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言葉、アート、世界

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ちゃんと考えたこと
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#考えたこと

春夏秋冬

季節を一つずつ丁寧にクソ適当に語ろうと思う。 春。あなたは、お日様が登り、辺りの草木が芽吹いて広がる様子を表しているそうですね。名前の響きは温かくやさしいけれど、根を「張る」力強さも感じさせます。一文字に込められた美しい物語です。 連なった横線に交わる2本の曲線は、少しずつ近づきながら天へ向かって伸びています。一層、また一層、手を合わせるようにして健気に芽吹く緑。 英語だと "spring" なのも納得です。だってバネが弾けるように新しい生命が姿を現すから。泉が "sp

眺め

良い景色を見て息を呑み、良い眺めを見て心安らぐ。書き出しできれいなことを言おうとしたのに、「よい」の予測変換の第一候補に「酔い」が続けて出てきたせいで早々に出鼻を挫かれている。 「眺め」は「景色」と似ているが、感覚的に違うのがすぐわかる。訓読みと音読みの響きの差だけでなく、意味もどこか重なっていない。なんだろう。眺めのほうが、見晴らしが良さそうに聞こえる。遠くを見ている。 山の頂上からの景色より、山の頂上からの眺めと言いたくなる。景色は写真でも見れるが、眺めは写真では見れ

読む

毎日仕事でもプライベートでも文章を読んでばかりいる。でも言葉を売ってなんかいない。どうして「言」と「売」で「読む」なんだろう。 別に漢字の成り立ちプチ雑学コーナーではないのだが、言葉の意味を考え始めると語源や由来の話を避けて通れない。調べてみたところ、「売」の旧字体である「賣」に遡る必要があるらしい。「讀賣新聞」のあれだ。よく見ると「士」+「買」で成り立っているのがわかる。 売るのに「買」が含まれていておかしな話だと思ったら、「士」が「出」の意で使われていて、「買」の反対

きっと

気が付けば「きっと」とよく零している。何かを祈るように書いているのか、確信しているように見えて実は自信のない話を垂れ流してばかりなのかはわからない。今日書き進めた先に、その答えのようなものが少しでも見えたらいいなと思ってエディタを開いている。 「きっと」は確たる自信があるときに使う推量の副詞だが、ぼくは正直そこまでの確信がないときにも使っている。もしかしたら読んでくださっている方にはニュアンスが違って伝わっているのかもしれない。まあきっとそんなことはないだろう。 仕事柄、

眠り

言葉が好きなのであれば、言葉について考えたことを書き留めればいい。昨夜は「潔い」を語った。今日は「眠り」を考えようと思う。 眠るとは、目と閉じて心身を休めること。ぼくらは眠らないと生きていけない。生きている時間の何分の一かは眠って過ごすのだから、睡眠の質を高めるのは人生の質を高めることに等しい。昨夜も潔く床に就かなかったぼくの人生は低品質まっしぐら向かうところ敵なし天下無双である。 転じて永眠の比喩としても使われるほか、いつか日の目を浴びるその時を待っている状態の意味でも