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映画「ハウルの動く城」を読む【完全解説】 ③


●「魔法の扉」の仕組み

 「城=ソフィーの心」という暗喩を意識したら、もう一つの重要な暗喩も押さえておきたい。それは、ハウルの城の「魔法の扉」が示す暗喩についてである。「魔法の扉」は四つの場所につながっているが、その一つの「緑の扉」は、城が存在している「物理的な場所」への出入口になっている(最初、ソフィーが入ってきた扉)。そのほかの三つの扉は、「物理的な場所」とは違う別空間へとつながっている。ソフィーが城に入り込んだ当初、「魔法の扉」は、以下の四つの場所へとつながっている。

赤の扉→「キングスベリー(王宮のある街)」
青の扉→「港町」
緑の扉→「山間(物理的な場所)」
黒の扉→「戦地」

 これらの場所は、一体何を表しているのだろうか。もちろん、これらは無造作に選ばれた場所ではない。ハウルの城自体が「ソフィーの心」を表していることから、その出口である「魔法の扉」は、「ソフィの意識が向いている場所」を示しているのではないかと思われる。「魔法の扉」は、ソフィーの「意識の扉」なのである。

 冒頭、彼女が暮らしていたのは、兵隊の溢れる街。戦闘機が飛び交い、華々しく戦意昂揚のパレードが行われている。その街には、ソフィーの恐怖の根源である「戦争」というキーワードが満ちあふれており、ソフィーの心は、「現実逃避したい」という思いでいっぱいになっている。だから、彼女の「意識の扉(魔法の扉)」は、できる限り、「戦争」の不安感からかけ離れた場所へと向こうとする。

赤の扉「キングズベリー(王宮のある街)」
青の扉「港町」
緑の扉「山間(物理的な場所)」
黒の扉「戦地」

 よって、「赤の扉」からつながっている「キングスベリー」は、サリマンによって、空襲を避ける魔法に守られているし、「青の扉」からつながっている「港町」は、意気揚々と軍艦が船出をするものの、その穏やかな田舎の雰囲気から、「戦争」の恐怖を意識しなくてすむ。「緑の扉」からつながっている物理的な場所である「山間」も、ソフィーが暮らしていた街とは、対照的なアルプスの大自然の中にあり、ストレスからの開放感を満喫できる(相変わらず、理想の場所がヨーロッパの自然というのが宮崎駿らしいところであるが)。天気も素晴らしい洗濯日和に恵まれ、ソフィーの心は思いっきりリフレッシュされる。「緑の扉」の外は、「物理的な場所」であるが、所詮、そこもソフィーの妄想世界であるから、「物理的な場所」の天候もソフィーの心象風景を表しているのだ。彼女の気分がいいときは快晴になり、彼女がふさぎ込めば空模様も怪しくなる。例えば、ソフィーが「私なんて美しかったことなんて一度もないわ」と落ち込んだり、ハウルが帽子屋の街で闘えば、空からは雨が降ったりするのだ。そして、呪いが解けたラストでは、当然、青空が広がっている。「魔法の扉」の中で、唯一、「黒の扉」だけは、常にソフィーの心のダークサイドへとつながっている。その扉の向こうは、暗闇の中で、いつも「戦争」が繰り広げられており、ソフィーの心の闇が広がっている。

 ハウルが城を「引っ越し」をさせると、以下の場所につながるようになる。

赤の扉→「アルプスの花畑」
黄の扉→「帽子屋」
緑の扉→「山間(物理的な場所)」
黒の扉→「ハウルが幼少期に過ごした水車小屋の中」

 「引っ越し」をすると、「魔法の扉」は、ソフィーが現実を意識する場所へとつながるようになる。これは、強さを取り戻したソフィーの意識が、現実に目が向けられるようになってきたことを意味している。なぜハウルが、「引っ越し」を提案したかと言えば、引っ越す前に、ソフィーの姿勢の中に、現実を受け入れる兆しが見られたからである。穏やかだった「港町」には、「戦争」で傷ついた沈没船が還ってきたり、ゴム人間が現れたりする。「キングスベリー」の王宮では、ソフィーは魔女・サリマン(=現実世界の象徴)と対峙するようになる。これらの出来事から、ソフィーの心の中に「現実」と向き合おうとする準備ができつつあることが読み取れる。

赤の扉「アルプスの花畑」
黄の扉「帽子屋」
緑の扉「山間(物理的な場所)」
黒の扉「ハウルが幼少期に過ごした水車小屋の中」

 一回目のハウルによる「引っ越し」の後、「魔法の扉」は、どんな場所につながったか、もう少し詳しく見ていこう。まず、「赤の扉」は、「アルプスの花畑」へとつながる。一見すると、現実逃避に最適な場所に思えるが、実はここは、幼少期のソフィーが「戦争」によって疎開していた場所なのだ(詳細は後述する)。「黄の扉」は、隣国と「戦争」が勃発した「帽子屋」のある街へとつながっている。どちらもも、ソフィーにとって、「戦争」という現実に直面しなければならない辛い場所である。ダークサイドへと続く「黒の扉」は、さらに辛い場所へとつながっている。その扉は、「ハウルが幼少期に過ごした水車小屋の中」につながっているのだが、この「水車小屋」こそが、ソフィーのダークサイドを形成するトラウマの根源となっている場所なのだ。その理由についても、後で詳しく述べることにするが、その扉をソフィーが自らの手で開けたことに意味があるので書いておこう。前半では、「黒の扉」に手をかけるのは、ハウルだけ。自身のダークサイドを覗く勇気がなかったソフィーには、「黒の扉」を自分では開けようとしない。しかし、ラストでは、ダークサイドと対峙する決意ができたソフィーは、自らの手で「黒の扉」を開けて闇の中へと入っていくのだ。

●ハウルによる「引っ越し」

 「魔法の扉」は、ドラえもんの「どこでもドア」のようで、面白いアイディアなのだが、城の所在を分かりにくくしている要素の一つになっているので、ここで少し整理しておこう。

 城は、実際に存在する「物理的な場所」以外に、三箇所の「魔法の扉から続く場所」とつながっていて、「物理的な場所」と三つの「魔法の扉から続く場所」に存在している。つまり、ハウルの城は、同時に四箇所に存在しているのである。このことをしっかり頭に入れておかないと、「引っ越し」の意味がよく分からなくなるので気をつけておきたい。

 城には足があって常に移動しているため、「引っ越し」とは、「城の物理的な場所」の移動のことを言っているのではなく、「魔法の扉から続く場所」の移動のことを言っている。だから、ハウルが「引っ越し」をしたときには、「魔法の扉から続く場所」が、花園や帽子屋へと変わっても、「城の物理的な場所」は、「引っ越し」後も、相変わらず険しい山間だったわけだ。

 本作品には、二度の「引っ越し」が描かれるが、一度目は、荒れ地の魔女が力を失った後、ハウルが行うもの。この「引っ越し」によって、「魔法の扉」の一つは、ソフィーの帽子屋につながり、城の中のソフィーの部屋は、帽子屋の自分の使っていた部屋となる。
 もう一つの「魔法の扉」は、アルプスの花畑へとつながっている。そこは、ハウルが「子どもの頃の夏に、よく遊んで一人で過ごした」場所であり、魔法使いの「叔父」が残してくれたのだという。そして、そこは、なぜかソフィーが「前、ここに来た気がする」場所なのである。「ハウルがソフィーの分身」であることが分かっていれば、このソフィーのセリフの意味することが見えてくる。そう。ソフィーは、物心がつく前、そこで一人で遊んでいたのである。なぜ一人で遊んでいたかと言えば、おそらく「戦争」によって、家族と離ればなれになり、一人で「叔父」の田舎に疎開していたのであろう。後で詳しく書くが、ソフィーは、この場所で「父親の戦死」を知らされるのである。だから、ソフィーは、水車小屋へ行こうとするハウルを止めようとするのだ。小屋へ行って、「父親の戦死」という「現実」を思い出すのが怖いのである。だからこそ、ソフィーは、「小屋へ行ったら、(実は父親の分身でもある)ハウルが何処かへ行っちゃう気がするの」と言うのだ。

 ソフィーは、一度目の「引っ越し」で、父親の残した帽子屋に戻り、幼い頃の辛い過去と対峙し始め、より現実世界へと近づいていくのだが、この時点では、「現実」を見つめる勇気がまだ足りない(その場所に魔女・サリマン(=現実)が送り込んだ戦闘機が現れるが、ハウル(=ファンタジー)が応戦し、ソフィーは闘わない)。一度目の「引っ越し」は、「戦争」もしくは「父親の死」に目を向けるという、現実に立ち向かう準備段階であり、ソフィーによる二度目の「引っ越し」によって、いよいよ現実と闘うのである。

 「引っ越し」についてまとめると、「引っ越し」とは、「魔法の扉(ソフィーの心の扉)」の移動であり、「ソフィーの意識の移動」なのである。そう、「引っ越し」は、彼女の「意識の変化」を意味しているのである。どんな「変化」かと言えば、当然、現実を受け入れる価値観への「変革」である。新たなものを手に入れるためには、その代価として、今まで体の一部のように大切にしていたものを捨てる犠牲も必要になってくる。話が逸れるが、二回目のソフィーによる「引っ越し」の後、新たな城の原動力として、ソフィーがカルシファーに自らの髪の毛を食べさせるのは、そうした代価の意味が込められているのではないだろうか。

●ソフィーによる「引っ越し」

 次に、ソフィーによる二度目の「引っ越し」について見ていこう。まず、なぜソフィーが「引っ越し」を決意したかであるが、それは、ハウルが帽子屋のある街で闘っているからである。城は、「物理的な場所」と「魔法の扉から続く場所」とに同時に存在していることは先述の通りだが、この時、「黄の扉」が、帽子屋につながっている。つまり、城は帽子屋にも存在する、ソフィーたちが殺されないように、ハウルは必死に守ろうとしているのである。山腹(「緑の扉」のある場所)から遠く離れた街(「黄の扉」のある場所=帽子屋のある街)で闘っているハウルを見ながら、ソフィーが、「私たちがここにいる限り(城が帽子屋の街とつながっている限り)、ハウルは闘うわ」と判断する。だから、ソフィーは、城の「引っ越し」を決意するのだ。しかし、「今、自分たちがいる場所(「黄の扉」の場所)を遠く(「緑の扉」の場所)から眺めている」という状況は、城の仕組みを十分に理解していないと、ピンと来ないと思われる。後半のスピーディなストーリー展開からは、その状況をサッと判断できる観客はあまり多くないのではないかと思われる。

 この状況把握以上に、次なるソフィーの行動によって、観客はさらに理解不能状態に陥ったと思われる。「引っ越し」を決意したソフィーが、ハウルとカルシファーの契約を無視して、城をぶっ壊してしまうからだ。観客は、「ソフィーは、何やってるんだ?!」と困惑状態になるだろう。しかも、その後で、再びソフィーが城を使おうとするから、その感はもっと強くなる。しかし、これもゆっくり考えれば、彼女の行動はさほど無謀なものではないことが分かる。
 ソフィーは、ハウルの闘いをやめさせるために、「黄の扉がつながる場所」を帽子屋から「引っ越し」させようと考える。しかし、この「引っ越し」を行うには、ハウルが行った方法を見ても分かるように、魔力が必要となる。魔力がないソフィーは、どうしたら自分に「引っ越し」ができるのか考え、「ハウルの城の魔法を消してしまう」ことを思いつく。そうすれば、城と「魔法の扉がつながる場所」の空間的なつながりが絶たれ、城は「物理的な場所」つまり、山間にだけに存在するようになる。ソフィーは、ハウルの城の魔法を消すために、わざとハウルとカルシファーの契約を無視して、カルシファーを城の外へと連れ出すのだ。その結果、魔法の力は消え、城は大破してしまったが、「ハウルの闘いの目的をなくす」というソフィーの作戦は見事成功する。

 その後、ソフィーは傷ついたハウルの救出作戦を開始する。再び、ソフィーは、カルシファーを城の中に戻し、城の動力を回復させ、物理的に城をハウルの元(帽子屋のある街)へと進ませる。こちらは、「魔法の扉がつながる場所」の移動ではないので、ソフィーは「引っ越し」するとは言わない。ちなみに、原作は、ソフィーの三姉妹は全員、魔法が使える設定なので、空襲によるソフィーたちのピンチもなければ、ソフィーによる城の破壊もない。
 いずれにせよ、映画の中でのソフィーによる「引っ越し」は説明不足が否めない。ストーリー自体に無理があるのではなく、鑑賞中に観客が主人公の行動目的の把握が困難なほど、ストーリー展開が速いことが問題なのである。


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