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マスク

マスクで顔面を隠すという、あまりに単純な、秘密への誘惑はもちろん我々に無限の可能性へと開かせ、イデア的ロマンへと駆り立てる。
しかし、隠された一部をエロティックなものとして捉えるのは、やはりあまりに単純である。
真にエロティックであるのは、いっそマスクをしていないことなのでないか。
マスクをしていない、すなわち、アッケカランとしたそのままの顔面であるにも関わらず、やはり何かを隠されているようなイメージが発想させられうることが、彼や彼女に対し何か弄りたい、そして、彼ら彼女らによって弄られたい欲求へと転化するのでなかろうか。
美男美女というコスモスと不細工というカオスの対立、西洋的建築というコスモスと日本的建築というカオス。そして、マスクというコスモスとアッケカランとしたカオス。二元的捉えることで舌上の旨みが消失してしまうのは確かだが、一方で、コスモスによる現代人の閉塞感はマスクにこそ現れているのかもしれない。
コロナ禍の中でのマスクというコード(コスモス)はエロティシズム(カオス)をうみ、そして、そのマスクを取るか否かで悩む女子大生によって暴かれたエロティシズムの単純さ。そして、マスクからの解放に周囲の目やコードからの逸脱などの何らのササクレの引っ掛かりを感じることなくアッケカランとしている、その開かれているのに隠されている感じにこそ、私たちは惹きつけられるのでなかろうか。

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