いまむら

やさしく、つよく、まっすぐに生きたい、わたしのことばたち

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マガジン

  • 色んなテーマについて勝手に考えてみた。

    きっかけは、職場の店主さん。人生のさまざまなテーマについて考え、綴っていいのだと、今の私にとっての生きる楽しみをくれました。

最近の記事

あなたと生きたい

大切な人ができた かっこよくて、優しくて、男らしくて、笑いに溢れて、たまに弱くて、一生懸命で、小さなことにもよく気づき、周りへの感謝も忘れない、とても愛情深い人。 すきなところなんて挙げ出したらキリがないけど、彼が私のことを大切だと言ってくれることはとんだ奇跡に思えて、だけどそれが必然だったんだとも思える人。 自分の命よりもずっと、大切に思える人。 私はここ数年、生きたいと思えたことが一度もなかった 生きる意味がわからなかった 死ぬ勇気もないから、毎日ただ天井を見つめ

    • 心はいつもそばにいるから

      今日は、高校のときの学年主任が急逝したようで、お線香をあげに伺った 私はその先生と直接的な関わりはあまりなかったので、悲しみや寂しさが込み上げるというようなこともあまりなく、少し申し訳なく思ってしまった それでも足を運んだのは、私の恩師である当時の担任が連絡をくれたからだった 会場へ着くと、担任の先生は私の姿を見つけてはすぐ泣き出した 私もその姿を見て、自然と涙が込み上げてきた 私の中ではなんとなく、先生はただの先生ではなかった 彼女と私の間には、先生と生徒以上の関係が

      • 人生、について

        人生は、花のようだ 常に咲く必要はない 咲くべき時に咲くために、蓄え、耐え忍び、そして何度だって咲いてもいい ときに誰かを笑顔にし、ときに安らぎを与え、ときに幸せや死に寄り添う 一瞬の命だからこそ、人は手をかけ、水を与え、その儚さに美しさすら見出す どんな花でも、必ずだれかにみつけられ、 存在ひとつで、そのだれかに小さな幸せを与える そのだれかは、次の日も、また次の日も花のもとに訪れ、水をやるだろう そして花は、より強く、美しく咲き綻ぶ たとえその命が途絶え、 姿

        • 尊敬の念が脳天を撃ち抜いた。

          今日は絶対、絶対絶対noteに残そうって思う出来事が起きた というのも今日、夜に犬のお散歩をしていたら、上着のポケットからiPhoneが消えていたことに気がついた 落とした可能性があるのは、1キロ弱ある歩道の直線上。 普通の歩道ならまだしも、草むらが大好きな犬に合わせて歩いていたので、きっとその草むらの中に落とした。 1キロ弱の草むら。 軽く絶望した。 すぐさま来た道を引き返し、探しながら歩いてみるも、暗くてほとんど見えない iPhoneで照らそうと思ったら、iPhone

        あなたと生きたい

        マガジン

        • 色んなテーマについて勝手に考えてみた。
          3本

        記事

          優しさ、について。

          重い荷物を持ってあげることも、誰かの相談に乗ることも、電車で席を譲ることも、全部優しさだ してもらえると心があたたまること、それを想像して行動出来ること、社会通念上ではこれが優しさだろう そう思うと、優しい言動や人間は既にこの世の中に溢れている でも私には、もっと愛おしく大切に感じる優しさがある。 それは「しない」優しさだ。 相手が傷つく言葉を選ばない、相手が嫌がることをしない、必要以上に聞きたがらない。 いつもより明らかに元気のない同僚がいるとき、 「どうしたの、

          優しさ、について。

          生きる楽しみをもらったお話

          半年前、ちょっと田舎の小さな和菓子屋さんで働き始めた 社会復帰がてら、また心がダメになりそうならすぐ辞めようくらいの気持ちでお世話になり始めたけど、どうも居心地が良すぎる職場。 ご夫婦で経営してるお店に、私がのこのこお手伝いをしに行ってる感じなのだけど、1日の中で店主さんとお話する時間が結構ある、仕事よりむしろそれ重視で出勤が楽しみな私がいる、すごくいる。 はじめは学歴とか、やってきたスポーツとか、以前勤めていた会社の話とか、誰にでもできるような誰とでも話せるような会話を

          生きる楽しみをもらったお話

          歩くとは、少し止まること。

          昔から尊敬していてだいすきな先輩が、noteを日記のように使っているらしく、それいいなって思ってたので、私もたま〜に日記をつけてみようと思う、というかもっと気軽にnoteを更新してみようと思う 私にとってインスタやTwitter(もうXか)は、必ず見る人がいて、なんとなくその人たちを意識して発信している自分がいるけど、noteはそれとはちょっと違う。 知ってる人とは誰とも繋がってなくて、知らないどこかの誰かがもしかしたら読んでくれるかもしれないだけの、私の言葉を存分に使っ

          歩くとは、少し止まること。

          パパは今天国で2歳

          この間、パパの三回忌があった よくわからないけど、周忌と回忌は違うみたいで、三回忌は命日から2年が経った日らしい 大体三十三回忌で弔い上げと言って、法事を打ち切ることが多いらしいんだけど、 「法事、あと何回もあんのか〜」 って思った 私は法事が好きじゃない、好きな人なんていないかもしれないけど、本当に好きじゃない。 わざわざ、その日に合わせて故人の死を再び悲しみ、わざわざ想い出に心を馳せる感じが、なんかすごく嫌だ。 私は、悲しみが溢れた時にダーっと泣いて、思い出したい時に

          パパは今天国で2歳

          天国はどんなところですか?

          2ヶ月前、父が亡くなった。 その日は珍しく、夜遅くに母親からの電話が鳴って、電話越しに泣いていたから、なぜかすぐ察しがついた。 生前父は、「俺ももう長くないと思うんだよな」って言ってた。でもさ、自殺はないよ。長くないと思うんだよな、って、自分で短くしただけだよ。最初は受け入れられなくて、何してくれてんだって気持ちでいっぱいだった。葬儀が落ち着くまでの1週間、数え切れないほど色んな人に会った。周りを散々に悲しませる父が憎かった。今どんな顔でどんな気持ちでそっから見てんだ?って

          天国はどんなところですか?