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母というトラウマ

「わたしは、母のことが嫌いだ。」

母という存在と向き合ったときの、今の一番正直な言葉だ。

ようやく母に対して、「嫌い」という感情を持つことを自分に許せた。

「母が嫌い」、と今までどうしても言えなかった。

わたしはずっと、母が「大好き」だと思いこんでいた。

わたしはずっと、母の価値観の中で生きてきた。

母の求める「ちゃんとした人」であろうとした。

「ちゃんとしていない」ことで、小さい時に手をあげられても、大人になってからは人格を否定するような言葉をぶつけられても、反論しなかった。

母という存在はわたしそのものであり、母を嫌いになるということは、自分自身を否定することになる、と思っていた。

だから、心に無理をして従っていた。

少なくとも反抗をしなかった。

母に何を言われても、許してきた。

母の価値観に自分を無理やり押し込めて、自分の心を無視していた。



だから、自分を大切にする生き方を少しずつ選択するようになって、母と向き合うのがしんどくなっていった。

3年前に離婚したとき、息をするのもやっとなくらい消沈しているわたしを、母は慰めることもなく、元旦那さんのことをなじり、「ちゃんとしていない」わたしを責めた。

そんなときでもわたしは母の機嫌を取ろうとし、一言も反論することもなく、半笑いで同調した。

母の言葉が深く胸に突き刺さり、反論できない悔しさで自分を大嫌いになった。



そのことをずっと、見ないようにしていた。けれど心の奥深くにはいつも怒りが渦巻いていた。このままでは憎しみに変わってしまうと思った。

だから、一度向き合おうと思った。

どうしようもなくモヤモヤしている時、気持ちを整理したい時、私はとにかく感情を紙に書き出すようにしている。

今まで抑え込んでいた感情をノートに書きなぐった。子どもの頃から今に至るまで、本当はイヤだったこと。思いつく限り書き出した。だんだん怒りで字が震えて力がこもってページが破れた。

書いても書いても怒りが溢れ、その感情は文字では収まらず、ノートは破れ、ぐちゃぐちゃで真っ黒になった。

悔しくて、ムカついて、悲しくて、涙が出た。

35年間ずっとガマンしてきた。怒りを感じないように、ガマンしてきた。

でも、わたしは怒っていた!

すごくすごくすごく、怒っていた!

わたしは深く深く深く、傷ついていた!



ようやく、本当の自分の感情に気付けた。

ようやく、本当の感情を外に出すことができた。

わたしは母の態度に怒っていたし、傷ついていた。

そう認めてしまうと、気持ちが少しずつ、静まっていった。



わたしと母の価値観は全然違うんだ!

考えてみれば当たり前のことなのに、その時に初めて、気がついた。

大人になって世間の人たちよりずいぶん自由に生きているのに、

心の中ではずっと、母の価値観を引きずっていたんだ。

母の価値観と違う生き方をしているわたしにどこか負い目を感じ、間違った生き方をしているように感じていた。

母の価値観と違うパートナーと付き合っていることに、心の奥底では自信を持てずにいた。

でも、そもそも母とは生きてきた背景も時代も違う。価値観が違って当たり前だ。

母の価値観だけが正しいわけじゃない。

わたしは、わたしの価値観で生きていいんだ!



わたしは、自分らしい生き方を自分で選び、そんなわたしを愛してくれるパートナーと過ごす毎日がとても幸せ。

それは、わたしの心が、ちゃんと知っている。

わたしは、間違っているんじゃない。

わたしは、わたしの人生を否定しなくていい。

わたしは、わたしの価値観で生きていい。

わたしは、わたしの生き方に自信を持っていい。



わたしはただ、母に認めて欲しかったんだ。

母に、褒めてもらいたかったんだ。

わたしは、じゅうぶん、頑張った。

もうそろそろ、自立してもいいのかもしれない。

わたしの傷は、わたしが癒せる。

わたしのことは、わたしが愛せる。



母には母の価値観があっていい。

わたしには、わたしの価値観があっていい。

わたしは、わたしの価値観で生きる。

それだけの違いだ。

そう自分に認めてしまうと、ドロドロとした感情が、少しずつ溶けていくのを感じる。

ずいぶんと長い間、重たいエネルギーを心の奥に押し込めていたんだと気づく。

母の価値観からしたら、わたしの生き方は不安定に見えたり、意見したくなることも沢山あるのだろう。

わたしが、全然コミュニケーションを取らないから、時々不器用に感情をぶつけてしまうのだろう。


それでも、ここまで育ててくれた。

してくれなかったことはいっぱいあるけれど、それ以上に、何も言わずにしてくれたことのほうが、きっと多いのだろう。

今はまだ、「嫌い」の感情を捨てきれない。

会うことも、目を見て話すことも、まだできない。

けれど同時に、感謝の気持ちも、ある。


「否定されてもいい。

意見されてもいい。

わたしは母の価値観では生きられない。

自分の価値観に自信を持って、幸せに生きている。

だから、心配しなくていい。

母は、母の人生を、幸せに生きてほしい。」

母に抱く感情は複雑だけど、全部吐き出した後に心に残ったのは、そんなシンプルな言葉だった。

やっと、一歩前に進めそうだ。

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Photo@青木湖 Omachi Nagano そっとつま先で触れただけの水面。どこまでも続いてゆく波紋、波紋、波紋。静かな午後。

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