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言葉、アート、世界

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#価値

「わかりやすさ」と共感

「そうだねそうだね」という思考と感情が渋滞している。 「わかりやすさ」は現代が生み出した魔物である。ビジネスの場を中心に普遍的な価値観かのごとく闊歩してきたその魔物は、今日もあらゆる営みを餌食にしながらすくすくと育っている。 「共感」は感性が綴る物語である。かつて強大な力を振るった客観という名の正義の凋落。対局に座していた主観の復権。自分が見る美しさこそ美しいとする感性の乱立は、労なくして理想の視座を得たがる者の眼に殊更煌びやかに映る。 一見すると出自は違う。しかし、わ

「わかりやすさ」の正体

「わかりやすさ」の正体がわかってしまったという台詞は、「わかりやすさ」への迎合でしかないように見える。 まだ、この本を読んでいる。敢えてゆっくり読んでいる。早計な「わかった」を発しないよう、何度もページをめくり直しながら。 今の時代、情報に溺れないよう「自分ってこういう人」と伝えられることが良しとされる。本書では、この話が就職活動の自己PRになぞらえて述べられていて、そのくだりに続けて次のような一節があった。 感情が可視化され、管理され、選別され、計測される。それに慣れ

「わかった」の消費

わからなくなるために言葉を紡ぐと言ったら、滑稽だろうか。出逢った文章に共感できる一節がなかったら、不幸だろうか。 わからない世界を理解しようと意気込み、筆を執る。なのに書いているうちまたわからなくなる。書き終えても何かがわかったわけではない。むしろわからないことが増えていたりする。 それでいいと思っている。わかったらおしまいなのだ。「わかった」と発した瞬間、思考は停止し、新しい情報の吸収を阻害する。世界とのコミュニケーションを中断し、戸を閉ざし、自分が理解したものだけで構

「わかりやすさ」の価値

疑いようのない価値だと思っていた「わかりやすさ」を揺さぶる日々が続いている。 今の世の中、「わかりやすさ」には絶対的な信頼が置かれている。少なくともビジネスの場では替えの効かない立役者だ。上司や顧客に説明をする場面で、わかりにくい説明をしようという人間はまずいない。 「わかりやすさ」とは速度。忙しい毎日を過ごす人々にとって、速度が生み出してくれる"時間"は何よりも価値がある。自分のために時間をかけてくれることと、自分のために時間をかけないでくれること。どちらの方が価値があ

価値ある情報とは

パブリックな環境で文章を書くたび、ふと脳裏をよぎる観点。この点に関して、下記書籍の気になる一節を思い出したので書いてみる。 キュレーションは「価値」かまずは気になった書籍の引用から。 (デジタルネイティブの世代は)下手に自分で「独創」するよりも、世界中の知のクラウドから、ほどほどに適切な答えを短時間で導きだせることの方が、いやそのスキルそのものが、「知である」という「実感」を持っていると推察されるのである。…(中略)…経済は希少なものに価値を許す。「今何に注目すべきか」と

「読むこと」と「書くこと」と「生きること」との間には柵がない。

書くことが好きな人には響きそうなこの記事のタイトルは、丸山圭三郎『ソシュールを読む』(講談社学術文庫, 2012年)の「あとがき」から。以下、本書の引用に日々思うところを重ねながら、学生時代から興味の尽きないソシュールについて書いてみる(タイトル画像はwikipediaから借用)。 ソシュールって誰フェルディナン・ド・ソシュールは、20世紀の初めにスイスで活躍した言語学者。著書は無く、残された手稿と彼が大学で教鞭をとった「一般言語学講義」の聴講生のノートだけが、その思想を紐