興味の移り変わりの話

コンテンツ・物事の規模がでかくなればなるほど私の心は離れていきます。

「私の心地良いと思える範囲でとどまってほしい」というわがままだということは分かっています。でも疲れちゃう。

ある好きだったはずのエンタメコンテンツへの気持ちが、その規模や盛り上がりが大きくなっていくにつれ薄れていき、「やっぱり観ればよかった」という後悔はしっかりあるのに、「別にいいか」の気持ちも強くて、なんだか後悔が後悔になっていないような不思議な感情です。

でもやっぱり今思うと観ておけば良かったなあ!絶対面白いでしょ。絶対私が好きなジャンルなんだもん。でもやっぱり熱量はそこまでないな。


これは、数年前に好きだった声優に対しての気持ちと符合するところがあります。

この説明、上手に言語化できれば符合すると思った理由を分かりやすく説明できるのですが、なにせ下手なので軽くだけ触れておきます。
(伝わればラッキーだし、伝わらなければ私の言語化・文章力不足なのでそれまで)

私にとって、その人の声や演技の良さはもちろん、ラジオや生配信でのバラエティー的な振る舞いもとても面白く、ラジオは欠かさず聴いていました。

しかし数年後、想像していたよりも知名度が上がるなど、私が心地良いと感じるラインを超えてしまったことで、確実にあるタイミングを境に徐々に気持ちが薄れていきペラッペラで透明なものになり、跡形もなくなり、ラジオ終了とともにスッとその人に対する興味はなくなりました。

このときは後悔はなく、「別にいいか。案ずることはない、ついにそのときが来たということだ」と思う程度で、私は他に居場所を見つけ、そこから活力を享受するようになりました。


こうやって気持ち・熱量・興味が薄れていく経験をするのは、私の人生において珍しいことではなく、昔から何度も経験していることです。

アイドルにハマっていたときは、最初から薄れていくことを承知の上でした。

ハマり初めの時点で既に「きっと5年後くらいには興味がなくなっているだろうな、続いてたらそれはそれでラッキーだな」と思いながらアイドルのファンになっていました。

Aへの気持ちが薄れたらB、Bへの気持ちが薄れたらC、Cへの気持ちが薄れたらDというように流動的に興味が移っていき(推し変)、見事勘は的中。

こちらもきれいに水に溶けるように、しっかり5年後には気持ちがなくなっていき、別の場所に居心地の良さを見いだしていました。

ここでも、「やっぱりね~。そんなもんだよな」と思う程度で、次の居場所へGO。

たま~に昔のMVを観たり曲を聴いたりして「あの頃だからこその良さが~」と懐かしさに浸るのは今でも好きです。


アニメ作品に関してもそうで、アニメ放送終了後もずっと話題が尽きることなくブームが続いて、さまざまなコンテンツとタイアップしたりするなど、アニメファンではない人にも当たり前のように届くようになると、なぜか嫌気が差してきて気持ちが失せていきます。なんなんでしょうか。

商業として考えれば、これはたくさんの人が関わって心血注いで汗水流して時間をかけて作ったコンテンツを短い期間で消費させない、ということであり、幅広い人に知ってもらうということも悪いことではなく良い面もあります。

今までにないところにまでリーチさせなければ、続けることだって容易ではないことも分かっています。

「まだ私が若くて尖っているからこんな気持ちになるのかな」と思います。本当に直したい。

歳を重ねれば直るのでしょうか。


こうやって経験してきた事柄に共通することは、

コンテンツ・物事の規模が大きくなること

決して熱しやすく冷めやすいタイプではないのに、熱を注げなくなってしまうのは確実にこのことが絡んでいるでしょう。

やはり私にはユーザーの数が大きいコミュニティより小さいコミュニティの方が性に合っている、ということ。

私にとっては鶏口牛後ではなく鶏間牛後くらいがちょうど良いのです。

当たり前ですが、私のような末席のユーザーごときが気の迷いで何か行動を起こしたとしてもごまめの歯ぎしりでしかなく、コンテンツをコントロールできるわけではない。そんな当たり前のことにどこかもどかしさを感じるのでしょう。


毎回何かに対して気持ちが薄れるたびに、なぜ私はそうなったのか分析大会が繰り広げられるのですが、規模が大きくなることがどれに関しても言えます。

抽象的な話になりますが、ある好きだったはずのエンタメコンテンツも、以前であれば一番盛り上がるところだけではなく、その一段階前のところから楽しみにしていました。

興味がなくなることのファクターには自分の成長やライフスタイルの変化もありますが(子供向け番組をいつのまにか観なくなったり)、ある好きだったはずのエンタメコンテンツに関しては、近年の異様な盛り上がりがファクターなのではないかと考えました。

それが市場原理なのだからしかたがない。

本当は、今までのように楽しみたい。

でも、いろんなノイズが入ってきたり、目に見えて盛り上がりが以前と違うのです。

そうなると私の性格上、気持ちが離れるのは必然。

驚くことでは全くないのです。

見方・言い方を変えれば、そうなってしまうくらい好きだった、とも見れるし言えます。

好きだったからこそ、こうなる。

ぼんやり好きレベルだったらならない。

実際、今聴いているラジオの中にはぼんやり好きレベルの人のラジオもあります。

そのラジオは好きだけど、それ以外は端から興味がない。だからその人が最初から規模のでかいところにいても、とんでもなく有名になろうとも私にはノーダメージ。

外野から腕組みしながらフーンと話を聞く感じ。

めちゃくちゃ好きだったら、ラジオ以外、たとえばコラムやYouTubeなどにも触れないと気が済まないから、それらがわがままな私の許容できる一定のラインを超えると心が離れてしまうのです。

一種の防衛なのかもしれません。



抽象的な話だったので終始何を言っているのか分からなかったと思いますが、伝わりやすさは別として、なんだか久しぶりに1つの話題で熱量高く書けた気がして達成感のある記事になりました。

結局、私って自分のことを一番に考えてしまっているなあと反省します。

わがままなのは承知ですが、まだまだ未熟な私にはそのときに私が心地良いと思える範囲でとどまってくれているものが最高の居場所なのです。


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