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自分史 自業自得と時々外されちゃう梯子⑲

この記事は続編です。ここに至る経緯はこちら
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ちょっとサボった反動で、文章が多くなってしまいました(笑)
お時間のある時にお読みください。それではどうぞ。

社会人時代編2 ダイジェスト(2500字)

・身の振り方、光射す方向は
・組織の中で働くということ

新卒入社をした業界大手の遊技台メーカーを1年ほどで退職し、充電期間を経て、少しニッチで畑違いではあるが業界トップの機械メーカーへ再就職。研修期間が終わり、希望通り営業部へ配属されたが、面接時に受けていた説明と若干の違いに気が付いた。

そんなところから始まる。

新卒入社の際に失敗した事前の確認を可能な限り済ませ、あとは飛び込んだ職場がどうなっているのか、不安要素はそんな一種のガチャ感覚だけ。
結果から言うと当たりではなかったのかもしれないけれども、それは今の僕にもなかなか判断が付かない。

採用面接の場で可能な限り職場の空気を知りたくて、営業所長に職場を案内してもらった。建物も間借りしている物件で50年ほど経っているようなので、広さは十分にあるがとにかく古い。デスクなどの備品、給湯室、床など全て。ただ、各個人に支給されているPCや営業に必要なものは全て良いもので、各営業マンには外出用のノートPC、モバイルルータ、社用スマホ、営業車(これは土地柄だと思うが、某国産メーカの大型SUV)が与えられるようだ。営業活動に支障が出るどころか、営業活動に専念できるように万全の状態が維持されているようだった。

あとは実際に実務でどうなるか。ここだけ。
今後はOJTのような形で営業同行をし、少しづつ独立して営業活動に移っていくと説明を受けていた。しかし、配属初日に告げられた業務は過去に大口だったユーザーにカタログを届け、製品説明をしてくるというタスクだった。移動時間はなんと車移動で往復ほぼ8時間(笑)

製品知識も万全ではない新米の当時の僕には、なかなかハードだった。

営業マンの装備としては正直一流なものを与えられていたと思うが、やり方自体が古いタイプだったか、とかなり早い段階で悟った。

結果から言うとペーパーレスの時代にコピー機を乱れるように使い、いつもデスクの上にはあふれんばかりの注文書や見積もりのFAX。メールで済む内容も電話、直接こちらから出向くか、アポなしで訪問してくる有様だ。ひどい時だと朝から晩まで電話しっぱなし。人生で初めてiPhoneの履歴が1日で全て埋まった。


そんな会社、業界に少しづつ馴染んでくると全体の風潮として商売の仕方が古いということがどうしても気になった。
これはほぼ100%がBtoBで商流ががっちり決まっているため、明確な競争が起こりにくく、お互いの信頼の上に成り立つこと前提になっていることに起因している。(例えば、顧客側:昔買ったことがあるから、今の値段が高くなっていても、前と同じ値段にしてくれ。 販売する側: その代わり他所に注文しないでね?) こんな感じの忖度で雁字搦めの業界だ。購買力のある会社がFAXだ!といったらFAXを使わざるを得ないみたいな感じと思っておいてもらえば問題ない。

年商は〇百億の企業だが、仕事の規模感でいえば、製品自体が何十万もするものであることはあまりなく、どちらかというと細かい製品を組み合わせて、一つの大きな設備(システム)を構築する。または部品の供給がメインの仕事だ。(僕個人が経験してきた範囲としては数十円から1千万弱)

しかし、皮肉なことに、単価が安い案件=部品のみ、単価が高い案件=設備となるのだが、単価が安い案件の方が手間暇が段違いに多い。

部品の特定が困難な古い機械(古すぎて資料がないなど)の問い合わせや、生産終了している部品であれば、顧客に了承を取った上で似ているものを作るために設計部門、生産管理部門、場合によっては外注などチャンネルを複数同時にこなさなければならない。普通のメーカーであれば、生産終了しているので…と断るのだろうが、いかんせん購入する側の声が大きい。


そして、商流としてはメーカー(僕)←商社←販売店←販売店←販売店←顧客みたいなことも起こり得るので、顧客と直接つながっている販売窓口とメーカー以外はすばやく伝票を通すことだけが業務になっていることも多い。

つまり往々にして、メーカーに丸投げになりやすい構造になっていることは想像に難くないだろう。取り扱う製品自体に専門知識が必要なことも理由としてあるだろう。僕は営業で採用され、特筆するスキルは持ち合わせていなかったが、独学でJW-CADを覚えた。(簡単な図面を書く、すでにある図面をいじる、数値を見る、いじる程度だが)
そうでもしないと、とてもではないが顧客の要望に応えることは出来ないと考えたからだ。いちいち社内で設計部門に説明をして、図面を作り上げるなんて余裕はなかった。それよりも僕が大枠の図面を書き、構造上問題はないか、製作上問題はないかをチェックしてもらうという風に設計や管理部門の仕事を減らしてあげることが作業のショートカットに繋がった。今にして思えば、僕自身もそうだが誰一人余裕がない状態だったのかもしれない。

そして、業界の特性として、補足すると高齢化+せっかちな人が多いことが挙げられる。とにかく待つことが出来ない。案件の大小に関わらずだ。
自分を1番に考えてくれないと怒りだす。正常な社会通念を持っている人は感覚だと7割程度かと思った。逆に40代以下なんかは理解がある人が多く、非常に助けられた。とはいえ、次第に業務量は雪だるま式に増えていき、結局日付が変わるころまで働くことも多くなってしまったが、理不尽なことには慣れていたし、正直前職と比べたらそれでも天国だった。前職よりかは早く帰社出来ていたし、社内に「敵」というか他人を蹴落としてでも上を目指す競争相手はいなかったのだから。その代わり、社内に居たのは「他人」だけだった。事なかれ主義。前職とは真逆の後ろ向きで保守的な風土。

そんな中で僕の孤独な戦いが始まった。


つづく

~~~マガジンにまとめてみました~~~
自分史 自業自得と時々外されちゃう梯子


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