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祖先たちは何を使ってお尻を拭いてきたのか?(前編)

生殖やトイレという下半身に関する話題は比較的避けられがちだが、人間にとっては絶対に避けることのできない行為であり、とりわけ排泄は老若男女問わずすべての人に関わってくる問題だ。

食事睡眠排泄

この3点セットは正常に生きている人間なら誰もがやっていることであり、むしろこれらをせずに生きていくことは不可能である。

食事については完全にサプリメントや栄養剤のようなものだけで生きていくことが可能になったとしても、睡眠をとらないことと排泄をしないことは死に直結する。

とはいえ排泄をしたら何らかの方法でお尻を拭かなければ衛生的ではない。

現代でこそ再生紙利用のトイレットペーパーが大量に生産され、日本では温水洗浄便座(TOTOのウォシュレットなど)も発明されてお尻を綺麗に保つことは容易になったが、トイレットペーパーが現れる前の時代はどうしていたのだろうか?

トイレを見れば当時その地域が衛生面についてどの程度意識していたかが想像でき、感染症や伝染病を未然に防ごうとしていたのかがわかる。

今回はそれについて迫ってみたい。

世界のトイレ遺構

まずは現時点で考古学的に最古とされている世界各地のトイレ遺構の確認から始めよう。

メソポタミア文明

世界における最古のトイレ遺構と見られているのは現在のイラク東部バグダッドの北東約60kmに位置するメソポタミア文明アッカド王朝時代のエシュヌンナという都市にあったテル・アスマルと呼ばれる紀元前2200年頃の水洗式トイレだ。

「えっ、簡易的な貯留式じゃなくてもう水洗式?」と思うかもしれないが、驚くべきことに古代メソポタミア文明の人びとの叡智は4000数百年前にはすでに水洗式の設備を実現してしまっていた。

トイレは宮殿のなかにあり、この宮殿には少なくとも6ヶ所のトイレと5ヶ所が確認でき、トイレは煉瓦れんがをコの字状に積んで腰かけられるようにしてあった。

廃水は宮殿の東壁に沿って設置された排水管に流れ込む構造になっており、この排水管は地下に埋められてアーチ状の覆いが掛けられ、内部は上側に通路があって清掃のために歩けるように造られていた。

交易の中継地として栄えたこの町にこういった水洗式トイレが見つかっているということは、まだ発掘されていないだけで同時代の他の都市にも似たようなトイレが存在していた可能性が高いと考えるのが妥当だ。

その証拠にテル・アスマルの100年後頃のものと見られる民家からも水洗式トイレが見つかっている。

こちらも同様に煉瓦で便座が造られており、その下を水が流れて焼き物製の排水管を通って下水道からチグリス川支流のディヤラ川へと排泄物が至るようになっていた。

オリエントにおいては他にもシュメールの都市遺跡ウルで年代不詳のトイレ遺構が見つかっており、こちらはテル・アスマルのような下水道に直結した構造ではなく毛細管現象を利用した非直結型トイレだった。

古代エジプト

いっぽうエジプトのテル・エル・アマルナで見つかった紀元前1350年頃の住宅のトイレは、石灰岩で造られた座面が煉瓦の支えの上に乗った便座になっており、その下には壺が置かれていて排泄物は壺に溜まるいわゆる汲み取り式の仕組みで、それを農業の肥料として使っていたと考えられている。

この頃のエジプトでは家の前や路上で排便したりゴミを捨てたりすることが常態化していたため、アメンホテプ4世(アクエンアテン)の治世に一般住宅にもトイレと炉を設置する触れが出されたようだ。

インダス文明

パキスタン・シンド州にあるインダス文明を代表する遺跡モヘンジョダロでは腰かけ式のトイレと汚物の沈殿層が見つかっており、沐浴場や排水溝が整備されていることから水洗式トイレだったと推察されている。

モヘンジョ=ダーロは現地語で「死の丘」を意味し、学者が足を踏み入れるまでは地元民は太古の死者が眠る墳丘として恐れて近寄らない禁忌の領域だった。

インダス文字の解読がされていないため、この都市が当時どう呼ばれていたかはわかっていない。

南北を走る大通りを中心に東側に市街地、西側に城塞と区画整理された計画都市であり、建築には焼き煉瓦が使用されており、紀元前2500年から紀元前1800年頃にかけて繁栄し最大で4万人ほどが暮らしていたと推測されている。

ミノア文明

ギリシアのクレタ島は紀元前20世紀から紀元前14世紀にかけて海洋文明が栄え、この遺跡からは下水道につながった木製の便座が発見されているため水洗式トイレだったと考えられている。

この文明で使われていた線文字Aは現在も未解読となっている。

かたやギリシア本土では繁栄したアテナイの古代遺跡ですら下水施設は見つかっておらず、町はかなり不潔だったと推測される。

そのためチフス、ペスト、天然痘などの病気が頻繁に猛威をふるい、古代ギリシア滅亡の遠因だったと分析している学者も多い。

公衆、個人宅ともにトイレ自体がなく、排泄物はほぼ垂れ流し状態だった可能性が高く、アリストファネスの喜劇でも人びとが表に出て用を足すシーンが描かれている。

アリストテレスは著書『アテナイ人の国制』で、市域監督官の役割のひとつとして「汚物の処理が城壁から一定以上離れた場所でおこなわれているか」の監視があったと書いている。

古代ローマ

西暦79年にヴェスヴィオ火山の噴火によって埋もれてしまったとされるイタリアのポンペイ遺跡では下水設備が整っていたのは公衆トイレだけであり、個人の民家跡からは穴を空けただけの構造のトイレが台所の一角に見られ、2階に上がる階段の下のデッドスペースがトイレの場所となっていたような家が確認できる。

中国

紀元前2世紀の前漢の時代から俗に豚便所と呼ばれる構造のトイレが使われるようになった。

これは豚の畜舎の垣の壁上に小屋があり、その小屋で人が用を足すと排泄物が下の放牧場に落ちて豚の餌になるという仕組みであり、近代に至るまで使われていたことがわかっている。

これは台湾や沖縄にも伝わり、沖縄の首里ではフル、石垣島ではフリマア、糸満ではフアフルと呼ばれ、元の語源は風呂だと考えられている。

現在では衛生面の問題を懸念し使用されてはいない。

さて次は日本のトイレ史をざっと確認してから本題に入っていく。

この記事は 祖先たちは何を使ってお尻を拭いてきたのか?(後編) に続きます。

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