簫錦文さんにお会いして(1/2) ー インパール作戦、白色テロを生き抜いた錦文さんの人生

※2016年11月8日に書いたブログ記事の転載です。


台湾ツアー最終日、あるおじいちゃんにお会いしました。

簫錦文(しょうきんぶん)さん、91歳。
以前から一度お会いして話を聞きたいと思っていた方で、
それがこの台湾ツアーで実現できました。

以前から知っていた・・・というのは、
実は錦文さんは台湾好きの日本人の間で有名な方だからです。
というのも、日本兵、そして白色テロの被害者として壮絶な人生を歩まれ、
それを多くの日本人に伝えている方なのです。

錦文さんの人生、そして今現在のご様子や言葉にとても感動しました。
多くの人に知ってほしい!と思い書きます。



お会いしたのは10月24日、
数ヶ月前に足を怪我されてしまい自宅から遠出するのが難しいとのことで、
自宅に招いていただきました。

台北からバスで1時間。
初対面の私たちをにっこりと優しい笑顔で迎えてくださいました。


何度も奇跡的に生き永らえた
錦文さんの人生

錦文さんは、大東亜戦争に日本兵として従軍されました。

格好良い兵隊に憧れていた錦文さんは、
17歳のとき、おばあさんの印鑑を内緒で持ち出して応募したそうです。
倍率がとても高かったためまさか自分が受かるとは思っていなかったのが、
なんと合格。

数年間(確か3~4年)の訓練を経て、
ビルマでのインパール作戦に従軍することになります。

インパール作戦は、とにかく「ひどい」作戦だったとのこと。
空軍は壊滅状態のため空からの援護もなく、
食料の補給もままならない・・・

飢えや病に苦しみ、
10万人の日本兵のうち約3万人しか生還できなかったと言われるほどです。

「本当にみじめだった」と錦文さんは繰り返しおっしゃっていました。
私たちには想像もできないですね・・・

ある日、敗走していたときに
喉が渇いて我慢できず、錦文さんは象の足跡にたまっていた雨水を飲んでしまいます。
それがもとで伝染病にかかってしまい、生死の間をさまようことに。
そして、病院で終戦を迎えることとなりました。

壮絶なインパール作戦を生き残り、
伝染病による生命の危機をなんとか乗り越えて、
終戦後に戻った祖国。

やっと平和な生活が訪れる・・・
はずだったのですが、
またもや、命の危機にさらされることになります。


ニニ八事件

白色テロ


という言葉を知っているでしょうか?
知っていなかったら、調べてください。

ここでは詳しくは省きますが、
簡単に言えば、日本の後に台湾に入ってきた国民党が
台湾に住んでいた人々を大量虐殺した事件です。

錦文さんは、これに巻き込まれることになります。
国民党に追われる叔父さんが逃亡したため、その行方を捜すために
錦文さんが捕らえられ、拷問を受けることとなってしまったのです。

銃でたたかれ、その傷口は化膿し、
時には濡れたタオルを顔面にかぶせて、
水につけて窒息されられたり・・・

そしてある日、目隠しをされ腕を縛られてトラックに乗せられました。
これは銃殺場に行くためだと知っていた錦文さんは、
とうとう銃殺される、、と覚悟したのですが、
間一髪、その危機を逃れます。

というのは、「台湾で裁判なしで死刑が行われている」という情報を入手した
国際機関(?だったと思います)の監査が
ちょうどその時に入ったのだそうです。

なんというタイミング、、、

間一髪、銃殺の危機を免れた錦文さんは
その後、釈放されますが、
唯一の兄弟である弟さんを白色テロにより亡くされています。



インパール作戦、伝染病、白色テロ、、、と
本当に死の淵を何度も味わいながら、生き抜いてきた錦文さん。

何度も何度も、

「絶対に戦争はしてはいけない。
 戦争は本当にみじめなもの。
 人間が人間じゃなくなる。」


と強くおっしゃっていました。


その言葉は、胸に深く重く響きました。
 

長くなったので、次回に続きます!






*次回の台湾ツアは、1月13〜15日または13〜16日を予定しています!
 詳細は今月中に発表します。

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