かに自分の中に流れていることがわかりますし
私はそんな風にわがままを言うことを許されなかったという
未だに癒しきれない悲しみや怒りが渦巻いてしまいます。

今私に子供はいないのですが
どんなに訓練を積んだとしても
この怒りというのがどこかのタイミングで
噴出するんじゃないかっていう怖さがあります。

ただ祖母がくれたものというのは
悪いものだけではありませんでした。

結婚する時に挨拶に行ったとき
「あんたは運がいい子だから大丈夫」と言ってくれたりしました。

親世代から受け継がれた負の遺産というのが
自分の中に埋め込まれていると感じる人は多いと思います。

特に母から娘というのを言いますと
自分がした我慢っていうのを
娘にも同じようにさせようとするパターンが多いと聞きます。

また自分のコピーのような存在が
自分よりも幸せに生きることを許せない
というふうに感じるパターンもあると聞くことがあります。

そのため先ほどご紹介した
『愛すべき娘たち』の中に出てくる麻里さんが
「これからは好きに生きていくことにしたから」と言ったセリフについて
雪子は当初この言葉を
突き放された感じがして受け入れがたいと感じます。

けれどもこの
「これからは好きに生きていくことにしたから」という言葉は
自分がしてきた我慢というのを自分はもうしないし
それに加えて自分の下の世代にも同じことを引き継がない
という決意の表れのようにも思いました。

自分の心を癒すこと
自由に生きることというのは
自分のためにももちろんなりますし
自分よりも下の世代の人たちのもなるのではないかなと感じました。

このように家族の歴史というのを辿ってみるのは
非常に興味深いものだなと思います。

私の場合、父方の方は
父が一生懸命調査をしたのでいろいろ情報があるのですが
母方というのは
あまり話を聞いてこなかったと言いますか
ブラックボックス化してるなという風に感じます。

なので機会があったら母親に
母方のファミリーヒストリーについても聞いてみたいなと思っています。

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