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HOSONO HOUSEの歌詞と時間感覚

 最近レコードを聴く機会が増え、はっぴいえんどや大瀧詠一をかけているうちに細野晴臣のソロ作品をLPで聴きたくなってきた。

 はっぴいえんど解散の翌年にリリースされたHOSONO HOUSE。ソロアルバムとしては最初の作品だが、それまでの経歴から想像がつく通りこの時点で既に洗練されている。YMO以後のテクノを取り入れた作品も良いが、バンドの音が好きなので聞く回数はこの頃のアルバムのほうが多い。

 耳触りがよく、普段は音として聴き流してしまう言葉を一字一句逃さずに追っていくと、驚くほどにわずかな場面の描写に時間をかけていることに気づく。

朝焼けが 燃えているので
窓から 招き入れると
笑いながら 入り込んできて
暗い顔を 紅く染める
それで救われる気持

細野晴臣「終わりの季節」

 レイハラカミによるカバーも有名な「終わりの季節」の一部。朝焼けの光が窓から差し込んで来たという時間としての幅はない一場面を描写した歌詞だが、これだけで5行、時間にして40秒近く使っている。目に入った光景を取り込んで解釈するのに、これほどまでに時間をかけることができるだろうか。インターネットに常時接続されて溢れた情報に翻弄される現代人の私には到底できそうにない。

おまえの中で 雨が降れば
僕は傘を閉じて 濡れていけるかな
雨の香り この黴のくさみ
空は鼠色 恋は桃色

細野晴臣「恋は桃色」

 こちらも美しい景色が想起される歌詞だが、一行嗅覚の描写が入ることでその風景は一気にリアリティを帯びる。「恋は桃色」というタイトルからは直球なラブソングを想像するが、歌詞を見てもそうだということは明示されていない。人と向き合っているのか自然と向き合っているのか判然としないが、この目線の人物はそのどちらとも丁寧に触れ合うことのできる豊かな心を持った人間だろう。

 70年代の人々はみな周りの風景をじっくり見渡すような緩やかな時間感覚のもとに生きていたのか、それとも細野氏が特別物事の端々に気を配ることができるなのか、私にはわからない。だが、日々大量の情報を処理するので精一杯で、視界にうつるものディティールを無意識に切り捨ててしまう生活がスタンダードになっている現代からすると、とても豊かな世界観を持っているに思える。

 細野氏は音楽性の評価が高く、近くに松本隆という大作詞家がいるために詞に注目して聴かれることは少ないかもしれない。改めて文字に起こした歌詞をみて魅力に気がついた人は、ゆっくりと、よく時間をかけて聴いてみてほしい。


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