ねものろーぐ

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最近の記事

風の博物館(掌編)

 町のはずれに「風の博物館」と呼ばれる場所がある。この町の住民なら誰でも名前は知っている。けれど、誰も入ったことがない。館長は初老の男性。お祖母ちゃんが、今のぼくと同じくらいの年齢の頃からずっと、館長は初老の男性だったらしい。館長は町のみんなに愛されている。控え目で礼儀正しく、いつも静かに微笑んでいる。みんなは敬意を込めて、「館長さん」と呼ぶ。館長さんのことは、名前も、年齢も、家族構成も、声さえも全然知られていなくて、でもみんな、そうした謎を謎のまま受け入れて、たのしんでいる

    • 『ステラ・マリス』について

       コーマック・マッカーシー。現代アメリカ文学を代表する作家のひとりで、アメリカ南西部を舞台に、会話文に引用符を用いず、句読点を極端に排するのを特徴とした乾いた文体で、人間の孤独と世界のあり方を書く。よく知られているのは、それぞれ映画化もされ好評を博した『すべての美しい馬』、『血と暴力の国』、『ザ・ロード』だろう。個人的には、国境付近で捕まえた牝狼をメキシコに返しに行く16歳の少年ビリーの、喪失と世界との対峙を描いた『越境』が一番好きだ。その彼の遺作が、『通り過ぎゆく者』と今回

      • 多恵(創作)

         思えば、昔からぼんやりすることが多かった。周囲と打ち解けているようでいながら、そうして場に馴染んでいる自分の姿を、他人のように眺める瞬間がよくあった。浮いているのとは違ったけれど、どことなく上の空で、話を聞いていないのかと相手を怒らせることもあり、友人と呼べる間柄は数えるほどしかいなかった。  多恵とは大学のクラスで出会った。数少ない気の合う連中と気侭にやっていた榊と違って、多恵は日頃から、クラスメイトやサークル仲間など大勢の友人に囲まれていた。向こうがこちらをどう見ていた

        • 私の最愛の海外文学10選(その3)

          https://note.com/cieletmer_clair/n/nc490850e6b94  これらの続きです。 7.獄中からの手紙(著:ローザ・ルクセンブルク、編訳:大島かおり、みすず書房) 獄中からの手紙【新装版】 | ゾフィー・リープクネヒトへ | みすず書房 (msz.co.jp)  ローザはポーランド生まれの革命家。スパルタクス団を母体にドイツ共産党を立て、指導的な立場にあったが、11月革命に続く1月蜂起の際に反革命義勇団により殺された。本書は、そのロー

        風の博物館(掌編)

          私の最愛の海外文学10選(その2)

           この記事の続きです。 4.手紙(著:ミハイル・シーシキン、訳:奈倉有里、新潮社) ミハイル・シーシキン、奈倉有里/訳 『手紙』 | 新潮社 (shinchosha.co.jp)  ミハイル・シーシキンはロシアの現代作家。  兵士として戦地にいるワロージャという男性とその恋人と思しきサーシャという女性との手紙のやりとりで物語は進む。「書簡体小説」という形式を用いたからこそのプロットの中で、愛、生と死、戦争といった人間にとっての根源的な問題を扱っている。また、「書く」とはど

          私の最愛の海外文学10選(その2)

          午後5時

           ♪ソソソラ ソソソミ ドドレミレ~ ミミソ ラドドラ ソソラソド~♪「夕焼小焼」、午後5時を知らせるメロディー。複数ある防災無線から流れる音楽が、ずれては重なり間延びしながら、傾きつつある日が名残とともに照らすまちを渡る。外出していると、帰らなければと思う。自宅にいるときは、もうそんな時間か、今日も終いだな、と(それから7時間近くは起きているだろうに、)なんとなく寂しい。  午後5時には、常に、ことばにならない切なさがつきまとう。明るいハ長調の旋律と、まだ日の残るなか点っ

          私の最愛海外文学10選(その1)

           すこし前のことにはなるのだけれど、旧Twitterにおいて、「#私の最愛海外文学10選」というハッシュタグが流れ、私は次のように投稿した。  改めて眺めても、我ながらいいラインナップだと思う。出来の良し悪しは別として(もちろん傑作ばかりを選んでいるつもりではあるけれども、)、誰に何と言われようと、たじろがずにその作品を愛していると言えるような作品たち。  書名だけを並べるのでは、芸も無ければ愛も感じられないから、一作につきひと言ふた言、簡単に個人的な思いを書いていきたい。

          私の最愛海外文学10選(その1)

          私の2023年

           今日は2023年12月31日。一年の終わりの日だ。単に暦の上の話で、昨日と今日と明日とで、何かが劇的に違っているなんてことはきっとないのだけれど、そうはいっても区切りは区切りだとも思うから、簡単に私の2023年を振り返りたい。  まず、様々な土地を訪れたなぁと思う。1月は長崎、3月は道東、4月は福岡、5月は徳島と京都、7月は高山、8月は岡山と山梨、9月は新潟、10月にはまた京都。  特に印象深いのは道東だろうか。釧路から釧網本線を徐々に北上して網走まで。新千歳との間を結ぶ

          湯気(創作)

           母方の実家で過ごした冬のある日、近所の氏神さまのお祭りに祖父が連れて行ってくれた。  国鉄マンだったという祖父は、実直で常日頃から厳しいひとだった。帰省している間は、食事中のテレビは御法度だったし、ちょっと騒がしくしたり駄々をこねたりするだけで叱られた。一度だけだが雷を落とされたこともあった。よく一緒にあやとりをしていた祖母とは違い、遊んでもらった記憶もほとんどなくて、私も少しこわがっていたように思う。けれどその日は、ことあるごとに私を気にして、欲しがるものを何でも買い与

          湯気(創作)

          『結婚/毒 コペンハーゲン三部作』(著:トーヴェ・ディトレウセン、訳:枇谷玲子)

           自伝的作品が好きだ。ミラン・クンデラの『生は彼方に』、マルグリット・ユスルナールの「世界の迷路」三部作(『追悼のしおり』、『北の古文書』及び『なにが?永遠が』)、ダニロ・キシュの自伝的三部作(『庭、灰』、『若き日のかなしみ』及び『砂時計』)、そして、イルマ・ラクーザの『もっと、海を――想起のパサージュ』。自伝的作品は、「自伝的」ではあってもあくまで「作品」なのであって自伝ではないところが面白い。自分の記憶や記録から作品世界を織り上げ、書かれる過去と書いている今の両方に同時に

          『結婚/毒 コペンハーゲン三部作』(著:トーヴェ・ディトレウセン、訳:枇谷玲子)

          新潟旅行(その4、新潟歴史博物館とか)

          (前回の記事から随分間が空いてしまったけれど、新潟旅行記の更新。)  新潟駅前のバス停で降りて観光案内所に入る。往復の新幹線チケットを旅行会社のパックで頼んでいたところ、当地の一部飲食店で使用できるクーポンが付いており、その引換えができる場所がこの観光案内所だった。それから、スマートフォンの電池の残りが危うくなってきていたため、新潟駅構内のChargeSPOTで充電器を借りて充電をしながら新潟島に向けて歩く。新潟島というのは、萬代橋を越えた先の信濃川左岸、日本海と関屋分水に

          新潟旅行(その4、新潟歴史博物館とか)

          「本好きの30問」

          ◆いま現在、読んでいる本 ⇒『侍女の物語』(マーガレット・アトウッド)、『カトリックの信仰』(岩下壮一)、『精選 神学大全1』(トマス・アクィナス)、『神の国 上』(アウグスティヌス)、『システィーナの聖母』(ワシーリー・グロスマン)、『愛と障害』(アレクサンダル・ヘモン) ◆次に読む予定の本 ⇒『歌わないキビタキ―山庭の自然誌』(梨木香歩)、『森』(野上彌生子)、『紀州 木の国・根の国物語』(中上健次) ◆積ん読のなかで1年後くらいに読むんじゃないかな?という本 ⇒『寓

          「本好きの30問」

          新潟旅行(その3、北方文化博物館)

           白山神社から25分ほど歩いて新潟駅に戻る。道中、新潟市のシンボルである萬代橋も通過した。洗練と風格が同居した意匠が印象的だ。  新潟駅前のロータリーでタクシーに乗り、「北方文化博物館までお願いします」と告げる。観光名所と思っていたが、運転手さんには馴染みがないようで、スマートフォンで地図を見せると「阿賀野川の近くですね。ここからだと遠いですが大丈夫ですか?」と訊かれる。HPで見たところ新潟駅から車で25分程度とあったので、それほど遠くもないだろうと思い、「大丈夫です、お願

          新潟旅行(その3、北方文化博物館)

          「aftersun/アフターサン」のこと

           ここ最近、こころを捉えて離さない映画がある。シャーロット・ウェルズ監督の「アフターサン」。観終えた後、呆然としてしばらく席を立てなかった。父と娘のきらきらとしたひと夏の思い出と、それに影を落とす孤独と死の気配に、眩しさと愛おしさと淋しさと切なさと痛さが綯い交ぜになった感情で胸がいっぱいになった。  今日はその映画について書いてみようと思う。胸がいっぱいになったという以上に何が言えるだろうか。これほどパーソナルな映画──それは、監督自身のための映画という意味でもあるが、それ

          「aftersun/アフターサン」のこと

          新潟旅行(その2、朝)

           新潟駅に着いてまず南口広場の方へ出ると、そのまま道なりに進んで、大きな通りに合流するところで右に折れる。スマートフォンの地図アプリで確認したところ、この通りは県道52号線らしい。道路沿いにはスーパーマーケットや地元のラーメンチェーン店、携帯電話ショップなどが立ち並び、いかにも地方都市の主要な道路という感じだ。再び大きな交差点に行き当たる。ここを右折すれば昭和大橋につながる道に入り、それを超えると新潟県政記念館や白山公園に行くことができる。  昭和大橋から信濃川を見る。河口付

          新潟旅行(その2、朝)

          新潟旅行(その1、到着まで)

           2023年9月20日(水)、ぼくは30歳になった。30歳というのは大きな境目だな、本当に自分がその年齢になることがあるのだろうか、と昔から漠然と感じてきたが、いざそのときになると呆気ないものだった。小学生の頃から誕生日には学校も仕事も行かないという自分なりのしきたりがあって、この日(を含む連続する3日間)についても前々から休みをとることにしていた。いざ何をしようかと考えたときに、せっかくだから好きなひとり旅をしよう、それも日帰りで一日フルに楽しむものを、と思った。  行先候

          新潟旅行(その1、到着まで)