仕立て屋という職業と洋服について思うこと

ビスポークスーツ(日本ではフルオーダースーツと呼ばれている)のいいところの一つは、資産価値がないところだと思う。
車や時計や貴金属などその他多くのものは、手放す時に価値が同じか上がっていることがある。なので投資目的で購入する人がいる。
それに対してビスポークスーツは一着€3000以上するが、顧客の体型や身体のクセに合わせて一着ずつ作るという性質上、当然他の人には合わないので転売のしようがないし、古着屋で売っても€3くらいにしかならない。
よって資産になるからではなく、純粋にそのもの自体が好きであったり、必要としている人に買ってもらえる。
もっぱら自己投資という風には捉えられなくもないが、、、

僕はドイツでひっそりと工房を構えるしがない仕立て屋なのだけど、この道に入ったきっかけは20歳の時の交通事故の体験だった。
それまで将来の夢が戦場ジャーナリストだった僕は担当医から「戦場どころか普通の道もちゃんと歩けるか分からないから、春夏秋冬、雨でも風でも雪でも屋内でできる仕事に進路を変更した方がいい」と言われ、自分と同じように体が不自由で"普通の服”が着れない人に服を作りたいという気持ちから仕立ての道に入った。

僕が当時渇望したのは特別な服ではなかった。他の人と同じように"普通の服”を着ることだった。
特別な身体で特別な服を着ると悪目立ちして、逆にジロジロと見られてしまう。僕は社会から好奇な目や蔑んだ目で見られることにとても悲しい気持ちになった。
だから身体障害者用として特別な服を作ることは僕の望むところではないと思った。まずは健常者も着る一般的な服、その中でも最高峰の技術といわれる注文洋服の世界で一人前になり、健常者の世界で僕自身が認められることが最初のステップだった。
僕はそのために神戸で学び、その後ベルリンのアトリエで働き、その間寝る間も惜しんで休日もアトリエで縫いまくり、裁断師からカッティング(裁断)も叩き込んでもらい、他の人が遊んだり恋愛にうつつを抜かしてる間技術を磨くことに専念した。
僕の目標が俗に言う一般的なテーラーでない以上、人よりも一針でも多く縫って、努力しなければいけない。
その後デュッセルドルフに引っ越し、2021年に念願の注文洋服(紳士服)マイスターになった。
マイスターはドイツ手工業における最上位の称号だ。
僕はその後自分の作りたかった服の研究をするために自分で工房を開き、さらにいろんな服が縫えるようになるべく勉強のためにシアターの紳士服部門に出入りするようになった。シアターやオペラハウスは"何でも”縫うので、小技が多いしアイデアもおもしろい上に中世の古い衣装も縫えるから面白い。
シアターではAusbildungというドイツの職業教育の職業訓練の指導係として職業学校の生徒に紳士服を教えるようになり、今に至っている。

僕の服作りのゴール地点は身体の不自由な人も健常者も同じように着れるユニバーサルな衣服を作ることである。

日本のこの業界は狭く出る杭は打つような体質なので、僕のように紳士服一筋ではなく、色んなことに手を出し、一つのことを極めていない人間はテーラーと名乗ることすら許されないかもしれない。
日本では70歳前半でも若手といわれる。それくらい紳士服一本で技術を突き詰め何十年もやっている人間が初めて一人前と認められるのだ。

それだけ技術と真摯に向き合い、一針の重みを大切にするのが本来のテーラーだ。
僕はそれも素晴らしいことだと思う、だからその道の人に「お前はテーラーじゃない」といわれたら、僕はテーラーじゃなくていい。
職業名に意味はない、意志だけが僕を僕でいさせるのだ。

ところで僕がこの仕事に葛藤を覚えたのは既に神戸にいた時からなのだけど、ベルリンでそれが顕著に見られた。
それは紳士服一着の値段が高いので、顧客も富裕層しか来ないということだ。
(スーツ一着を作るのに80時間くらいかかるので、その分値段が高くなる。ベルリンのアトリエでは一般的な2ピーススーツが€4000だったから、€1=
¥150計算で60万円だ)
それを毎月注文してくれる顧客や、一度に6着とか注文してくれる顧客が多かった。
僕の働いていたアトリエはトランクショーをしていたので、顧客はベルリンだけでなく、ハンブルク、デュッセルドルフ、フランクフルト、ミュンヘンにいた。
顧客の職業は超一流の音楽家や建築家、芸術家、ポツダムの地主、バイエルンの旧貴族の家柄、コスメ王、ドイツの大きな新聞の編集長、映画監督、など様々だった。

ドイツでは日本人がビックリするくらいスーツを着ている人を見ない。1日に一人もスーツの人を見ない日なんてザラにある。特にベルリンではフィルハーモニーも学生さんなどはジーンズで行けるくらいカジュアルな街だ。にも関わらずビスポークスーツの需要があるのは、目に見えないけど明らかに階級が存在するからだ。
顧客とたまたまバッタリ道ですれ違うことがないのは、通勤で乗る乗り物も、外食をするレストランも、住む家も全てが僕と違うからだ。
仮縫いに来る顧客は運転手付きの高級車か、品のいいノーマルのスポーツカーか、大切に手入れされたビンテージカーで、次第にエンジン音で誰が来たか分かるようになっていた。

彼らはもともの"持っている”人間で、何不自由ない生活をしていて、金銭感覚でいうと1着60万円は僕にとっての6000円と同じ価値くらいだろうと思う。彼らにとって僕たちが作る洋服は別に特別なものではなく、普通のものなのだ。彼らの階級上それは仕方のないことだ。

僕はこの道に入ったきっかけと目標が、身体の不自由な人に服が作りたいというところにあるので、どれだけ一針一針魂を込めて一着を仕立てて、顧客に袖を通して喜んでもらえても、顧客の満足を獲れば得る程に僕の自己肯定感は下がる一方だった。

僕はもっと困っている人、身近な人に服を作りたいのにと思うと同時に、金持ちの着道楽のために服作りがしたかった訳じゃないのにと思うようになっていた。

しかし忘れてはいけないのは、富裕層で金持ちである顧客は決して悪い人ではなく、むしろ人格者でいい人ばかりだという点だ。
仮縫いの際に針が刺さっても「痛てっ」といって笑ったり、僕のつたないドイツ語でも「あなたのドイツ語は決してうまくないが、私はあなたの努力がしっかり分かる」といってくれるし、納品の際はありがとうといってワインを持ってきてくれるし、帰りが一緒になると愛車で送ってくれた。みんな形式的にいい人を装っているのではなく、本当にいい人たちだった。

だから僕も顧客たちが好きで、自分の中の葛藤と相まって複雑な気持ちだった。
それが僕のベルリンで経験したことだった。

上記した富裕層のために服を作るテーラーは世界に腐るほどいる。だから僕がすることはない。僕は自分で工房をすることで、もっと身近で僕の目標に近い服作りができるように頑張るのだ。

余談だが、紳士服の生地は1m=€100(¥15000)前後で、着分3.5mで€350に裏地・釦・資材・送料を入れて材料費はせいぜい€450(¥67500)くらいだろう。
1着を作るのに何時間もかかるから、ビスポークスーツが高い理由のほとんどは人件費だ。
因みにどれだけ服の値段が高価でも、のんびり縫っていたら最低賃金のバイトの時給よりも安くなるから気をつけないといけない。


好きなことを仕事にということ。
元々の将来の夢とは違うものになってしまったものの、僕は服作りが好きだ。生地と戯れる時間、服を縫う時間は落ち着く。人間を相手にするよりも気が楽で、生地は正直で嘘をつかないところがいい。
だから服作りのこの仕事は技術面でいうと好きな仕事だ。
好きなことを仕事にする時に心配だったのが、飽きたらどうしよう、嫌いになったらどうしよう問題だった。しかしいざやり始めて続けてみたら、そのような不安は今の所ない。いつも新しい発見と次回への課題が見つかるからだ。
では何が問題でこんなところに書いているのかというと、

それは僕の自己肯定感の低さに繋がるこの仕事の社会的意義の低さだと思う。
どれだけ技術を磨いて確固たる自信を持っても、その技術を使用できる服が高価になり、買ってくれる顧客が限られてしまうと、自分は社会の役に立っている、人の役に立っているという社会的意義が感じられない。
「人間は」と主語を大きくするつもりはないが、少なくとも僕は好きや技術を磨くことだけでは生きていけない。
誰かの役に立って社会に貢献する、それが必要なのだ。
富裕層の舌を唸らせることでは、それを叶えることができなかった。
その点ではシアターの服作りは少し違う。舞台の上で実際に観客と対面するのは演者や音楽家、バレエのダンサーだが、彼らが着る服を作ることで間接的にホールの熱気と感動を生むお手伝いができている。
一人の“持っている人間”ではなく、不特定多数の数百人に同時に感動を与えることができる点で、シアターの仕事はやり甲斐がある。
これは公共性というのだろうか、だからシアターやオペラハウスはgGmbH (日本でいう社団法人か公益法人?)なのだ。

シアターではたくさんの観客が見る舞台の衣装を作り、同時に職業訓練生に紳士服を教え、工房ではより身近な人々に服を縫い、身体障害者も着ることのできる衣服のアイデアやプロトタイプを生み出したり、お直しの注文を受けたり、最近は洋裁教室を始めた。

これらは全て自分を正常に保つための取り組みだろう。だから全て引っくるめて自己満足といってしまえばそこまでだと思う。でも今はそれでいい。

自分の目標のため、最終的な夢のため今という時間が大切なのだ。

因みに僕はマイスターになって以降婦人服も勉強し始めた。婦人服は全く紳士服と縫い方が違い、早く縫えることが分かった。
早く縫えるということはそれだけ価格も抑えられるのだ。

紳士服も障害の等級に応じて最大材料代だけで注文を受ける。
なぜなら体が不自由だと病院や装具やその他諸々の生活で通常以上にコストがかかるからだ。

僕はお金というものは最低限生活するのに必要な分だけあればいいと思っている。だからそれ以上はいらない。
そしてそのお金は取れるところから取り、取れないところからは取らないのが理想だ。

本当に服を必要な人がいて、もしその彼彼女が僕を頼ってくれるのであれば無料で服を作ることだって厭わない。

技術の対価としてお金をもらう、そうして産業が成り立っているのだから無料はよくないと日本にいた時によく先生にいわれた。
しかし僕の行為が産業の破壊に繋がっているとは考えていない。僕はしっかり通常のビスポークスーツを2ピース€3000(税込€3570)という価格を付け、それは崩していない。
だから僕の行いが間違っていないと僕は信じている。

お前それでも本当にプロか?甘いなあと思われるかもしれないけど、注文洋服界のブラックジャックにならせてくれよ

他にも自分の仕事のことについて書き始めると終わりがない。
でも今日は4000字を超えたし、ここで切ることにする。

最後に、僕は努力して勝ち取ったマイスターという称号と磨いた技術を、一人でも多くの困っている人のために使いたいだけなのだ。
それが多くの方々の力を借りて僕があの大きな事故から助けてもらって今生きている意味だと思っている。









この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?