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8年来のペンパルと初めて会うことになった

わたしがまだ学生だった頃、なんとなく登録した言語交換サイトでヨーロッパの女の子と知り合い、なんとなく文通を始めることになった。

その子、モニカは、日本が好きで日本人のわたしに興味を持ってメッセージをくれたらしい。

わたしたち2人とも、年齢が大体同じで、趣味の欄にも似たようなことを書いていた。

この子なら気が合うかもな、と軽い気持ちで住所を交換し、文通が始まった。

モニカは日本語勉強中ということだったが、そのレベルはひらがながわかる程度のものだったので、英語でやり取りをすることに。彼女は英語がとても上手だった。

初めて彼女からもらった手紙は、読むのにとても苦労した。わたしは英語が下手だったし、英語の手書きの文字を読むのも初めてだったから、解読するのに時間がかかってしまう。

モニカの字はまるっこくて、全体的に上から押しつぶされたように平べったかった。sやrやnの区別が難しい。

それでも、手紙を一所懸命読みながら「教科書みたいにきれいじゃない、これが生きた英語なのかも」とすごく嬉しかったのを覚えている。

手紙の内容はというと、本当にたわいもない話ばかりだ。たわいもなさすぎてよく覚えていないが、がんばって思い出してみるとざっとこんな感じ。ーーこの前観た映画がすっごく良くて、何回も映画館に行っちゃった。理科の授業でカエルを解剖して、きもちわるかった。いつも遅刻してくる友達っているよね、あれってなんなの? バイトを始めてお金が増えて嬉しい。服をたくさん買いたいな。服を買うとき、計画してから買うタイプ?

そのうち小さなプレゼントも同封するようになった。チョコレートやクッキー、お茶っ葉、自作のレシピ(モニカはソーセージの酢漬けキャベツ煮込み、わたしは肉じゃがのレシピを披露した)、旅行先で撮った写真、ハンドメイドのブレスレットや雑誌の切り抜き…。通関のルールをよくわかっていなくて、たまに税関で引っかかったりもした。

そうして文通を続けているうちにお互い打ち解けてきたらしい。暗い話もするようになっていった。共通の友達がいないからか、今まで誰にも言えなかったことも、何でも話し合えた。

お互い大人になるにつれて、プレゼントは少なくなり、文章の量が多くなって、手紙の頻度は減った。SNSで連絡を済ませることもあった。それでも手紙のやり取りはゆったりと続き、ついに今年で(おそらく)8年目になる。

昨日の夜、モニカからメッセージが届いた。「桜の咲く頃に、日本に行くから会おうよ! 東京を案内してくれる?」

「もちろん! 待ち遠しいよ」と私は返した。

ここまでなら、心温まるストーリーとして終われたかもしれない。しかし残念ながら、この話をそんな風に美しく着地させることはできない。

なぜならわたしは英語がしゃべれないからだ。

読み書きならなんとかできる。いや、それだって怪しいものだ。しゃべるなんて到底ーー。

待ち遠しいよ!なんて言いつつ、内心穏やかではない。

普段、わたしに未来を予見する能力はないが、この時ばかりは未来の自分とモニカの姿をはっきりと見ることができた。

桜の満開が間近に迫るうららかな春の日、東京駅で落ち合った2人は、次のような会話を流暢な英語と英語まがいの呻きで行う。

モニカ「会えて嬉しい! 飛行機の長旅疲れちゃった。日本で何を食べようか楽しみ! 最初に何を食べるのがいいかな? おすすめある? この前言ってたとこってどこだっけ?」
わたし「お会い、できて、嬉しい、です………………それは、ここから、近い、です……行きませんか?」
モニカ「(あっコイツ英語できないんだ)」

大人気回転寿司・スシローに移動しても、2人の会話は弾まない。8年間静かに温めてきた友情は、言葉の壁によっていとも簡単に打ち砕かれ、2人の間には白けた空気だけが残る。わたしは気が動転して、たまご寿司を2皿も取る。

「なんだか、迷惑かけちゃったかも。ごめんなさいね。それじゃ元気で、また会おう」と、別れ際のモニカの社交辞令が決定打になり、2人は永久に気まずい関係となるーー。


…ダメだ、英語を話せるようにならなくちゃ。垣間見た未来を変えるために、英語を勉強する必要がある。

どうせなら、これから半年間の勉強の記録を残してみよう。モチベーション維持にも繋がるかもしれない。そんなわけで、このnoteを始めてみた。

#ペンパル  #英語学習 #エッセイ #海外文通 #言語交換

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