見出し画像

そうだ、アフリカに行こう

この夏で、フランス在住14年になります。
今でこそ、当たり前のようにフランスで生活しているわたしですが、そもそも日本を出た日というのが存在します。

最初に暮らした国、それはアフリカのジブチ共和国でした。
アフリカに行ったからこそ、わたしがわたしになった」と思える、人生を変えた出来事が3年間の生活の中にはあります。

今考えると、「価値観の違い」から学びを得たことばかりです。

身の回りの価値観の違いに悩まれている方、戦争や紛争など価値観の違いがもたらす世界問題に関心のある方、海外生活に興味のある方に、考えや行動のきっかけとなったら嬉しいです。

1.この世界で、わたしは無力だ。アフリカで一人泣き崩れたわたしを救ってくれたのは?

ジブチで得たのは、成功体験ばかりではありません。
失敗の中から痛い思いをして学んだこともあります。
それこそ、わたしにとってかけがえのない経験となりました。
小さな事件でしたが「世界に対する自分の無力」を心底感じることとなりました。そして無力なときにも自分がどう行動できるか知ることになりました。

その朝のこと


その日も灼熱の晴天のもと、職場に向かって歩いていました。
ジブチ市内の道端には、行商やオレンジを絞って飲ませる商売の女性たちが列になって座っています。
いつものように、わたしは彼女たちと言葉を交わしながら歩いていました。

ジブチはほとんど危険のない国ですが、毎日周囲に気を使っていました。でもその日は少し油断していたのでしょう。
道端にいる女性たちの一人と話した後、顔を前に向けた瞬間のことです。

反対から歩いてきた人とすれ違い、その人がすっと手を上げわたしの頬に触れたのです。そしてそのまま歩き続けていきました。

あれっと振り返りながら、頬が痛いことに気が付きました。痩せた浮浪者風の男が逃げるでもなくゆっくりと歩いていき、その手にはちょうどおさまるくらいの石が握られているのが見えました。

殴られたというほどの勢いもなかったのです。それでも当たったのが石なので頬に痛みを感じました。男は何事もなかったかのように歩いていきます。

このままなかったことにしようか。頭のおかしい人かもしれない。大きな被害に遭ったわけではない。数秒考えましたが、心が納得しませんでした。
じんじんと痛みも湧いてきて、触ると頬が少しすりきれているようでした。

決心するでもなく、大声で「ポリス!!!」と叫んでいました。
警察官がいるのかもわかりませんでしたけれど。現地の言葉、ソマリ語は何も浮かびませんでした。

持ち前の大きな響く声が幸いし、一人の警察官が走り出てきました。男が去って行こうとしていた、ずっと向こうの建物の後ろから。

様子を見ていた女性たちが、駆けつけた警察官に「あの男が」などと説明してくれ、男はすぐに捕まりました。ふー。厳重に注意してもらわないと。

思いもかけない事態


ところが、そこでわたしの予想しなかったことが起こったのです。
警察官は男を捕まえると道の真ん中に引き倒し、ためらうことなく鞭を振り上げて思い切り叩き始めたのです。
鞭を振り上げつつ、わたしの前に男を引きずるように連れてきました。

男が、目の前で鞭で打たれている。
わたしのために、です。

思いもしなかった展開でした。
警官がその場で罰を下している。鞭で打っている。その事実に動転しました。人の尊厳や人権というものが尊重されない世界が目の前に展開されているのです。

「止めて!止めて!」と思わず叫びました。
気が付くと大勢のジブチ人に囲まれています。わたしがポリスと叫んだときから、どんどん集まって来ていたのでしょう。黒山のひとだかりの真ん中に私はいました。

警官は手を弱めました。
不思議そうに。
残念そうにも見えました。

大勢の前で外国人に危害を加えた男を処罰している、自分の活躍を見せられる絶好の機会だったのかもしれません。

叩かれた男は、弱々しく笑っていました。痩せた初老の男で、漫画の神様のようにも見える白い長い服を着ているのですが、やはり少し頭がおかしいのかもしれません。

頬はどんどん痛く、男は群衆の中で鞭で叩かれ、わたしは大勢の見知らぬジブチ人の見世物になっている。
そのあまりにも生々しい現実に、わたしは自分の存在と価値観を脅かされる恐怖を感じていました。涙が勝手に流れていました。

「ここから抜け出したい。離れたい。一人になりたい」。
ただその思いでした。
わたしが止めたので警官が「許すのか?もういいのか?」と聞いてきます。

「もういい、とにかくやめて」。
平静を装おうとするのも限界です。
とにかく手を止めさせようと必死でした。怒りが消えたのかわかりません。でも、目の前で男が鞭打たれるという事実に耐えられず、叩かれた男が哀れでした。

自分が日本を遠く離れ、まったく価値観の違う国にいることを恐ろしく感じていました。
男は弱々しくも立ち上がると「ごめんなさい」と言い、へらへら(としか言いようのない笑い方で)握手を求めてきました。

握手?
わたしを殴った相手と握手しなければならないの?
許さなければならないの?

でも許さなければ、彼はまた鞭で打たれるかもしれない。わたしのために。
わたしはそのことに加担するの?

許すことは本意ではないのです。でも、人が鞭で打たれることに加担はできません。
そんなことはわたしの人生にあってはならない。
大勢の人が集まった以上、何か事態を終わらせる行為が必要なことも感じました。

外国人が被害にあい、男がつかまり、格好の見世物です。
事態がどう収まるのか、みんな興味津々で見ているのです。

わたしがこの男を許したことを示さなければ、警官も群衆もおさまりそうにありません。
仕方なく手を出し、握手しました。

男は得意そうでしたよ。群衆の中で日本人と握手できて。
一件落着。

「もうこれで終わり。わたしは帰るわ」と警官に告げ、その場から逃げるように抜け出し、家に向かいました。

どうしたら立ち直れるのか


家に帰って鏡を見ると、表面上は軽いかすり傷でしたが、じんじんと痛みが増し腫れてきていました。氷で冷やしても、痛みはすぐにおさまりません。

痛みのためなのか、ほっとしたからか、気が付くと床の上で号泣というほど泣いていました。体が震え、ただ泣く動物のようでした。

なんでもっと気を付けておかなかったのだろう。自分の不注意を責めました。

同時に男が警官に鞭打たれている姿が頭の中を占めていました。
この地球上には、そういう世界が存在する。もっと厳しい国も存在する。それは一つの価値観。あり方。
それに対してわたしはあまりにも無力だ。そういう世界は続いているのだ。

いろいろな思いと共にしばらく泣いて泣いて、そのうち泣いているだけの自分に、「泣いていても解決しないぞ」という気持ちが沸き起こりました。
泣いているだけでは心を立て直すことはできないと感じてきました。誰かに話そうにも、その力はありません。話す程落ち着いていないのです。

痛み自体はそのうち引くでしょう。
たいしたけがを負ったわけでもありません。
わたしはこれからもこの国で過ごす。ならば今、自力で心を立て直そう。

立ち上がることもできず四つん這いで部屋の小さな本棚の前に行き、日本から持参していた本や、送ってもらっていた本を見渡しました。
何か読んで心を落ち着かせよう。

すがるように手にしたのが『それでも人生にイエスと言う』です。
ナチスの強制収容所を生き抜き、『夜と霧』で有名なフランクル博士の1946年の講演をもとにした本です。

わたしに起きたことは強制収容所とは比べようもないほど小さな事件です。家に帰り着いたわたしは、すでに安全でした。でも、その日のわたしにとっては世界が崩壊したような出来事で、強制収容所の人々に思いを馳せながら少しずつ回復するしかなかったのです。

自分よりずっと過酷な出来事を乗り切ったフランクル医師の言葉を読むことで、なんとか崩れそうな心を持ち直し、「人生にも、世界にもイエスと言いたい」。わたしの中に最後に残された、一筋の強い意思力でもありました。

そこに書かれた言葉は、わたしの心に、これまでにないほど響きました。

「最後の最後まで大切なのは、その人がどんな人間であるか」
「人生が生きるに値するか問うのは間違っている。人生こそがわたしたちに問いを提起している」
「人生がたえずそのときそのときに出す問い、人生の問いに答えなければならない」

読み進むうちに心がおさまり、いつの間にか涙も止まり、生きた心地が戻ってきました。頬はまだ痛く腫れも引いていませんでしたし、世界はさっきから変わっていませんけれど、立ち上がれると思いました。

人生には、想像もできないほどつらい事が、突然やってくることがある。
それは事故だったり、病気だったり、自然による災害だったり。
その理不尽さにあらがえないこともある。

でも、それでもその都度必要なだけ時間をかけて、人生にイエスと言わなければならない。
人生にイエスと言う方法はいくつもあり、ときには運命を受け入れ苦悩に耐えることで、人生にイエスと言うこともできる。
無力でも、無力な自分にできることをしていこう。行動していこう。

わたしは、普通の一日を送りたいと思いました。
職場に向かうところだったのです。身支度をし、再び家を出ました。

人生には、何が一番良い選択なのか、答えがわからないまま行動しなければならないことがあります。答えのない問いもあるでしょう。

アフリカでつらい思いをしたことがよかったと、言いたいわけではありません。
アフリカで誰もが危険な目にあうわけではないし、日本にいても過酷な運命に見舞われることはあります。

違う価値観に身を置くこと。
そのことが世界と人生を理解するのに、意味を持つと思うのです。

2.一緒に答えをみつけよう。議論に持ち込まず、相手が自分で腹落ちすることの大切さ

3年のアフリカ生活でわたしは、「相手の理解を得るためには、相手の価値観で話す」必要があることを学びました。
印象的な出来事を2つ、ご紹介します。

嬉しくないプロポーズ


その頃わたしは空前のモテ期を迎えていました(全然うらやましくない話ですので、安心してお読みください)。
どのくらいモテていたかというと、毎日、毎日、あらゆる人に交際や結婚を申し込まれていたのです。
「俺とつきあおう」
「ぼくと結婚しよう」
「うちの息子どうかしら」
「親戚にいい子がいるのよ」などと毎日、毎日です。

どんなにモテている人でも、ここまではモテないでしょう?
理由はお察しかと思いますが、わたしが特別可愛いかったからという訳ではなく(今よりずっと若くはありましたが)、日本人だからです。

日本人=お金持ち。
結婚してお金持ちになろう!楽な生活をしよう!一族郎党遊んで暮らせる!とイメージするみたいです。

言われる側としては、はじめて会った人に「結婚しよう」と言われてもまったく嬉しくありません。
毎回、考えずに「あり得ない」と断っていました。

ジブチの方々もダメ元で言ってくるので、大抵それで済みます。
ところがある日それでは引き下がらない人が出てきました。

「自分はどうしても日本人と結婚したい。君とつき合いたい」というのです。正直な人ですよね。日本人と結婚したいのです。

はじめはわたしも「出会ったばかりの人と結婚できない」「街で声をかけてくる人とつきあう気はない」と返答していたのですが、相手は「じゃあまずはデートしよう」「どこで出会えばいいのか」としつこく食い下がってきます。

これではらちがあかないと方針を変え、相手の価値観に合わせ、しっかり納得してあきらめてもらうことにしました。以下二人の会話です。

わたし「あなたがそこまで言うなら、わたしもちゃんとお答えするわね。もしあなたが本当に真剣にわたしとお付き合いし結婚を望むなら、協力隊の事務所に出向いて、そこから正式に、日本にいるわたしの父に申し込んでください」

彼「お父さん?」

わたし「そうよ、ジブチでも結婚は親の承諾が必要でしょう?」

彼「もちろん必要だ。(少し考えて)お父さんは、サムライか」

わたし「(今は日本にサムライはいないけど、先祖や魂はという意味では)そうよ」

彼「(頭の中に映像が浮かんでいるようで)父親は刀を差しているのか」

わたし「(彼の発想に笑いがこみあげてくるのを抑えながら、嘘はつかなくていいようにイエスともノーとも言わず、言葉を選んで)日本のこと、よく知っているのね」

彼「もちろんだよ。学校で 勉強した。東京、京都、広島、長崎。映画の将軍も見たよ」

ジブチでは、日本が戦争で負けて焼け野原から経済大国になったことも学校で学んでいるのだそうです。

彼「サムライかあ。刀かあ」
彼の中でイメージが広がっているようです。
彼「ハラキリとかあるんでしょ。結婚申し込んで切られたりとかあるのかなあ」

わたし「それは、父次第ね」

ジブチの対岸イエメンは、今でも男性たちは腰に刀をさしています。姿は違えど現代のサムライたちがいるのです。刀をさすサムライの姿は想像しやすいのでしょう。

彼「結婚を申し込むにはお金が必要か」

わたし「それも父次第ね。ジブチでも結婚する時にお金かかるんでしょ?」

彼「うん、すごくかかる」

彼はそこで気づいたようです。
豊かになるために結婚できたらラッキーと思ったのに、結婚するのに大金がかかるばかりか、命がけなのは割に合わないと。

彼「そうか、よく考えてその気になったら事務所に行くよ」

わたし「(彼が絶対来ないだろうことをちょっと残念に思いつつ)そうね、真剣なら父に頼むしかないわね」

やっと彼は納得して去っていきました。

相手の誤解を利用したのは確かですが、嘘をつかず、相手を非難することなく、望む結果を得られました。

この時、相手の価値観、世界観で納得してもらうって大事なことだなと気付きました。

自分の価値観を押し付けるだけでは、言い争いになります。戦争にだってなります。

価値観の違う人とどう問題を解決するのか。そんな経験を身をもってできた出来事でした。

急に止んだお節介


窓枠の修理に来た、顔馴染みの職人さんと話していた時のことです。

その頃わたしは今の夫と婚約していて、それを職人さんは知っていたので、結婚しないのか、子供を早く作れと会うたびちょっとうるさかったのです。

この時もはじめは「時期が来たら」とか「そのうちに」などと言葉を濁していたのですが、しつこくなってきたので議論することをやめることにしました。

といっても深い意味はなく「わたしにもわからないわよ=神のみぞ知る」くらいの気持ちで、イスラム教徒である職人さんに「インシャ•アッラー」と言ったのです。
アラビア語で「神の思し召しがあれば」という意味です。

職人さんは、はっきりとわかるほどにビクッとして、急に神妙な面持ちになりました。

「そうだ、そうだ。インシャーアッラー。それは神の領域だ。自分などが意見を言って申し訳なかった」と返事してきました。

あまりの変容ぶりに、言ったわたしが驚きました。
それ以来、職人さんがわたしに結婚や子供の話をすることは一切なくなったのです。
相手に納得してもらうってこういうことなんだなと、改めて思いました。

言葉や理屈で説得しようとしても限界があるのです。
相手にも相手の理屈や世界観があります。「世界観」対「世界観」でヒートアップしかねません。そうやって戦争も起きますしね。

どちらが正しいということで争っては、問題は解決しません。どちらも正しい。正しさがそれぞれ違うのです。

言えることは、どちらの正しさも完璧ではないということ。

お互い不完全なのです。だからどうしたら相手も腹落ちするのか、相手の価値観で考えて、落としどころを見つける必要があるのではないでしょうか。
 
ジブチの人とは価値観が大きく違うところがあるので、そのことに気づき易かったのですが、きっと日本人同士でも同じですよね。

相手はどのような価値観でそのことを言っているのか、どこにいい着地点があるのか、しっかり向き合うことが大切なのだと思います。

3.世界がわたしに開かれた日(人との出会いで一番大切なこと)

3年の生活の中でもとりわけ印象深いことの1つ、ジブチに到着したばかりの頃のことです。

このエッセイの表紙の写真は、青年海外協力隊員として派遣された婦人会の方々との1枚です。
このような楽しい充実した日々も、「あの一瞬」があったから。

雨の跡のカルティエ7

その朝、わたしは職場に向かうところでした。前の晩にそれはものすごい雨が降って、あたりは一面のぬかるみと水たまり。それでも到着して間もなかったので、休もうとは思わずに、早朝家を出たのです。

上の写真は同じ日の別の地区。ここはまだ人が通れるところがありますが、そのときわたしが歩いていたところは、道路の真ん中が水に埋まっていて、塀沿いのわずかに盛り上がったところをそろそろと進むしかありませんでした。

角を曲がってしばらく進んたところで、わたしは前方に気配を感じて顔をあげました。「まずいことになった」。

向こうから、男が一人こちらに向かってきているのです。そろそろと。

男性とか、男の人という雰囲気ではなくて、得体のしれない外観の「やから」という感じ。

頭に汚れたターバンのようなものを巻き、長い髭をはやし、手には杖を持っています。黒人なのは明らかですが、ジブチ人よりも肌の色が黒く、服装も違い、何人かもわからない。

なにより、「苦虫を嚙み潰したような顔」というばかりでは足りない、怒りを耐えたような表情をしていました。

この男は何のためにここにいるのか。この後どういうことになるのか。
いろいろな悪い想像が浮かびました。
わたしはあの杖で殴られるかも?襲われる?まだ来たばかりなのに。

レストランも水没しそうなカルティエ7

道幅が広く普段なら道の反対側を歩くこともできますし、いざとなれば走って逃げることもできます。なにより、こんなに早く外に出たりしない。

なんで朝早く出発してしまったのだろう。なんで誰もいないの?
日本人的にいい子ぶって早く出発した自業自得なのですけれど。

どうしよう?と言っても、自分でどうにかするしかありません。
わたしに提示されている選択肢は限られています。

①そのまま前に進む→男と触れ合うほどの至近距離ですれ違うことになる。棒でなぐられたり、水たまりにつきとばされる可能性あり?
②そろそろと引き返す→男は追いかけてくるかも?
③水たまりにはまって男をよける→男は水たまりにはまっても追いかけてくるだろうか

さあ、あなたならどうしますか?

わたしは、①。そのまま前に進むことを選びました。本能の選択。
逃げるのも、水たまりにはまるのも嫌だったからです。

急いで頭を巡らせ、どうせならと男に挨拶することにしました。
でも、何語で?
フランス語?英語?ソマリア語?アファル語?アラビア語?日本語?
言葉だけでもこれだけ選択肢があるのです。

男の髭と杖と帽子でイスラム教徒だろうと判断しました。
だったら、アラビア語でいってみましょう。ジブチの公用語の一つはアラビア語。挨拶くらいはこの時点でも知っていました。

そう考えながら、そろそろ進むうち、その時はやってきました。
覚悟は決まった。運命の一瞬を勇気を持って乗り越えよう!

そのときのわたしとしては、正真正銘命がけです。

ここはもう、一世一代の笑顔で!
「アッサラーム・アライクム」と明るく大きな声で挨拶しました。

と、そのとき。世界は開かれたのです。

空気が変わり、男も急に顔をくずして満面の笑顔になりました。
そして「ワー・アライクム・サラーム」と返事してくれました。

一気に2人の間の緊張がとけましたよ。
親しく、一緒に世界を変えた同士の気持ち。
好意の塊りのように近づき、ハグまでしてしまいました。

挨拶したものの、わたしはアラビア語を知りません。
彼はフランス語はわからないようで、英語で話すことになりました。

「今日からお前はわたしの友達だ。なにかこの辺で起きたら、わたしの名前を大きな声で呼びなさい。必ず駆けつける」と言ってくれました。
得体の知れないなどと言って失礼しました。
アフリカ他国の大使館の門番さんでした。

わたしは恐怖から解放されただけでなく、強い見方も得て、最高に幸せな気分でした。

わたしはこの時、アフリカでの日々の基本精神が決まったと思います。

本能に従う。
本能が危険だと言ったら一目散に逃げる。
でも本能が行けと言うなら、前に進む。
相手の良心を信じ、笑顔で相手と向き合う。

それは、幸い成功しました。
アフリカの3年間でいろいろな人と親しく付き合うことができましたし、街を歩いていても必ず誰かが見ていて、何かあるたび助けてくれました。

逃げていたらどうなったか。
彼は追いかけてはこなかったでしょう。ちゃんと職のある方でしたしね。
でも、わたしが逃げたこと、わたしが相手を不審者とみなしたことは、相手の心にもわたしの心にも残ったことでしょう。

その結果を、わたしは偶然2年後に知ることになります。

日本人の隊員仲間と街を歩いていたとき、彼が不思議な様子で言うのです。「今日は石を投げられないし、変な言葉もかけられない」と。

その隊員は、2年も心を閉じて歩いていた結果、よそ者を嫌うジブチ人から石を投げられたり、からかいの言葉を毎日のようにかけられていたと言うのです。

毎日そんな目に合っていたら、心が病んでしまいます。彼はジブチが嫌いだったし、ジブチの人を憎んでいた。それでも義務だからと2年じっと耐えていました。おそらく、一度も心の扉を開けることなく。
だから、彼に扉が開かれることもなかった。

あのとき覚悟を決めて、命がけで笑顔になってよかったのです。

海のラクダ

違う環境に身をおくと、普段とは違う景色が見えるだけでなく、自分がどういう人間で、本当はどのような価値観を持っているか、どれほど変わるものか見えてきます。

頼りないと思っていた自分の、思いがけないたくましい姿に出会えるかもしれません。
思いもかけない、自分のへなちょこぶりにも出会うことでしょう。

いざとなったら思い切って、本能に従い、世界を信じて行動しよう。
まずは笑顔で挨拶を!
そこにはきっと、新しい世界が待っています。

IMG_0877雨上がりのヤギ

世界には本当にいろいろな価値観がある。興味は尽きません。

#創作大賞2023 #エッセイ部門

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?