推し活に限界はないけど最低ラインもない

そもそも「推し活」って?


過去最高ファン活(推し活)してた「アンジェラ・アキ」。同郷で同じ小学校だった…

若いスタッフと「推し活」の話しになったが、
「なかなかグッズを買い揃えられないから、推し活してるって言えないレベルなんです」
なんて言葉が出てきた。
そもそも「推し活=物品の購入」ではないのだが、そう思ってしまう雰囲気が世間的な「推し活」というワードには含まれているのかも知れない



推し というワードの発生は結構古い…

「推し」はどこから来たのか?

推しているアーティストやキャラクターがいる人も多いと思うが、その応援スタイルを「推し活」と呼ぶようになって、近年では市民権を得たのか会話の中で「推し活」というワードが出ても普通に会話できる状態になっている。

一昔前だと、マニア、コアなファン、オタといった言葉でくくられていたが「推し活」という言葉は一般層に受けいれられたことは好きな相手を応援すること事態の理由付けにもなっているともいえるだろう。

ただ「推し活」のレベル…というか活動のサイズはそれぞれであり、どのレベルからが推し活…というのかは明確な定義はない…ゆえに、何を持って推し活とするのか?どこまですれば推し活になるのか?もぼんやりとしているのも事実。

「推し活」という言葉そのものは近年のワードだが「推し」というワードそのものは古くは1980年代のおニャン子クラブあたりからあった。(当時は学生だったが、周りがどんどんハマって行くのを横で見ながら「Zガンダム」などのアニメにハマっていった立場だった)とはいえ好きなキャラクターなどを様々な形で応援したり、キャラクターの生死に一喜一憂をしていたもので、アニメ雑誌の切り抜きをパウチしてもらって生徒手帳に挟み込むなどをしていたのも、今で言う「推し活」と言えるだろう。

ただ「推し活」という言葉がもっと積極的に世間に出回ったのはAKB48が大きく世間を賑わせてきたあたりだろう。TVで総選挙などがOAされることで「推し」というワードが世間に広く認知されたとも言える。

それ以降「推し活」というワードがアイドルを応援する人たちの言葉ではなく、多くの人の「ファン心理」を代弁するものになったとも言える。

CDの大量廃棄などはもっと社会問題になるべきだったかもしれない

その活動の顕著たるものが
「握手券目的もしくは推しの順位を押し上げるためのCD大量買い」
ではないだろうか?特に握手券は推しと実際にあって握手することができることもあり同じCDを何枚も購入する…のは社会現象とも言える形でワイドショーでも取り上げられ、CDの売上枚数の異常さを後押ししたのに加えて、アーティストの評価の一つである「オリコン売上枚数ランキング」を実質無意味にしたもの。

そういった部分は「推しとは無関係な人間」からすれば
「過度に消費者側に無駄な出費をさせる運営側に大きなメスべきだ」
という考えもあったが、この流れは現在も続いている

当時、AKB48の一部CDは中古販売点などでは買取不可となり、燃えないゴミの日に大量の開封済みCDが捨てられているのもネットなどで大きなネタとなったのも事実だ。


サブスクの売上は伸びているがアーティストへの実入りはとても厳しい……

サブスク、配信による弊害が推し活に与えた影響

近年の「推し活」もその影響というか同じベクトルの流れはあり、同じCDを違う形で何度も購入する「目的」を作っていることは少なくない。
例えば「販売店ごとにおまけのバリエーションを変える」はその最たるものと言えるだろう。

その「バリエーションすべてを手に入れる」ことが一つの目的・目標となったり「各店舗での売れがアーティストの実績にもなる」こともあって「推し活」の一貫で全店舗での購入を進めている人もいるだろう。

ただし近年のこれらの「同じ商品の複数購入へ導く」のには理由があって、CDが売れない時代になっていることも一部にはある。
配信やサブスクではアーティストやレコード会社への実収入がとても低い。シンプルに言うと「稼ぎにならない」からでCDを購入してもらうほうが良い…という背景もある。


自分を含めReoNa推しにはおなじみ。神崎しおりさん(X/@shioshio_hato)によるReoNa のイラストを楽しむも推し活の範囲に入るはず

じゃ、何を持って「推し活」とするか

となってくるとその活動の費用面がポイントになるわけで…。
「推し活をしています」
というのであれば、そういった「コレクション的に全ての店舗で購入するべきなのではないか?」とある意味強迫観念的に「購入しないと推し活といえない」「購入しないと推しをしてるとはいえない」と考えてしまう、感じてしまう人も一定数出てきている。
またライブやコンサートツアーで全公演を観ている人もいてSNSで活動を発信をしている人もいるが、そういった人を見て「推し活するならこれくらいしないと!」と思い込む人もいる。

また推し年数が多い人が最近推しとなった人に、無意識のうちに「推しなんだからこれくらいはしないとね」と話していることが聞こえることもある。
本人は無意識であり「自分の推しの熱量」を話したいだけだと思うのだが受け取り側が「推し活をいうならそれくらいはしないといけない」と捉えることはあるだろう。

では「推し活」とは何を持って「推し活」とするのか?を考えてみるとその上限はない。
全てのライブ/コンサートに行き、発売されるバリエーションのCDやグッズ全てを購入して、イベントには全て参加をして…と推し活に含まれる活動や行動に上限はない。

その一方で
「これをしないと推し活じゃない」という最下限、最低ラインもない。

自分の生活の中で
「好きなアーティストやキャラクターがいる」
という事実を自分の中で確立できていればそれで「推し活」といっていいと思うのだ。

これは映画ファン、映画好き、と同じベクトルの話であって、
「毎年◯◯◯本の映画を観ないと映画好きじゃない」
とか
「いままで1000本の映画を観ていないと映画マニアじゃない」
といった「不毛かつ無意味で身勝手な線引」を語るマニアが勝手に発言をしているだけで、これら「ある意味害悪な存在」は40年以上前から確認できている。

同じことを言うが
「推し活と呼ぶべきボーダーライン」
はないだろう。
自分の生活の中で「できる範囲」で応援をするのが「推し活」であって、他人や自分の生活を犠牲にしてまですることではないだろう。(もちろん自分で納得をして行動・購入しているのであれば別)

なので「推し活」を理由に無理ある行動や購入をする必要はないと思う。
それぞれの生活(特に食生活など)を我慢したり犠牲にしてまですることではないだろう。

それで体を壊してしまう方がよろしくはない。
なによりも自分を大事にして「推し活」するべきだろう。

Liveメディアを何度も楽しむ…これも「推し活」でいいと思う

ただ冷静に考えてみると…

しかし冷静に考えるとコレクションという自己満足以外で店舗ごとに違うアイテムを入手することの意味合いがどこまであるのか?会場ごとに音や構成が違う(同じ場合もある)とは言え何度も行く必然性があるのかどうか?
それらの行動の言い訳に「推し活」を使っているのではないか?という考えもできる。

個人的に30年ほど前から各種アイテムを購入する際に決めているルールがあって

CDやDVD/BDの場合は
「10年後も聞いているか?」

グッズやアイテムは
「日常的に使うことができるものかどうか」

だったりする。
CDやDVDは基本的に売らない人なのでこれが基本ベースになっている。30数年前は「聞く(観る)用、展示用、布教用」と3つ購入していたが、よくよく考えたら、「聞く(観る)と展示はセットにできるし、(20年ほどまえからは)ネットの普及を考えたらCDとか渡す必要ないよね…」で方向転換をした。

グッズに関しては日常的に使う=減価償却できる
という考えが身についたから
買っても使わないものは買っても仕方ない…という心理からだが、部屋のインテリアとして割り切って買うこともあるのでこれらが全てではないですがね。

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