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昭和の記者のしごと⑮記者に求められるもの

第1部第14章 記者に求められるもの


 

放送記者と新聞記者はどう違うか


よく質問される、放送記者と新聞記者がどう違うか、という問題を考えて見ましょう。私の考えでは、放送記者と新聞記者は、「何を」「いかにして」取材するかという面から見ると、業態はほぼ同じ、と言えます。つまり、いずれも特ダネを取ることを本旨として(実際に特ダネが取れるかどうかは別にして)、取材体制が組み立てられています。NHKの放送記者について言いますと、もともとNHKが戦前、自主取材をしないまま通信社等からのニュースを伝えたことを反省し、戦争直後、自前の取材組織を作ろうと、新聞記者をモデルとして誕生させたものです。したがって、新聞記者と似ているのは当然、と言えます。
メディアとしての放送は新聞と比べますと、電波を使っての即時性と、音や映像を使う表現方法の立体性、幅広さなどの特徴を持っています。プリントメディアである新聞に比べ、記録性ではかなわない、と言われてきましたが、ビデオ技術の発達で、その差はなくなってきました。
しかし、放送記者はこうした放送の特徴をいったん棚上げし、新聞記者と共通の土俵に下りて、秘密のベールに覆われた特ダネ獲得競争に熱を入れています。おそらく放送記者の大多数は、同じ社内の、番組の制作に当たるディレクターより、社外の、新聞記者に対して同業者意識を持っているのではないでしょうか。
本来、放送記者と新聞記者のもっとも大きな違いは、取材の3要素のうち「どう表現するか」にあることは明らかでしょう。そして表現方法の大きな違いが、「何を」「いかにして」取材するか、についても少なからぬ違いを与えるはずで、放送記者は本人が自覚する以上に新聞記者とは違う、と言えるでしょう。
しかし、私は、ここで放送記者と新聞記者の違いを強調するより、記者とは取材をする者である、と定義をすれば、放送記者も新聞記者も同じだと考えたいのです。そしてあらためて取材を「何を」「いかにして取材し」「どう表現するか」の3要素に分解したうえで、現代の記者がその本来の役割を果たしているか問うてみたい、と思います。
 

記者に求められるもの


21世紀の日本はどうも調子がよくありません。国家社会の骨格が揺らいでいる感があります。一番の得意技だったはずの経済が不調です。GNPが中国に追い抜かれること自体は人口の差もあり、致し方ないことでありますが、日本社会が若者に的確な報酬を伴う十分な雇用を提供できないのはまったく情けないことであります。
そして我々は、戦後日本は公正、公平な点では世界でもトップクラスの社会だ、と思い込んでいました。ところがいつの間にか、いわゆる先進国の中でも最悪と言えるほどに所得格差が広がってしまっています。日本は社会構造の根本的な改革、改善が必要なことは明らかですが、そのためにはどうしたら良いのでしょうか。「政権交代」で政治家や官僚に期待するだけでは何も変わらないことも学びました。国民が自ら考え、もっと意見を言わなければなりません。
そして国民が自ら考え、意見を言うには、もっと多くの、幅広い、正鵠を得た情報が必要です。それを可能にするのはジャーナリズムであり、端的に言うと記者であるはずです。
記者にはまず、いま「何を」取材すべきか、何が必要な、求められている情報なのか、自分の頭で考えてほしいと思います。そのためにはもっと、勉強する心が必要です。現状は、噂話的人事情報、いわゆる政局的な情報が多すぎ、日本の将来を見通す政策的な情報が少なすぎるのではありませんか。
日本の記者は何故勉強が足らないのでしょうか。私が学生時代に読んだ、朝日新聞記者出身の評論家・細川隆元氏の「実録朝日新聞」(中央公論社、昭和33年=1958年刊)の中に、興味ある指摘が載っています。戦前、昭和11年までの7,8年、朝日新聞の政治部長をした野村秀雄氏、戦後、NHKの会長もした人ですが、この人が硬派(政治部など)の取材スタイルを作り、その取材スタイルが後々まで、ジャーナリズムのあり方に影響をおよぼしているというのです。
「野村型を一口でいうと、朝から晩まで、早朝から深夜まで、取材先を足で歩き回って、原稿を書くのが夜の12時前後という行き方である。・・・訪問と張り番と自動車おっかけの連続だった。寝ても起きても種(たね)、種、種である。この取材技術、活動方法は、いまでも日本の新聞界に根強く残っている・・」(「実録朝日新聞」)
種とは、取材対象であるファクト(事実)のことです。
「こんな取材技術は、おそらく日本特有のものであろうと思われるが、こういった型にはめられた新聞記者は、よほど自分で注意するか、別に修養の時間を作らないと、まったくの種拾いの記者に堕してしまう危険がある」(同)
半世紀以上前から、日本の記者は取材は熱心だが、勉強しない、という批判が内部からあったわけです。そしてその批判が、今も相当程度当たっているのが残念です。記者は特ダネ獲得を目指して種の取材を四六時中続けるのを本分とするという考え方は、今も日本のジャーナリズムを支配しているのではないでしょうか。それが問題なのは、記者がものを考える時間を奪ってしまうことです。そして、種を追っかけているにもかかわらず、どんな種を追っかけるべきかー何を取材すべきかは、考えなくなりがちです。
取材先に密着するので、警視庁とか、検察庁、はたまたある政党、ある政治家といった特定の取材先の取材を専門にする記者は沢山います。しかし、あるテーマを専門として取材を続けている、専門記者は驚くほど少ないのです。その結果、勉強せずとも取り組める噂話的人事情報、政局的情報を取材するウェートがバランスを失するほど高まり、日本の将来を見通す政策的な情報の提供が少ない、ということになります。
そして「いかに取材すべきか」。取材先(権力)との癒着はいけません。仲間内の談合も許されることではないでしょう。ここでは、記者クラブの問題を避けるわけには行きません。前書きで触れましたように、記者クラブはもともと、強すぎる官僚に対抗するため生まれたものです。私の経験でも、高圧的、と言いたくなるほど姿勢の高い検察を取材する時、記者クラブがつっかい棒になったことは否定できません。
しかし客観的には、記者クラブは競争を制限する、談合組織と見られてもやむを得ません。それが問題なのはまず、間違いなく記者の取材力の低下につながることです。それだけでなく、記者クラブの枠の中での取材に安住する中で、新たに何を取材するか=何がニュースかを考えるのを放棄することにつながってしまうことが問題です。
私が25年前、チームを組んで外国人労働者問題を取材し、長期シリーズで放送したとき、新聞、テレビを問わず、どこの社もこれほど重要な問題の取材に、まったくと言っていいほど取り組んでいないことにびっくりしました。理由は簡単、記者クラブの取材対象でなかったからです。記者クラブの取材対象でなかったのは、この問題を官庁がどこも担当していない、したがって他社が取材しないから、自分も安心して取材しない、という事情でしょう。
日本の少子高齢化が進み、全人口の中で労働力人口(15歳~64歳までの人口)の比率が大幅に減少していく中で、外国人労働者の受け入れは経済の行方を左右する大問題です。にもかかわらず、高齢者介護の分野にアジアの労働者を受け入れる問題を見ても、日本の腰が定まらず、非現実的な厳しい受け入れ条件を設けて、せっかく来てくれた若者たちの反感を買うだけになっています。こうなったのは外国人労働者問題について論議が足らず、国民的合意が出来ていないためです。それについて政治家、官僚の怠慢を指摘するのはやさしいとしても、問題提起をして、論議を巻き起こす役割を果たしてこなかったジャーナリズムー記者の責任もまた重いでしょう。
記者クラブはもともと無用のものだった、というのではなく、時代とともにプラスよりマイナスが大きくなり、その役割を終えつつある、と考えるべきではないでしょうか。
「どう表現すべきか」。新聞記事も、テレビのニュースも、話題ものはともかくとして、政治や経済をはじめとする硬派の分野では、どうしてああ難しい表現がまかり通っているのでしょうか。あの難しい表現で、誰に伝えようとしているのでしょうか。いま、「わかる」とか「やさしい」という冠のついたニュース解説や近現代の歴史解説の本が異常なほど売れています。ニュースの背景を知りたい、という国民の意欲を強く感じるとともに、多くの人が既存の新聞記事やテレビのニュースではよく分からない、と思っていることの現われではないでしょうか。
しかし私は、この記事やニュースが「わからない」というのは、単に、分かりやすい、やさしい言葉を使うかどうかの問題ではない、と思っています。取り上げる問題の背景を歴史的、世界的広がりの中で捉え、十分伝えているかどうかの問題です。どう表現するかは、すでに触れましたように、何を取材するか、の問題と密接に関係しており、その判断を間違えなければ自ずから説得力のある表現が可能になるでしょう。
このように見てきますと、記者にとっての現代の課題は、「何を」「いかに」取材し、「どう表現するか」の取材の3要素に分解して考えても、すべて「何を」取材するかの問題に収斂していくように思われます。
記者は、何を取材すべきか、日々自分の判断が問われています。そしてそのことに正面から向き合うかどうかに日本の将来がかかっているー記者たるものはその様な自負を忘れてはならない、と思います。

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