湯気(創作)

 母方の実家で過ごした冬のある日、近所の氏神さまのお祭りに祖父が連れて行ってくれた。

 国鉄マンだったという祖父は、実直で常日頃から厳しいひとだった。帰省している間は、食事中のテレビは御法度だったし、ちょっと騒がしくしたり駄々をこねたりするだけで叱られた。一度だけだが雷を落とされたこともあった。よく一緒にあやとりをしていた祖母とは違い、遊んでもらった記憶もほとんどなくて、私も少しこわがっていたように思う。けれどその日は、ことあるごとに私を気にして、欲しがるものを何でも買い与えてくれた。いつものこわいおじいちゃんとは違って、他のおじいちゃんおばあちゃんみたいだなと思いながら、たこ焼きとうどんが好物だった私は、そのふたつをねだった。

 「お嬢ちゃんにサービスしたるわ」と、たこ焼き屋のおじさんが出来立てを二個もおまけしてくれた。かつお節をひらひら舞わせてゆらゆらと立つ湯気が、ソースと青のりのにおいを乗せて冬の冷たい空気をほぐす。ふわふわあつあつのたこ焼きをふうふうしながら二人で食べて、やけどしちゃうねと顔を見合わせて笑った。一口ごとに祖父との距離が縮んでいく気がした。

 お祭りで見かけることはあまりないうどんも、その神社では食べることができた。ふっくらと甘く煮たおあげの入ったきつねうどんを楽しみにしていたけれど、その日は売り切れてしまっていた。冷え込みが厳しい日だったから、注文するひとが朝から引きも切らなかったそうだ。たのしみが奪われたように感じて目に見えて落胆している私を励まそうと、きつねうどんに負けないくらいおいしくて温まるからと言いながら、祖父がとろろ昆布うどんを注文してくれた。

 昆布も好きだった私は、祖父のその言葉にわくわくしながら出来上がるのを待った。手渡されたお椀のなかを見ると、見慣れた昆布は入っていなくて、うどんの上にもじゃもじゃのへなへながあった。だしが染みた部分は黒くなっていて、とてもおいしそうには思えなかった。黄金色のきつねが恋しくなった。目の前にある得体の知れないものへの恐れと、きつねうどんが食べられなかった悔しさがこみ上げてきた。せっかく祖父が買ってくれたのがこんなのなんて。うどんを受け取ってすぐに顔を曇らせた私を困ったように見る祖父に対し、嬉しそうにできなくてごめんねと申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

 突然のどがせまくなって言葉が出てこない。ようやくこじ開けて「……いら、ない……こんなの!」と一言叫んだ。途端に、堰を切ったようになってそのまま大声で泣いた。きっとおじいちゃんに怒られる。

 ところが祖父は「食べないならおじいちゃんがもらうが、泣き止んだらお前も食べなさい」と言うだけだった。

 ひとしきり泣いたら、お腹が鳴った。きまりが悪くて祖父をちらりと見やると、視線に気づいて何も言わずに器を差し出してくれた。うどんと一緒に黒いもじゃもじゃをすすってみると、おつゆの中にほんのり昆布の味がした。不気味なものではないとわかったけれど、それでもやっぱり、甘いきつねうどんの方が好きだと思った。

 帰り道、祖父の自転車の後ろに備え付けられたチャイルドシートに乗って、足をぶらぶらさせていた。自転車ががたんと揺れた拍子に、いやな音がして、くるぶしのあたりに激痛が走り、鋭い光に当てられたように一瞬視界が真っ白になった。そのまま自転車が横転した。足を見ると白の靴下が真っ赤に染まっている。痛みと恐怖のことしか考えられなくなった。

 立ち上がった祖父が自転車を起こそうとして、痛い痛いと泣きじゃくる私を見つけた。祖父は慌てて、周りのひとたちに助けを求めたらしい。通りがかりのトラックのお兄さんが、その荷台に乗せて病院まで運んでくれたそうだ。私は痛みで気を失っていたから、お礼も出来ずじまいだった。緊急に何針か縫って、ガーゼの上から包帯でぐるぐる巻きにされた。痛みで当然歩くこともできず、祖父におぶさって帰った。

 家に着いたときの家族の顔はよく覚えていない。話を聞くに、祖母も母も仰天して顔面蒼白だったそうだ。祖父はそれ以上に真っ青で、震えていたらしい。私はというと、痛み止めが効いていたのか、こわくて考えないようにしていたのか、足のことには自分からは一切触れずに、とろろ昆布うどんを食べたけれどきつねうどんの方がおいしいと母に話しかけていたように記憶している。横では祖父がしきりに頭を下げていた。

 祖父はもう、この世にはいない。近所を散歩しているときに脳卒中になって、それから二日もしないうちに亡くなった。倒れた日の朝、私は祖父の夢を見た。夢の中で、あの日食べられなかったきつねうどんを一緒に食べた。母に夢の話をして、おじいちゃんに久しぶりに会いたいねと言っているときに電話が鳴った。祖母が泣いていた。

 倒れたことを聞いた母が、「律子がおじいちゃんの夢を見たって、いま話していたところで。きつねうどん、おいしく食べたんやって」と泣きながら言うと、「会いに行ったんやなぁ。あのひと、ずっと足の怪我のこと悔やんでたわ、律子に顔向けできんって。あの日から毎日、済まんことをした言うてた。いちばんの心残りだったんかもしれん。笑ってたか。よかったわぁ」と言って穏やかに夢の話を聞いてくれた。厳しいひとだと苦手に感じていた祖父は、自分が思っていた以上に私を大切にしてくれていたんだと知った。

 南海ホークスと野村克也の大ファンだったこと、アサヒビールが好きで毎晩飲んでいたこと、食後には必ず仁丹を舐めていたこと、たこ焼きととろろ昆布うどんを一緒に食べたこと。それらが一度に思い出されて、ぬぐってもぬぐっても涙が溢れてきた。絞ることができるくらいにパジャマの袖が濡れた。

 車輪に巻き込まれたところの痛みは数週もしたら引いたけれど、そこの肌は何年経ってもつるつるしている。触れるとあの日の、湯気の向こうにいる祖父が見える。とろろ昆布うどんも美味しく食べられるようになったよ、と話しかけたら、祖父はなんと言うだろうか。

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