昔からの歯がゆい話

誰にでもあることですが、自分が真剣に思っていることをしっかりそのまま相手に受け取ってもらえないことが昔からとても悔しいです。

私の人間性がそうさせているのか、話し方が悪いのか。


小学生のときに、趣味に関して「私は広く浅くより狭く深くが性に合ってる」と言ったら、大人に「一丁前なこと言いやがって~(笑)」とあしらわれたこと。

私は真剣な気持ちで言ったのに、たぶん小学生・子どもであるということだけで、本気で受け取られなかったんだろうと思います。

そんなふうに受け取られるなら言わないほうがマシだ、という考えに至り、不健全ですが、自分の言葉を発することを控えるようになりました。

だからこんな人間が出来上がった。

真面目な性格なので、真剣な気持ちが伝わらないことがどうしてもやっぱり悲しかったのです。

自分で言うのもなんですが、言葉にしない・口に出さないだけで、小学生の頃から周りの同年代の人よりは、諦観とまではいかなくてもそれに近い思考をしていたのではないかと思います。

でもやっぱり大人から見れば、「小学生だから、考えていることはどうせこの程度のレベルだろ」となめられていたのかな。

そんなことはなくて、私は変な形で大人の思考に片足突っ込んだ謎目線で物事を考えていた、ある種の自負があるので小学生という生き物を十把一絡げに考えないでほしいし、今もその目線は健在です。


最近はさまざまな物事に関して意見を言うとき、「そんなこと言うようになって、大人になったんだね~」と言われることもあります。

見た目だけじゃなく内面の成長も感じての発言だということは推察できます。

確かに、言うようになった、というか言語化できるようになったり、発言することに対して少しは自信がついたりして、言えるようになったことはその通り。

しかし、心根で思っていることは小学生の頃からほとんど変わっていません。

なので、今だから言えるようになっただけで心の中では昔から思ってましたけど?!という気持ちもあります。

それと同時に、私の日々考えていることが分かられていなかったんだな、と考えを言葉にしてまとめることの重要性を省みます。

昔は許せなかったこと・譲れなかったことが適度にどうでもよくなって許容できるようになって、確実に考えが変わった部分もありますが、小学生のときから私に通底している思想は変わっていません。

変わっていないということは、たぶんそれは私が人生で大事にしたい考えなんだと思います。


結局は、怖がらずにちゃんと言語化をしないとな、と反省。

何が言いたいのか分からなくなりましたが、私の本当の思いと相手から見える私の思いに齟齬があるのは歯がゆくて辛いな〜という話でした。

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