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アフリカで識字教室ー考えるよりやってみよう。わからないことだらけだけど。

フランス、ランス在住の香田有絵です。

青年海外協力隊でアフリカにいたときのことです。

2年間の配属先はカルティエ・セット(第7地区)の「婦人教育と貧困対策のための協会」(以下婦人会)でした。
下の写真がその婦人会の建物と近所の子供たち。

ここで何をするかは、わたし次第なのだと配属されてからわかりました。

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料理や裁縫教室、コンピューター教室、貧困対策の活動、何をしてもいいというのですが、道具はなにもありません。

「なにかやりたければ必要な道具はあなたかあなたの国が援助してください」ということなんですね。

では道具がいらないことをといっても、女性たちとの関係が作れていないうちからエイズや割礼の教育などというのは敷居が高く感じました。

そこで、まずは識字教室を開くことにしました。

当時2003年ごろのジブチの35歳以上の女性は、学校教育を受けたことがありませんでした。
婦人会に属する多くの女性が、学校に行ったことがないというのです。

識字教育、必要そう。でもわたしにできるのか?

フランス語は大学で習ったまま放置、ジブチに派遣される前に3ヶ月研修を受けただけのわたしが、ソマリ語話者の女性たちにフランス語のアルファベット教育というのは荒唐無稽な気がします。

でもソマリ語にはもともと文字がありません。
ジブチの公用語はフランス語とアラビア語。街で見かけるのもそのどちらかです。
まったく知らないアラビア語よりは、フランス語の方がまだできそう。

すぐにできることが他にないのなら、少しでもできそうなところからやってみようと、早速はじめることにしました。

婦人会勤務の20代の女性2人がアシスタントについてくれます。

彼女たちはソマリ語が母国語な上に小学校からフランス語を習っているので、彼女たちが教えた方がずっと早そうですが、「教えるなんてできない」のだそうです。

ではわたしがやりましょうとも。

はじめると決めたとはいえ、当然ですがわからないことばかりでした。

まず、教室の時間を決めるところから。
A(わたし)「何時がみんなの都合がいい?」
F(婦人たち)「アリエの教室だから、アリエに合わせるわ 」
A「じゃあ、午前中にしましょう。10時からはどう?」。
F「午前中は昼食の準備や小さい子供の世話があるから無理よ」
A「じゃあ午後はどう?14時くらい」
F「午後は暑すぎて昼寝をしなきゃ」
A「ということは夕方?16時頃はどう?」
F「夕食の準備と子供たちの世話があるわ」
A「じゃあ、夕食が終わった18時半頃はどう?」
F「アリエが言うなら、その通りにしましょう」

やっと時間が決まりました。
と言いつつも18時半には誰も来ないのです。

なぜなら、それはお祈りの時間だったから。
イスラム教徒の彼女たちにとって、お祈りの時間はなにより大切です。

でも18時半と言われて19時半に来るのは彼女たちにとっては遅刻に入りません。
それで18時半でもいいと彼女たちは返事したのです。

結局識字教室は19時半ということになりました。
婦人たち「アリエが決めた時間に従うわ」

次に、物を大切に使うということを切にお願いすることになりました。

ペンとノートは買えない人もいるというので、その分はわたしが用意します。

でも、その配ったペンを人に渡すときに机の上に投げたり、考えるときにかじったり、家に忘れたり、ぼろぼろにしたりするのです。

「わたしの少ない生活費から買ってるから大事にして欲しい」と伝えましたが、大事にするということがあまり伝わらないようでした。

壊れたら新しいものをもらえると思っているみたい。
援助慣れしている部分もあるのです。

そして、ペンやノートは買えなくても、身の回りの物は買えるんです。
あれ、昨日と違う時計している、なんてことも。
「これ、昨日買ったのよ」って自慢気に。

なんとなく気づいていました。この識字教室はわたしのためにやってるんじゃないかって。
わたしが配属され何かしなくてはならないから、やっているのかも。

みなさんはありがたいことにそれに付き合ってくださり、もし楽しくて得になることがわかったら、継続してきてくれるかもしれないという状況なのです。

それでもいいと思いました。
識字教育の大切さは、まだわからない人にはわからない。
それは当然。
だって教育を受けたことがないのだから。
でもわたしにはわかっている。
ならば、やってみようじゃないの。

やってみたら、発見がたくさんありました。

まず「学校教育を受けたことがないということがどういうことか」ということ。
ペンの持ち方を知らない人がいるだけでなく、学ぶために座っていることができない人もいるのです。

はじめの頃、A、B、Cと一字ずつ読みながら書いてもらいました。

20分くらい経つと、
F1「ちょっと買い物があるから行ってくるわ」
F2「わたしもー」

そうでしょうね。
想像するに買い物に行ったら帰ってきませんよね。

A「少し休憩していいから続けましょう。今日はEまでやらない?」
F「アリエの言うとおりに」。で、Eまでで終わり。

それでも、来てくれるだけでも大成功なのです。

実は識字教室が始まる前日、大臣立ち合いのもと百人近くの女性たちが集まって祝賀会を開いてくださいました。
取材まで入ったんですよ。

ごちそうが並び、みんな口々に「文字を習うのを楽しみにしている」と言ってくれました。

でも教室の初日、来た女性は3人だけでした。

昨日の人たちはどこへ?
「みんな家のことがあって忙しいのよ」

どうも前日は取材のために食事を用意して人を集め、大勢に来てもらっていたようなのです。

なにかもらえるでもないのに女性たちが毎日集まるなんて無理なのだろうか。
識字教室は自然消滅だろうか。

ところが2日目に4人、3日目は5人と少しずつ増え、2週間ほどの間に少ない日でも10人~多い日は20人もの女性たちが集うようになりました。

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4日目の昼間先輩の協力隊員に事情を話したところ、5人でも大成功だよと言われていました。
学ぶことの価値がわからないから、人は集まらなくて当然と。

ならばと婦人たちが継続して来てくれるために、なるべく楽しく時間を過ごしてもらえる工夫をしました。
座っていることもできない人にも、「勉強するのは楽しい」と思ってもらわなければ。

わたしのパフォーマンスの基準は「ディズニーランドのアトラクションのお姉さん」。
とにかく明るく、楽しく、わくわくできるように。

なのではじめは興味なかった人も噂を聞いて来てくれ、来たら家にいるより面白く、女性だけで集まって家族に気遣うこともなく、街頭テレビを見るより楽しいと続けて来てくれたのではないかと思います。
婦人会活動をしているという大義名分もあったかもしれません。

そして、学ぶ楽しさも少しずつわかってくれた気がします。

生徒は年齢もレベルもさまざまでした。
生まれてからペンを持ったことがない人がいる傍ら、アラビア語なら読み書きできる人もいます。

年齢も30代後半から50代後半くらい。

一番困ったのは、アミナという女性でした。

文字と数字の区別も彼女だけは何度説明しても分からず、A(アー)、B(ベー)、C(セー)と書いて、行がかわるとDと書いてあっても「アー」と読むのです。

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何週間か経って他の人が名前を書けたり、単語を覚えるようになっても、彼女だけは変わりませんでした。
でも識字教室のことは気に入ってくれているようで、毎日通ってくれます。

とても気のいい人で、できなくてもしょげる様子もなく、毎日繰り返し楽しそうに同じことをしていました。

いつも楽しそうだけど、このままでいいのかな?
何か違うやり方をしてあげたいけれど、どうしたものか。
アシスタントの子たちが説明しようとしても、すぐわからなくなり、「いい、書くから」と繰り返していました。

ところがそんなことが3カ月続いたある日、急に彼女が目を見開いて「わかった!」と言ったのです。

文字Aとアーの発音が一対だということ、それがAminaという名前に使われているということ、1、2、という数字とは役割が違うということなどなど。

そのときになってはじめて、でもその一瞬にしてぱーっとわかったようでした。

彼女は笑っていました。
手品のトリックがわかったような、秘密を知ったような陽気な笑いでした。

わたしはと言えば、(ご想像いただけるかと思いますが)涙が出ました。
ヘレン・ケラーの「うぉーたー」を聞いたサリバン先生もかくや、です。

3カ月長かった。
でも、意味のある3カ月でした。

もしあのときアミナの発見がなかったら。
それでも彼女はきっと毎日来ていたと思うのです。

でも、やっぱり成果が出てよかったと思います。

学ぶ楽しさを知り、書いてあるものが読めるようになり、子どもたちが学ぶ大切さも身をもってわかったでしょう。

この教室にはアラビア語はすでに読み書きできる人もいて、「フランス語も書けるようになって嬉しいわ」と言って瞬く間に上達を見せてくれたりもしたのですが、わたしにとってはアミナの発見は何より印象深い瞬間でした。

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残念なことにこの識字教室は、婦人会がカナダの援助でネットカフェを経営することになり、まもなくして強盗が入ったことから、夜間は危険ということで取りやめることになってしまいます。

なのでわたしが教えられたことは、本当に初歩の初歩。

座って学ぶ時間をとること。
ペンを持つこと。
学ぶ楽しさ。
アルファベットと名前や簡単な単語だけ。

文法は始めてもいませんでした。

でも、この識字教室がきっかけで婦人たちと仲良くなり、その後の活動がしやすくなります。

ちょっとだけでも、何か意味のあることができたのではないかと思うのです。

アシスタントの女の子たちも、わたしのやり方を数ヶ月見て、「わたしにもできそう」と言っていました。
そう、やってみたらできるんです。
やるかやらないか、自分次第なんです。

人生には「そんなことが自分にできるだろうか」と思うことがあると思います。

そんなとき、「できるかどうか」考える時間はもったいない。
やってみなければわからない。
やれば何かしら学びがあります。

成果がでなければやり方を変えればいいですし、その時やめてもいいのです。

フランス語初心者の日本人のわたしが、ソマリ語話者にフランス語の識字教育。

荒唐無稽の試みでしたが、やってみてよかったと思います。

なにより、教室でアルファベットだけでも教えることになって真剣にフランス語を勉強したおかげで、ジブチの3年の滞在中に、小学校からフランス語を習っていた婦人会の同僚たちより、フランス語がうまく読み書きできるようになりました。

その識字教室で一番学んだのは、わたしだったかもしれません。

今日は金曜日。あしたはなにをしよう?



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