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言葉、アート、世界

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#仕事

西武線の広告の謎を解く

今日乗った電車でヘッダー画像の広告を見かけた。いたって普通の広告だが、「西武線を」の「を」は果たして助詞として適切な使い方なのかどうかが気になった。 「乗る」が取る助詞は「に」が一般的である。「西武線に乗る」なら違和感がないと思い、試しにコーパスで調べてみたところ、概ねこの感覚で間違ってはいなさそうだった。「を」に続けたいのであれば、動詞を変えて「西武線を何度も使うと」みたいにした方が自然な気がする。 とはいえ、大手鉄道会社が大々的な広告でそんなあからさまに間違った文章を

すべてのカタチに敬意を

こないだ参加した研修で聞いた言葉が、ずっと頭の中をリフレインしている。リフレインなんて横文字使う必要ないのだが、今どうしても使いたい感じだった。ちなみに refrain(動詞:控える)とrefrain(名詞:旋律等の繰り返し)は、まったく語源の異なる同音異義語らしい。 閑話休題。リフレインしているのは、この言葉だ。 聞き覚えがあるような、ないような。ジョブズの名言の一つとして知られているようなので、どこかで耳にはしたことがあったのかもしれない。Mac や iPhone と

メモを手書きで取ったら、久しぶりに絵を描きたくなった

明日から梅雨入りすると聞いたので、電車に乗って出かけてきた。バッグの中には色鉛筆とスケッチブック。そう、絵を描いてきた。 金曜日、仕事の研修に参加してきた。テーマはデザイン思考。社外の人と意見交換しながら見えないゴールに向かっていく時間は、刺激的だった。デザイン思考についてはまだ修行中なのだが、ひとつ確かに感じているのは、自分はやはり言葉に頼りすぎているということだった。 小さい頃は絵を描くのが好きだった。働き始めてからは専ら文章のデザインばかり考えている。文章を書くのが

専門性が高いだなんて言うけれど

専門性ってなんだろうと考え続けている。 専門性とは、特定の分野の知識やスキルが高いこと。技術の発達により定型的な仕事がテクノロジーに取って変わられる中で、専門性の価値は俄かに高まっている。時をほぼ同じくして偏愛や推しといった言葉が脚光を浴びはじめたのも、個を尊重する風潮に加え、「深さ」に対するそうした価値観の移り変わりが影響しているように思う。 新卒入社した会社で、かれこれ十年以上ニッチな業務に長く携わっている。途中で職種は変わったし、同じ商品を違う角度から見ることでさな

抽象度に託された意思

「そこまで詳しく伝える必要があるだろうか?」 仕事やプライベートで、こう立ち止まる瞬間は枚挙に暇がない。何も大げさな話ばかりではなく、メールやチャットに付け加えた一言を消したり、敢えてぼかした書き方に改めるなんてことは日々無意識のうちに行っている。 詳しさとは、情報の解像度だ。被写体が何であるかわかる程度のピンボケ写真と、臨場感あふれる鮮明な写真のどちらを渡すか。とりあえずモノトーンに加工し、彩りは後から伝えるか。そもそも、彩りは伝えないか。 ここで言う解像度は、抽象度

書く誇り

最近よく仕事の話をnoteに書いている。これまで避けていたわけではないのだが、得てして情報管理の意識が強く働くため話題にする機会は少なかった。書いても数行で立ち消えるか、お蔵入りすることがほとんどだった。 とはいえ起きている時間の大半を仕事に費やしており、書くことに対するスタンスも技術も培ったのは仕事を通じてだった。だから仕事について書くこと自体は別に不思議ではない。むしろ仕事の話を書いてよいのであれば、半年くらいは毎日投稿できる自信がある。しないけど。 仕事ではカタい文

そこから先は趣味の世界だから。

そんな世界線が存在する(多分使い方を間違えている)。 仕事で「そこから先は趣味の世界だから」という台詞をよく聞く。議論が煮詰まったり、アウトプットの質が一定程度まで達した場合に、自分はそれ以上もうこだわらないから、仕上げの工程についてはあなたに任せるよ的な意味合いで使われている。 社会人になって初めて聞いたとき、どんな世界だよめっちゃ楽しそうだなと突っ込んだ。今でもたまにそう思う。でも自分もたまに使う。趣味の世界と言い放っておきながら、実は譲歩だったりする。「ぼくの考えが