アフリカでお手伝いさんを雇う
2003年から2006年にアフリカのジブチに青年海外協力隊員として派遣されていた香田有絵です。
アフリカで、人生で初めてお手伝いさんを雇うことになった。
急にお金持ちになったわけではない。必要だったわけでさえない。
先方から是非にと頼まれたのだ。
なかば強制。
当時わたしは、貧困地域の婦人会で識字教育をしていた。
ジブチ人女性の中には、学校教育を受けていない世代がある。
鉛筆の持ち方を知らない人もいた。
わたしはその人たちにフランス語の識字教育をすることを思いつき、実践していたのだ。
その中の1人が、ある日わたしに話があるという。
女性「あなたには大事な仕事があるのだから、お手伝いさんを雇うべきよ。わたしの娘を雇ってちょうだい」と。
まさかの申し出に笑った。
小さなアパートの1人暮らしで、自分のことは自分でできる。
人を雇うようなお金は協力隊員にはない。生活費だって足りないくらいなのだ。
でも、「時給が低くても、ちょっとだけでも、とにかく雇って欲しい」のだと言う。働き口がないのだと。
頼んできた女性は毎日識字教室に来てくれて親しくしていた人だったし、家に食事に呼んでくれていたし、どうしてもと言うし…だんだん雇ってあげないといけないような気になってきた。
何より「自分がアフリカでお手伝いさんを雇う」というシチュエーションに興味がわいてきた。
で、その娘さんに週に2日来てもらうことにした。
何事も経験と言いますしね。
まず、女性の家に行き、娘さんとそのお姉さんに会う。
彼女たちは学校教育を受けている。
姉の方が、1カ月分のバス代の前払いをまず要求してきた。
「交通費がないと、バスに乗ってあなたの家まで行けないわ」と。
それがどうも高い。30日分の往復運賃だと言う。
仕事は週に2日だけだということ、バス代は週ごとに渡すことを説明した。給料は月末ということも一緒に話した。
お姉さんは不服そうだったけれど、ここは譲れない。
「もしこの条件で無理なら、わたしは協力隊員で裕福ではないから雇うことはできないの。ちゃんとした勤め先を探した方がいいと思うわ」
でも他にどうしても勤め先がないから、わたしのところに話が来ているのだ。
外国人の家で働くことは実績となって、次が見つけやすい。
お手伝いさんとして来るはずの娘さんは、「わたしは仕事をする人間になったのね」という喜びに満ちている感じ。
じゃあ、来てもらおうじゃありませんか。
初日、わたしは彼女にしてもらうことをいくつか用意した。
もともとしてもらうことはないので、用意しないといけない。
食器洗いと掃除、できたら洗濯もかな?
食器は1人分なのでもちろん自分で洗える。だからわざわざ残しておいた。
でも、少しは思っていましたよ。
家事をする時間が減ったらわたしももっと時間ができる。
すごい幸運が舞い込んだのかもしれないと。
でもそれは大きな間違いでした。
だって何もできない、何も知らないのだから。
つきっきりで一から教えてなくてはならないことがすぐ判明した。
食器洗いも掃除の仕方も、洗濯の仕方も何も知らない。
家でお手伝いさえしたことがないのかもしれない。
わたしだって、専門的な知識があるわけではないけれど、とにかく基本的な家事の1つ1つを1からやって見せることになった。
・食器の洗い方。どのような手順で、どのくらい水を出して、どのくらいスポンジに洗剤を適量つけて、どのように洗い、すすぎ、どこに置くか。
・食器を洗ったスポンジは、食器専用。決して、決して、それで床を洗ってはいけない(床を掃除するときに同じスポンジを使おうとした)
まるでお手伝いさん養成学校。
洗濯の仕方も一からだ。
うちには洗濯機がなかった。普通のジブチ人と同じ暮らしをしようと、洗濯機を買わなかったのだ。
正直に言うと、シーツや布団カバーなど大物を洗うのは結構たいへんだったので、彼女に洗ってもらったら楽だなと思ったりしたのだ。
でも洗濯の仕方も一から教えなければならない。
その上、彼女が洗濯した後はバスルームがびちゃびちゃだ。
座って洗濯することになるからと先に掃除したバスルームも改めて拭きなおし。
どうにかこうにか一緒に作業する。
暑い国なので仕事をすると汗をかく。彼女が着替えを持ってきていたので、シャワーを浴びて帰っていいわよと言ったら喜んでシャワーを浴びていた。
「じゃあ、また明後日ね」と充実感いっぱいで笑顔の彼女を見送って、ふーっと溜息をついてバスルームに入ったら、そこはまた水浸しになっていた。
「ちょっと待ったーーーー!!!」階段を下りていく彼女を呼び止める。
お手伝いさんの浴びたシャワーの後をわたしが掃除したら、全く意味がないじゃないか。
シャワーの浴び方と後始末も教えないといけないのだった。
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