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写真の1回性について(アウラについて)

皆さんは、オリジナルとコピーの違いを意識した事はありますか。

コンピュータ技術が発達した現代において、コピー&ペーストで情報を拡散する事は容易になりましたが、コピーされるモノとコピーされたモノの違いを意識した事はありますか。

この記事では、芸術における1回性の重要性を説いた「アウラ」と言う概念について紹介したいと思います。

この記事でちょっとだけでも写真に対する魅力が伝われば幸いです。
また、アウラを意識することはQoLは爆上がりにもつながるので是非ご一読ください。


■アウラとは

ドイツの文芸批評家ヴァルター・ベンヤミン(1982-1940)が提唱した概念で、「複製によって芸術作品のコピーを大量生産することが可能になった時代において、オリジナルの作品から失われる「いま」「ここ」にのみ存在することを根拠とする権威のこと」だそうです。
これだけだと、ナンノコッチャわからないですよね。

アウラの意味を簡略化すると、芸術におけるそこにしか表現されない一回性のことです。

この言葉だけを汲み取ると、オリジナル作品への絶対主義というイメージがついてしまいがちですが、ここでいうアウラをさらに具体的に言うと、

オリジナルの「モノ」を至高とするのではなく、モノ・コトなどの情報から得られる1回性の感動などの思惟や意志的な側面を至高すること です。

アウラはモノという物質的な規定ではなく、人間の感じる感情の側面を表した言葉なのです。


■アウラの身近な例

例えば、YouTubeを漁っていてとても面白い動画にたまたま出会い、腹がよじれるほど笑ったとします。
もう一度見てみたいと再度見ても最初に見たときの感動より感じ得るものが少ないことを経験した人は多いと思います。よく「1度記憶を忘れてもう一度見たい」と言う気持ちが起きたときの1回目に感じた感覚がアウラです。

他の例を挙げると、山登りや散歩などで気持ちの良い風や景色に当たったときに得られる再現性のないその時だけの体験のことを言います。


■アウラと写真

アウラは時間という制約のうえに成立します。
アウラを規定する要素の中に、1回性というものがあります。
この1回性とは非常に重要で、時間軸の中でしか成立しません。 そのため時間を切り取る写真とは非常に相性が良いのです。

時間軸上に瞬間的にしか存在しなかったものを切り取ったモノが写真です

もう一度おさらいですが、アウラは「モノ・コトなどの情報から得られる1回性の感動など、思惟や意志的な側面を至高すること」です。

ここでいうモノ・コトなどの情報とは、
(1)五感が感じる情報 と、
(2)自分の価値観や経験というフィルターを通して感じる情報
の2種があります。

写真においては、
(1)五感のうち視覚が感じる情報 と、
(2)この景色いいね、記録しよう!と思う動機となる価値観
によってシャッターが押され、写真が形成されます。
よって、当たり前ですが、結果論的に写真は自分の経験を排出したものとなるのです。

写真を好む人は、アウラの一回性に惹かれやすい傾向にあります。
それは2度と味わえないという貴重さにあります。

写真(およびアウラ)は、私たちに瞬間の繋がりを、そして瞬間を意識して生きることの大切さを実感させてくれるからです。


写真においてのアウラは2種類のシーンに分かれます。
それは製作時と鑑賞時です。

この記事では、製作時のアウラに焦点を当てて進めていきます。 鑑賞時にアウラを感じやすくする方法については別記事で紹介してますので、下記にリンクを貼っておきます。


1.製作時

まず、製作者側の写真を形成する作業はアウラそのものです。

景色に感動を覚える→景色を切り取る意思決定→シャッターを押す作業においては実際に起きた出来事のその瞬間の存在・空間を記録し、その時間は2度訪れることがない。そう意味で製作時にアウラを味わえます。

2.鑑賞時

2つめのアウラは他者の作品を鑑賞する際に訪れます。
他者が製作した1回性(の写真)を、自我のフィルターで初めて認識するとき、それが2つめのアウラとなります。
ここで生じる「認識」については、外示と共示など、様々な作用を通して得るます。
このプロセスを深掘りについては、別の記事で考察していますので、ぜひ読んでみてください。写真における鑑賞者のもっと面白い楽しみ方を味わえると思います。


■写真製作時のアウラ

製作時のアウラについて続けます。
アウラは、時間軸上にある今の中に「オリジナル」という意味も含まれています。それは単純に物そのものに対してのオリジナル性に加え、時間としてのオリジナルが含まれているということです。

製作時のアウラを深掘りするには
「主観(製作者)と客観(書き手)のアウラが一番共有しやすい。」 ということを意識することが重要です。主体と客体がキーワードになります。

人間である私たちも、 瞬間瞬間で切り取ると別の人間に変わっています。その時その時によって考え方が変わるのです。

撮影をしたときの主観及び主体を、時間が経過し自身が客観及び客体となったときに どれほど維持できているか。

すなわち、主観及び主体の情報を、どれほど細かく記録できているか、感じ取れているかによってアウラの幅が広がります。
アウラを今後たくさん経験していくためには、記録することが手っ取り早いです。

写真においては、視覚情報を記録するので、写真そのものだけでも成立しますが、視覚情報だけでは製作者が感じたアウラの粒度は荒いです。

なぜなら、その時に何を感じたのかわからないし、見返した時に感じた感覚が前述した通り変わっている可能性があるからです。
粒度細かくアウラを記録するためには、自身の思惟や意思を記録する必要があります。

その記録によって、自分の感性がより明確になり、今まで気づかなかったアウラも感度高く気づくことができるようになると思います。

ここまで来るとどうしても信仰的になっていまいますが、あくまでも「写真の楽しみ方」という点であることをここで強調します。

現在の技術では視覚情報以外のアウラを記録するためには、文章しか媒体がありません。

要するに、メモを取ることです。

その時に自分が何を感じたのか、なぜ感じたのか、感じた時間を記録することによって、後から読み返したときに過去の自分と対話することができます。

私は文章を書くにあたって要する時間ももったいないので、最近はボイスメモ(自動書き起こし機能)を利用して
・ その時の時間
・ なぜ それを感じたかの理由
書き起こすことにしています。

この作業は、アウトプットする際のステートメントとしての役割を果たすことができます。

つまり、視覚情報の写真+その時の感情のステートメントによって、1つのコンテクストが誕生するのです。


今後行く先々の未来では、技術の発達により文章を通さずとも、直感的に製作者側のアウラを鑑賞することができる仕組みが成り立てばとても幸せなことだと思います。

直感的な感覚を記録するためには、自身の価値を何に置くかという点も重要になります。
これは、記録を積み重ねることによって、 結果論的に自分が何に価値を置いてきたのかがわかると言う点で、自己分析の道具にも変化します。

ここで言う価値とは、先ほどお伝えしたアウラの制約である時間の枠組みに価値を置くか、これまた人々が感じる感動の大きさに価値を置くか、これまた作品から得られる金銭的な価値を重視するか、価値は様々で自分で選択していくことになります。


■カメラメーカーのアウラ的アプローチの紹介

最後に写真好きの方にご紹介したい事例があります。

2017年のカメライベントCP+にて、レンズメーカーSIGMAは「遠回り」というテーマに添えて、以下の紹介文をブースを掲げていました。

「何でもインスタントにショートカットができる効率性が志向されがちな昨今、わざわざ機材を持ち出し時間をかけて撮影する事は時代に逆行した行為と言えるかもしれません。しかし、愛用の道具で時間をかけて1枚の写真を作り上げることに簡便さだけでは得られない豊かさが存在することを、写真を愛する皆さまはよくご存知のことかと思います。一見同じ結果が得られるように見える道筋が存在する中で、より本質的な価値を追求する姿勢は、時に「 遠回り」に映ることもあるでしょう」

このテーマは、アウラの価値や1回性を重視しているかつ、写真における撮影プロセスの楽しみを包括した非常によくできた文章だと思います。


■まとめ

この記事では、写真を撮影するにあたって、その土台となる価値形成の重要性を述べました。

今回紹介したアウラを意識しながら撮影することは、私たちに瞬間のつながりと、目の前の景色は二度と訪れる事は無いという貴重性を意識させます。 そして、その時に得た感動を、未来の鑑賞者(その中には、自分も含まれる) に対して伝えることができるようになります。

皆さまもアウラを意識しながら、写真を撮ってみるのはいかがでしょうか。


PS.この論理について、言語化できていなかった時期に投稿した記事も一応リンク貼ります。言いたいことは今回の記事で昇華できました。


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