新潟旅行(その2、朝)

 新潟駅に着いてまず南口広場の方へ出ると、そのまま道なりに進んで、大きな通りに合流するところで右に折れる。スマートフォンの地図アプリで確認したところ、この通りは県道52号線らしい。道路沿いにはスーパーマーケットや地元のラーメンチェーン店、携帯電話ショップなどが立ち並び、いかにも地方都市の主要な道路という感じだ。再び大きな交差点に行き当たる。ここを右折すれば昭和大橋につながる道に入り、それを超えると新潟県政記念館や白山公園に行くことができる。
 昭和大橋から信濃川を見る。河口付近でさざ波を立てて穏やかに流れる川面が、朝の日差しに照らされてちらちらとまぶしい。川沿いは緑地や歩道がきれいに整備されている。進行方向である信濃川左岸には、川に面するようにマンションが並んでいる。市民の生活に近い河川なのだろうなと思う。

昭和大橋から望む信濃川


 橋を渡るとすぐ新潟県政記念館に着く。令和4年12月から令和9年度末にかけて耐震工事中とのことで内部や展示を見学できないのは残念だが、明治16年に建立され、県会の議事堂として使用されたという擬洋風建築は、その白亜の美しい外観を眺めるだけでも文明開化の息吹を感じさせてくれる。

新潟県政記念館(正面)
同上(右側)
同上(左側)


 新潟県政記念館は白山公園に隣接しており、そのまま白山公園に入る。白山公園は、明治6年の太政官布告により日本で初めて開設された都市公園(今年は都市公園制度150周年の記念すべき年だ。)のひとつで、その開設には新潟県の2代目県令(今でいう知事。)である楠本正隆の尽力によるところ大であったらしい。この楠本正隆、稀に見る政治的手腕の持ち主だったようで、わずか3年強というその県令在任期間中に、この白山公園(当時は新潟遊園)の開設のほか、悌輔騒動(新潟県及び柏崎県で起きた農民一揆)の鎮定、柏崎県の新潟県への併合、日本で最初の県議会の招集、第四国立銀行の設立、各種公共事業の施工等を行い、新潟の近代化の礎を築いた人物であるという。
 大きな公園ではないが、点在する石碑やふたつある池、ところどころに置かれた石燈籠、昭和天皇が行幸時に手ずから植えた松など、見どころは多い。特に蓮の池は見事で、蓮が花をつける7月頃はきっと壮観だろうと思わされた。来園者も少なく、時間もたっぷりあるため園内をのんびり見て回った。

ひょうたん池
蓮池


 白山公園をひと回りしてから白山神社を参詣する。白山神社は新潟の総鎮守。鎮守社とは、その土地を守護するための神を祀る神社である。白山神社の祭神はその名からわかるように菊理媛神(くくりひめのかみ)。この神は白山比咩神と同一視される。石川県の霊峰白山(ここに白山比咩神社がある。)から勧請して新潟の地に祀ったことが由来と聞く。
 拝み終えそのまま当て所なく歩き始める。スマートフォンで面白そうなところがないか検索すると、北方文化博物館というのが気になる。豪農の邸で、ここからはかなりの距離がありそうだ。ただしこの時点でまだ10時にもなっていないため、とにかく行ってみようと決心する。徒歩で4時間弱とあっては、さすがに歩いていくのは現実的な選択肢とは思われず、足を確保するため再度新潟駅を目指すことにした。
(続く)


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