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「ペットロス」ってなんだろう。

今日は、ペットロス療法士として「ペットロス」についてnoteに書いておきたいと思う。

「ペットロス」とは、広義的には「生別・死別を問わずペットを失ってしまった体験」のことであり、狭義的には「ペットとの死別体験とそれに伴う飼い主の悲嘆(グリーフ)」のことを言う。ペットロスが原因で精神的な症状を及ぼすことがあるが、ペットロスそのものが病気ではない。

愛する対象がいなくなると、私たちの心や身体はさまざまな悲嘆反応を催す。この反応は、肉親・配偶者・子ども・ペット・自分の身体(脱毛・四肢の切断)といった「目に見えるもの」もあれば、失業による立場の喪失・アイデンティティの喪失など「目に見えないもの」を失うことに対する悲嘆もある。こういった喪失に対する悲嘆は「あって当然のもの」であり、日常にあるものと言えるものだ。


このように、「ペットロス」も、長年共ににしてきた愛する対象を失うのだから当たり前の反応と言える。飼い主は、悲しみの強度や時間の経過は個々で異なるが、この悲しみを自分の中で処理しながら回復の過程を歩んでいく。楽な道ではないが、焦らずに一歩一歩悲しみの道を歩むことが大切なこと。そうしていつか「あの子と暮らせて幸せだった」と心から思える日が訪れるだろう。

しかし、私が残念に思っているのは、飼い主にとって「ペット」という存在がどのぐらい大きな位置にあるのか、日本の社会はまだ理解が薄いことだ。それもあって、飼い主自身もペットを失った悲しみを外部にうまく表現することができず、孤立化してしまうこともある。

そこで、ペットを失ったことによる飼い主の悲嘆反応を共に考え、回復をサポートするのがペットロス療法士だ。

ペットロス療法士になって、もう一つ私が伝えていきたいと思っていることがある。

私はペットの存在の大きさをもっと社会が知ってほしいと思う一方で、それ以上に、「人間こそ大事にできる社会」になってほしいと願っている。これは私自身がそうでありたいと目標にしていることでもある。

動物も大事なのだけど、その前提に「人間どうしも大事」なのだ。しかし今の社会は、他者を見る余裕がなくて、自分ひとりを生かすのに精一杯になっているようにも感じる。

もちろん、自分と自分が愛する対象がまずしっかりと生きることが大事なんだけれど、それでも敢えて、周りの人間を顧みる社会になっていかないといけないように思う。社会っていうのは「痛みを分かち合うため」にあると思うのだ。

だから、私は「ペットロス療法士」ではあるけれど、ペットロスの問題だけでなく、ペットとの関わり合いを通して「人間社会のあり方」みたいなものも考えていきたいと思っているのである。

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