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Nijiアカデミー楽しかった話、あと、絵とその価値の解体の話

夏に開催されたNijiアカデミーが楽しかったので、おおむねその話です。本記事には、一部生成AI(Niji Journey)による生成画像が含まれます。

また、本記事の内容はあくまで私個人の考えですので、ご承知おきください。

こちらはあるふさんの『生成AI Advent Calendar 2023』参加記事になります。

https://adventar.org/calendars/8557

なおヘッダ絵は手描きです。


前置きとかスタンスとか

自分は専業のイラストレーターで、生成AIについては是々非々の立場です。色んな意見の人たちが、意見は違ってもお互い敬意を持って話ができるようになるといいなと思っています。

専門は元々は生物方面だったので、技術まわりはあんまり詳しくない&家族がこの分野詳しいので、色々教えてもらってます。

イラストは手描きです(アナログもデジタルもどちらでも出来ますが、ここ5年ぐらいはフルデジタルです)。

とりあえずどんなものか分かろう、自分でも触ってみようと思って、以前完全非公開でSD2系で自作LoRA作ってみたら、全生成画像にアホ毛が生えて、そんなまさか…となったりしていました。よくよく見たら全学習元画像(全部自分で描いた絵)にアホ毛ありました。生成AIに思わぬ自分を突きつけられたりしてます。

生成AI周りへのスタンスについてはこのあたり。

(↑なにぶん一年前の記事のため、現状と合致しないところも多々あります)

あとは、ミツアちゃん(Mitsua Likes)の学習素材提供に少しづつですが参加始めました。

100枚目指してガチでお絵かき練習をした話


今年、生成AI周りで個人的にものすごい楽しかった出来事があって。

詳しくはこちらご参照頂けるとありがたいのですが、今夏はNijiAcademyに参加していました。毎週末の講義とお題を参考に、AIに練習用画像を作ってもらい、みんなで一日一枚で100枚練習、最終的に自分のキャラをデザインして一枚絵を描こう!というもの。ガチ手描き100日チャレンジでした。

こちらのnotionの『Study』『Lesson』から始まる内容がNijiアカデミーの内容です。

このあたりがすごい面白かった&勉強になりました。

  • やりたい練習に合わせて、適したお題画像をAIが出してくれるため、すぐに練習に取りかかれる(普段の練習、カテゴリ切り替え時に結構準備に時間がかかる。同じことをやってると飽きるし)

  • 各Studyは絵の作画工程や普段の引き出しづくりの工程を分割したものかつ、イラストの練習ではよく知られた方法も多い。それぞれ10分~最長でも1時間に収まるので、取り掛かりやすい。

  • Study4において、参考画像は見た目が良く、かつほどほどに『間違って』おり、それを再構成して立ち絵を作る。各パーツの見え方の引き出しを増やしつつ、間違い部分を修正していくことで、観察眼の獲得や、スキルの再確認や他の知識(解剖学や構図、実物の観察など)への導線になる

  • 講義の内容が過去から現代の芸術の歴史から(ほぼほぼ現在に至るまで話題になっているの面白い)、美しい・良い絵とはなんなのか、3D、生成AI自体のしくみについてまで、非常に幅広く網羅している。

  • 講義での絵の解体のアプローチが興味深い

  • 絵を設計し、描く工程が各回の練習に分割されており、最終的に無理なく自分の絵が仕上がる

  • デッドラインがあり、一緒に競う仲間がいる

特に講義部分、本にならないかなあ。良い内容です。

実際に描いたものはこんな感じ。特にこの、Study4、生成画像(立ち絵)をパーツに分解して、再構成して別の絵を描いてみる練習が面白かったので、そちらを参考に載せました。1枚10~30分ぐらいで描いてます。

以下、Niji Journeyで生成した画像が含まれます(カラーイラスト部分は生成画像、あとは手描きですが、生成画像をベースにした絵となります)↓

左上の生成画像のパーツをトレスで取り出し、組み替えて、全然別の立ち絵に再構成する。その練習に時間の全部を使うため(max1時間なので)、キャラクターデザインは生成されたものを踏襲しています
結局いい感じに繋いだり、布の動きとか直すのに実物の観察と理解がいる。でもなくてもそれなりに仕上げることが出来て、自然と自分のスキルちょっと上くらいに収まるのがたのしい
これはポーズを参考にしつつ、関節の位置を自分で直してみたもの。こういう挑戦もしやすい
割と最初の頃の練習
トレスを元に再構成しているはずなんですが、手癖で違和感出たりして、自分の知識の不足や間違い、認知のゆがみの見直しになる
男子の練習もっとやりたかったなあ
そんなかんじ
↑ここまでで生成画像の含まれる画像はおしまい。

忙しくなってしまって、自分は40枚ちょっとでリタイヤしてしまったのですが、少なからず実力に繋がっております。記事冒頭のイラストは、10/31で本イベントの100枚カウント終了だったので、楽しかったお礼に描いたものです。

なお、本イベントには『1つの課題にかけていいのは1時間まで!』という縛りがあったので、だいたい1時間で描いてます。前に30分縛りで練習していたときは1キャラでせいいっぱいだったので、前よりちょっと早くなりました。

この絵は全手描き。1時間で作画

生成AIを作画のCo-Pilotにできないか

Nijiアカデミーでの体験や、Fireflyの商用利用解禁以来、絵の練習や相談相手としての生成AIに興味を持っています。

ミツアちゃん(学習画像オプトイン式の生成AIモデル)などの登場で、品質の差はあれどんな意見の人も触れる環境になったなーと思うので、という前置き付きで。

ここのところ、Kritaのプラグインとして登場したリアルタイム生成プラグイン、あれを試してみていますが(なんか描いてる絵を横でいっしょけんめAIが『こんなふうに見える』とリアルタイムで出してくれるやつ)すぐにフィードバック返ってくるし、絵描き的にはすごいインターフェイス使いやすくて。自分とは別の目から自分が描いている絵を見てもらえるので、絵のアドバイザー的に使うことができます。

ざっくり上にまとめてますが、

  • 今描いてるラフの『これは方向性違う』を早く精度高く洗い出せる(AIは気ままに『こんな仕上がりかもしれん』を横で出し続けているので、手でラフを描き続けていると勝手に『この方向性は違う』『これは近い』と判断が進む)

  • 足りない作画資料のヒントをもらう(世の中に存在しない生き物とか、自分の絵柄の体型した人物とか、探しても存在しない資料を指示画像描いて擬似的に作れる。たとえ間違ってても、実物に近いものがあるのはわかりやすいし、間違いは他の資料や自分の知識で補正できる)

  • 完成手前で詰まったときに、自分以外の目からの見え方をチェックできる(生成AI、わりと素直に主題推しでの絵を提案してくるので、情報の整理の仕方の差を比べると、自分の絵の分かりづらいところを見つけやすい)

そんな感じで、生成した画像を絵に使うことなく、判断材料やアドバイザーとしての生成AIの活用が今後は期待できそうです(でもGeminiとかのマルチモーダルAIが、期待通りの仕上がりで出てきたらまたすぐ次の話になりそう)。

『生成画像を絵に使ったらいいじゃん』と思う方もおられると思いますが、生成AIの使いこなしと手での作画、完成品のメディアは一緒でも絵を作り込むための必要なスキルセットが全く別で。絵のリッチさはともかく(ここは明らかにAIが早くて上手い)、作りたいものへの近さ的には、自分のスキル構成的に、手で描いたほうがまだ全然早いです。

絵とその価値を構成するものについて

以下、雑談かつ、絵に限った話なのですが。

だいぶ前、まだここまでデジタル作画が一般化していなかった頃の話なんですが、大先輩の作家さん(油彩のアーティストさん)に『絵を描くなら必ず原画を作ること』という話を伺ったことがあります。そして、ちょっと疑問に感じました。

絵って、絵そのもので評価されるものなんじゃないの?って。

原画を作れ、ということは、所有していることでの本人の証明であったり、プロセスの記録と合わせて絵を自分で描いた事自体の証明になるのはわかるんです。実験とかやるときも実験ノート作りますもんね。

そのほかに、それの『もの』そのものや、唯一性・希少性の価値を重んじているんだなあと思って。それと同時に、絵って絵そのものの価値だけで評価されてるわけじゃないんだなあ、ということにようやっと気づいたのでした。*

(*アナログ絵はアナログ絵で、物理ベースな分『ものそのもの』の情報も扱えたりして楽しいです。絵のあり方が違うので、絵の内包する価値が違うね、というだけの話)

当時、デジタル化によって、絵の『もの』としての側面(唯一性とか)から解き放たれた絵が誕生して、私は割りとそういうものが好きで。それでも絵にはまだ絵以外の価値、例えば誰が描いたとか、誰に評価されたとか、時流に合っているかどうかとか、いろんな価値が一緒について回っている。

デジタル作画で『ものそのものの価値』からは切り離された。次は何が絵そのものから切り離されるんだろう。絵そのものが評価される日は来るんだろうか。あれからずっと考えています。

生成AIの登場は、絵やその価値のさらなる解体でもあって。
生成AI単体で絵を作れてしまうので、もしかして文脈の価値…例えば、誰が描いた、みたいな、そういうものからの分離が起こるのかなって最初は思ってたんですが。

どうもそうではなさそう。
モデルや生成過程で使われるものによってでてくる絵は違うし、同じモデルでも誰がどうやって生成するかによって、プロンプト制御による生成AI単体で可能な範囲の結果であってもかなり傾向が違ってくる。いまは個人で持てるリソースで、モデル自体を自分の作りたい表現に向けて作り込んで行くことさえできるようになってきました。

そもそも著作物って『人間の思想又は感情を創作的に表現したもの』ですもんね。人間の介在や人間自身の持つ文脈、そこはもしかすると最後まで残るものなのかも。

で、生成AIって、画像をただ作るだけではないもので、何かぼんやりとした方向性や頑固さみたいなものが見えるところ、一体何なのかなってずっと考えてたんですが、『誰か・特定の集団の価値観(属している文化も含む)や美的センス』なのかなって。絵とその価値を構成するもののうち、取り出されてきたのはそれなのかなあって。

自分は、と主語を限定して。
あと前提として、自分は自分がちゃんと絵で食っていけるのであれば、あとは自分が作ったものがなにがしか、ほかの人の役に立ったらいいな、と思っていて。

今までは、自分の創作物を後で役立ててもらうには、絵そのものが必要でした。でも生成AIの登場によって、自分(創作の思想や感情の主体)がいなくなっても、絵だけではなく、自分が選び取り続けてきた絵作りに関する価値観、それだけをツールとして残したり、誰かに託したり、活用してもらえるようになるのは、面白いなって思います。**

**(念のため、この文章は、自分に対するこの行為の許諾をするものではないです。自作の使用を希望される方はこちらをご参照ください)

日進月歩で生成AI周りの技術が進む今日このごろ、来年はまた状況が大きく変わって、別のことを考えていると思うんですけど、今年はこんなことを考えてた、ということで。おしまい。

#最後に、あるふさん、1日目の記事での昨年の記事への言及、ありがとうございました!


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