常識は疑うな!

みなさんも一度はきいたことあるだろう「常識を疑え!」という言葉。
既存の考え、抜け出せなかったはずの檻のようなもの、から抜け出す。
そして私たちを、知らない世界へ、際限のない地平線へ、無限の可能性へと開く。
しかし、これは大きな罠を含んでいる。
常識を疑っていると、あるとき、足元がヌカルんでいることに気づく。
指先がズブズブと潜っていき、泥と指の境界線が揺らいで、やがて分からなくなる。
実は常識とは、私たちを囲い込む無意識の檻であったわけだが、それは同時に強固な地盤としても機能していた。
常識を疑うということは、その囲いを取り払っただけでなく、上下左右空間的に広がり、奈落の底まで突き落とすのだ。
もちろん限りない奈落の底まで。
それは常識による抑制や暴力よりも、もっと残酷なものだ。
私が何者でもなくなり、固体から液体へ、そして、気体へとなることを強要される。
自明性の喪失による、自己の喪失。
もう一度、自明性を。
疑い得ない自明性を立て直さなくてはならない。
それはロマンか?エロスか?マナーか?常識か?

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