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【中学受験の算数】何故問題の解説記事や動画では算数は伸びないのか

新年度も近付き学習相談も増える中、たまに問題の解説の記事や動画についてお願いされることがあります。例えばSAPIXの教材である『サポート』の解説記事や動画などを作成してもらえないか、などです。私は意味が無いものだと感じるためお断りしているのですが、改めて何故自分がそう思うのかを自己分析してみました。そこから見えてきた問題点をお伝えできればと思います。


解説コンテンツの質

実際に検索をかけると非常に多くの解説コンテンツが出てきます、noteにもYouTubeでも。例えば開成の◯◯年度の大問◯の問題の解説などのようにいくらでも出てきます。特に算数が多いと思います。
もちろんサイト記事でもとても沢山の問題の解説を目にすることが出来ます。全てを見たわけでも何でもありませんが、正直これらが役に立つ場面というのは非常に少ないと思ってしまいます。

その理由は解説の質ではありません。
ただ大半のコンテンツの質は酷いです、9割方は見るに耐えません。特に動画系のコンテンツの質の低さは筆舌に尽くし難いレベルのものが99%を占めます。これなら、まだSAPIXでの動画を見るほうが時間に意味があります。
たまにこの人は頭が良いのだろうなと思えるコンテンツはあるにはあるのですが、それでも質は関係ありません。等しく意味はないと思ってしまいます。

解説コンテンツに意味が無い理由

こういった解説コンテンツに意味が無い最大の理由は
成績は伸びない
ということです。

では何故伸びないのでしょう。

解説が必要なことではないから

まずそもそも解説が必要ではないからです。『何言っているんだ、お前』と思われそうですが、算数が出来ない子に必要なことは解説ではありません。
何故なら、解説コンテンツが説明していることはただ『こう解ける』ということです、つまり知識を与えているわけです。それで出来るようになるのでしょうか。

問いの解説面で必要なことの大きな一つは問題の見極めです。他の言い方をすると、何故そのような考え方ややり方をするとこの問いでは判断するのか、という基準や区別の方法です。何故そう考えるかが分からない状態で子供に再現性というものは生まれるのでしょうか。
こういったことを指導する内容は解説コンテンツで見たことは無いです。だからそもそも全て質が悪いとも言えますが。

具体例

上記の具体例を挙げることはかなり簡単です。
・問題集の解答解説を読む
・大学の講義を受ける
・解説コンテンツを見る
これらはどれも必要な知識は説明されていることが多いものです。けれどもどれもそれを行うだけで何かが向上することはとても少ないと思います。
私は学生時代サボり屋だったため、大学の講義を受けても何一つ残っていなかったと強く言えます。

特に解説コンテンツは大学の講義と相通じるものがあると思えます。
もちろん教授が何も考えず黒板に授業を行っている講義と同じクオリティとまでは言いませんが、本質的に『ただ内容を放り投げているだけ』ということは共通しています。そこにどれだけキャッチーさやエンタメ性などを盛り込んでも本質的には解説コンテンツはどこまでいってもたれ流しているだけの受動コンテンツです。これで何か改善が図れるのであれば、中学受験はもっと楽になるはずです。

解説コンテンツから見える問題点

上記が私が自己分析して感じた解説コンテンツに意味が無い理由です。
そして一緒に思うことは、これはまともに指導をした経験がある講師ならば誰でも感じることだろう、ということです。与えるだけで向上が見れるならばこれほど楽なことはありません。

つまり解説コンテンツから見える問題点は
解説コンテンツを作成している人は何を考えて作っているのか
ということです。
推測するに2つの目的を感じます。

①商業目的

分かりやすいものは商業的な目的だと言えます。例えば、noteの有料記事などが分かりやすいでしょう。直接そこから収益を得る、それを目的とするならば作成意図は理解出来ます。

②自己アピール

あとは自己アピールということでしょう。自分はこういう問題を説明できるんだ、そういったアピールを保護者に見せることで自分を選んでもらうということなのだと思います。

上記のような目的が推測できますがどちらにせよ、こういった目的・意図で解説コンテンツを作成する講師は非常にマズいと思います。

そう言える理由は一言で『自分のためであって子供の受験のためではない』からです。
商業目的では、子供の受験に意味が無いと分かっているのに自分の利益を求めて作成するわけです。
自己アピールで言えば、本当に必要なものではないものを見せてアピールをするわけです。

実はそれよりももっと恐ろしいことがあるのです、それはこういった解説コンテンツなどのことを本気で良いものだと考えて作成している講師です。

何故こういう思考になるのかというと、一つは経験が無い講師だからというものがあります。経験の無い・乏しい講師は現場を知らない分理想的というか現実的でないことを可能と考えていることがあります。例えば、怠けてサボる子供が受験で悲惨な結果になることを目の当たりにする経験を一度でもすれば、そんな理想的な夢物語は現実には存在しないことは分かるのですが。

もう一つの場合が一番恐ろしいのですが、頭の中がお花畑になっている講師の場合です。もっと何と言うか教育的というか、適切な表現では無いかもしれませんが『子供は天使』だとか『子供は無限に可能性が有る』などを本気で言えるような人がこういうタイプになります。キャラ付けによるマーケティング戦略の人もいないわけではないですが、本気でそう思っている人は現実にいます。
一番厄介なタイプと言える理由なのは、本気で信じている分非常に強いパワーで意味のないことや害悪な内容などを広められるからです。

大体は複合型なケースが多いと思います。頭の中がお花畑なため受験をまともに担当せず現実を知らないことになる、という状況に陥るのでしょう。
こういう人って本当にパワーがあるんですよね、その熱意に感化される保護者も一定数いることも現実なため受験の悲劇は絶えないのでしょう。

解説が中学受験で無意味な理由

それでも巷にデジタルでもアナログでも多大に解説コンテンツが存在していることから、保護者としては意味が無いと言われても納得できないと思います。その理由を詳しく説明致しますと、まず皆様は子供にとって中学受験というものはどういった意味合いになると思われますか?

私は『何となくやっている』ということが正直なところだと思っています。
ここで『うちの子は明確な目標を持って自分の意思でやっています』と言い切れる方は私の話など聞かずにコベツバなどのコンテンツで補強なさって下さい。
別に上記の私の見解は子供を卑下しているわけでも何でもなく、長年間近で子供を見てきた現実のお話しなだけです。そこに上下も良い悪いも無いと思っています。まぁ、実際そんなもんだろうなと私も思いますし、自分が小学生の頃もその程度だったはずです。

非常に大きなことは子供にとって中学受験は自分事・重要事ではないということです。それが解説コンテンツを無意味なものに貶めてしまうことになるのです。

例えば、健康な子供に肩こりを解消するためのストレッチの動画を見せて何かをすると思われるでしょうか?
そして、全く同じ動画を非常に強く肩こりに悩む方に見せたとしたら効果がある限りはかなりの方が実行すると思われるのではないでしょうか、さらに繰り返しの中でそのうち動画を見なくても行えるようになると思います。

結局、解説コンテンツも同じことです。
本人が望んでいないことに対して受動的なコンテンツを与えても表面を上滑りして消えていくだけに過ぎないのです。だから、意味が無いのです。

前提であり最も大事なことは、中学受験が子供にとって自分事であり非常に重要なことだとまず意識付けることです。それがまず先にあり、その後に知識やテクニックなどの話しが付いてくるのです。
これは私の指導方針や考え方と呼べるようなものです、そのため私の話しには精神論の内容がとても多くなるわけです。
ご家庭によって好き嫌いが大きく別れる内容であることは分かっておりますが、現実に改善を行うにはこの意識と呼ばれる部分に手を付けなければほぼほぼ無理だと思います。

講師側の理由

一部を除いて、大半の講師はこういった子供の意識や内面的な部分に触れることをしようとは致しません。
一つの理由は再三お伝えしている、社会の風潮・ハラスメント行為、というものに触れかねないからであることです。
もう一つは『面倒だから』だと思います。子供に悩まれている親御様などはご理解頂けると思いますが、上記の子供の意識や内面に触れ改善を求めることは本当に大変なのです、ただただ面倒くさいのです。もし成長のために必要が無いのなら私も行いたくないとハッキリ思います。
そういうわけですので、無難な方向性にいくなら『ただ知識を与える』ことを選ぶのです。

そして頭お花畑系の講師が最もマズい理由は、この子供の意識が最初から全員に備わっていると本気で思っているのです。本当にそうであるなら、世界はもっと平和であると思うのですが。

保護者側の理由

本質的に知識を与えることに意味が無い、それでも保護者が望むので世に解説コンテンツが溢れているのでしょう。
何故、保護者が解説コンテンツを求めるのかというと、まずは大半はそこまで本気で考えていない保護者が多いからだと思います。そのため、まぁ分からないなら知識を与えたら何とかなるのだろうと思うのだと思います。
そのまま最後までいく保護者も割といる気はします。典型的なパターンはさらにその方向性を拡大し無意味な個別指導や家庭教師などを付け、結果何もなさなかったという終わり方です。
しかし、途中でそういうことではないと気付く人も多くいるでしょう。それでも、気付いた後に行動するかしないかは大きく別れます。気付いていて上記の典型パターンに進むご家庭もあるぐらいですから。

それだけ、子供の意識や内面に手を付けようとすることが困難で恐怖を伴うということなのだと私は思います。

武田の理由

私が何故上記のような、まるで昭和の根性論のような精神論を強く押し出すのかは中学受験に関わり始めた最初の経験が大きいです。
社員として初めて勤務した塾は港北ニュータウンの個人塾でした、上は開成・筑駒から下は今はなき戸板まで進学先が多様なものでした。数年の中でそういった多様な子供を見る機会に恵まれ、その中で感じたことは『子供の能力にそれほど大きくは差がない』ということです。
結局は大きな差を生む理由は能力ではなく、子供の意識であることを思い知りました。

だから、私が指導する際には知識だけでなく、どのように取り組むのかを意識や内面にまで口出しをして管理しようとします。経験上、どうしてもそれが必要になると感じてしまうのです。また、親子という関係よりは第三者という赤の他人から言われる方が子どもとしても聞きやすいということは実際あると思います。

また、そのためには必ず面と向かって相対していることが必須条件です。これが私がオンラインを否定している理由です。
現在であればかなりの方がオンラインでの何かを体験されていると思います。明らかに人と相対している時よりも、手を抜くことも可能であり、そうでなくとも聞き逃したりなどのボーとしてしまうなどの瞬間は多くなるのではないでしょうか。大人ですらそうなのですから、子供であれば余計に強まります。これはハッキリと言い切れるぐらい顕著な事実です。時代は関係なく、顔を合わせて本人に声を掛ける、これだけが人を変えることが出来ることです。

もちろん、私が指導したからといって全員が改善されたわけではありません。本人がどうしても受け入れられないという場合やそもそもご家庭がこういったことを望んでいない場合などある意味私とのミスマッチから上手くいかないケースもありました。

後はこういった精神論を昭和の遺物と思われるか、それとも何かを成し遂げるために必要な不変の前提と思われるかの違いだと思います。

解説コンテンツに意味がある唯一の場合

これほど無意味だと連呼している解説コンテンツにも唯一意味がある場合があります。
お分かりの保護者の方も多いと思いますが、主体的な意味で中学受験に臨んでいる上位層の子供が使う場合、です。
中学受験を自分事で重要事であるとして行っている子供、そうであれば主体的に解説コンテンツと向き合うことが出来るわけですので無意味にはならないのです。でも、それならSAPIXの解説動画で事足りると思いますけども。

私は子供が大きくなった将来的にも同じよう状況になると感じてしまいます。
主体的に行動できる人はコストは安くでき望むものを手にしやすくなり、受動的にしか行動できない人は大きなコストを払うか望むものを諦め続けることになるということです。
中学受験は大きなハードルである分、子供に大きな変化をもたらすことも可能であると私は思います。ただし、ご家庭に強い覚悟は必要になりますが。

まとめ

解説コンテンツについて説明致しました。
・解説コンテンツは無意味なことがほとんど
・解説コンテンツという知識の前に必要なことがある

そしてその意味のない解説コンテンツを作成する講師が何を考えているのかとそこから見える問題も説明致しました。
常にお考え頂きたい大事なことは、相手は何を目的としているのか、ということです。
それを正確に見極め、自分の目的と合致しているのかどうかを考えることが保護者のやるべきことと言えます。
貴重な中学受験という機会です、是非意味のある形の受験になる努力を積み重ねて頂ければと思います。

算数の家庭教師を行っております。無料相談も行っておりますので、お気軽にお問い合わせ下さい。


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