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親愛なる大嫌いなお客様


私は旅行会社代理店で接客を生業としている。正直つらい。
愛想を振りまき笑顔でご案内しても波長が合わないお客様に沢山いる。

どこでもいいと言うくせに、私の提案に
「そこに行った」
「そういうんじゃない」
「やっぱり飛行機で行きたい」
とわがまま放題。
「お待たせしました」と声をかけると
「本当に待たされたよ」と返す人もいる。そんな人に限って、最後に財布を忘れて車まで取りに行き、他のお客様を待たせた。希望の宿が満室だと伝えると

「お前の会社はくるくるパーだ」
と怒鳴る人もいる。怒りを抑えて満足のいく代案を探さなくてはならない。そんな日のロッカールームはお客様の愚痴で爆発する。

「何故、こんなにお客様は偉いのか」

厄介なことに接客業にはお客様アンケート評価がある。横柄な人にも、丁寧に楽しく案内し、良い印象を持ってもらう。評価はチーム内でされ、ボーナスに輝く。低評価を受けると本当に傷つく。自分の価値を決めるのはお客様。そんな会社もお客様も大嫌いだ。

接客を続けて十四年。私はついに仕事に行けなくなった。行こうとすると立ち上がれないほど涙が出る。評価されたくない。数月、仕事を休んだ。突然、訪れた長期休み。

いつから嫌になったか考える。社歴を重ねるごとに後輩が増え、昇進した頃だ。上司としてのプレッシャーを感じた。日に日に会社に行きたくなくなった。お客様に満足してもらえたかな、お待たせしちゃったな、知識が足りなかったな、理想の上司には程遠いな、そんな考えが自分を傷つけていた。良い「評価」がつかない自分が嫌になった。

アンケートで価値を見出していたのは会社でもお客様でもなく、私自身だった。

人生の中でも特に楽しい二十代から三十代。社会から大人として受け入れられて収入をあって体力もある。そんな重要な時期を捧げた会社。休職中は、嫌なことの代わりに、たくさんの楽しかったことをノートに書き殴った。

私の提案で旅行先を決めて楽しかったと報告しくれたこと、旅行はさくらさんあってのものと言われたこと、お客様のお土産話で大笑いしたこともある。私から指導を受けたいと言う後輩もいた。

忘れていた私の夢も思い出した。「私はお客様に旅を提供することで世界と日本を繋ぎたい」

ノートの下敷きになっていた小説を何気なくめくる。「百人が百人好きという文なんてない。一番つまらないのは普通と言われる文学、一番しいのはわれる文章だ。個性がある」と書いてあった。

私は春に復職する。接客業に戻るのは正直つらい。「嫌われる個性」はまだ欲しくない。けれど、波長が合わなくても、理不尽でも、馬鹿にされてもどうでもいい。お客様が旅を通して幸せな気持ちになってくれることを誰よりも願っている。私はそんな自分を今度こそ好きになる。

お客様は偉いのか?うん、お客様は偉い。私の「夢」はお客様が旅をして初めて叶うんだもの。ありがとう。夢を叶えてくれる大切な私の嫌なお客様。

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