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枯れた花達

あの頃、京都祇園にて。

友達のお母さんがママさんとして切り盛りしていた祇園のクラブで、ボーイのアルバイトをしていた。

当時、付き合い始めたばかりの彼女がいて、誕生日に花束を贈る事を心に決めていた。
しかし、花の知識なんてゼロで、女子に何の花を贈ったらいいのかさっぱりわからなかった僕は、No.1ホステスのリョウコさんに小声でそっと相談した。


「あの、今度、彼女に花をプレゼントしようと思ってるんです」


「へ〜、そうなの」


「んで、花とか、俺、全然わからなくて・・・」


「フフフ」


「リョウコさんだったら、どんな花もらったら嬉しいですか?」


「ウチ?せやなぁ」


リョウコさんは、静かに静かにすんごく静かにセーラムライトの煙を吐いた後、こう言った。


「コチョウランやなぁ」


「え?コチョ、コチョラ、何ですか?」


学生の僕は、胡蝶蘭を知らなかった。


「フフフ。コ・チョ・ウ・ラン。コチョコチョちゃうでー」


切れ長目のリョウコさんがイタズラっぽく笑う。


「待って下さい。メモします。コ・チョ・ウ・ランと。ありがとうございます!」


「なんなら、いい店紹介しよか?」


「あ!ありがとうございます!」



翌日、メモを握りしめ、リョウコさんオススメの「夜しか開いてない」という祇園の花屋に向かった。


「あの・・・コチョウランってありますか?」


「あ、そこに飾ってあるよ」


こ、これが胡蝶蘭か・・・。そこには、僕の想像していたコチョウランとは全く違う胡蝶蘭様がいた。よく見ると、確かにチョウチョみたいな形の白くて可憐な花だ。僕は、夜の祇園に凛と佇む胡蝶蘭の全体像が放出する圧倒的なオーラに気圧される。


「お前如き愚民の分際で、私の方を見るんじゃない」


胡蝶蘭が岩下志麻ボイスで俺に語りかけてきた。ん?これ、鉢植しか無いのかな?俺、リョウコさんに花束って言ってなかったかな?
しかし、この花、そもそも大学生の女子がもらって嬉しいのか?


「とっとと帰りなさい」


不安気な僕の心情変化を察したか、岩下志麻がキツめに畳み掛けてきた。

いかん、いかん。今迄の俺の人生で出会った最高の女「リョウコ」が、男から花なんて腐るほどもらってきたはずのあの「リョウコ」が、「もらって嬉しい花」としてチョイスした花だ。俺にはこれしか無いんだよ。


「あの、これの花束ってありますか?」


「ん?ああ、切り花もできるよ」


切り花ってなんだ?花束って言ってんじゃんよ。切り花って一体なんだよ?チクショウ!


「料金っておいくらですか?」


「一本2万円」


え?完全に予算オーバーだ。高いよ、リョウコさん、俺、そんなに金持ってないよ。あ!もしかして、リョウコさん得意の冗談だったのかな?
リョウコさんは、祇園ではなかなか売ってないもの(亀の子タワシとか、グンゼのブリーフとか、消火器とか)を僕に買いに行かせる遊びをよくしては、僕を笑っていた。


「去れ」


岩下志麻が冷たく言い放つ。僕は黙って花屋を後にした。



数日後、いつものように客がいない時間のトランプ中(クラブで客がいないヒマな時は、たいてい大貧民)に、リョウコさんが急に思い出したように、ニコニコと話しかけてきた。


「そういえば、胡蝶蘭どうやった?彼女さん、喜んだやろ」


リョウコさん、やっぱり冗談じゃなくて本気だったんだ・・・。結局、僕は、近所の花屋で薔薇の花束を調達して、彼女に渡していた。


「・・・まあ、そうですね」


「せやろ。うちな、花の中で胡蝶蘭が1番好きやねん。あの花、品があるやろ」


この会話を横で聞いていたママが、口を挟む。


「え?あんた、胡蝶蘭なんか贈ったの?あんたの小遣いじゃとても買えんやろ。ほんで、あんたの付き合ってる彼女、ホステルさんやなくて大学生やろ。大学生に胡蝶蘭は早いわ〜」


「え!?あ、うち、悪いこと言ってしもうたかな?」


「いやいや、いいんですよ。彼女、すんごく喜んでくれましたから」


「せやろ!よかった! あ!胡蝶蘭でコチョコチョしたんちゃうの〜?」


「・・ハ、ハハ、ハハハ」



あれから何年経ったかな。未だに胡蝶蘭の花束なんて、女性に贈った事は無いよ。

今思えば、俺と3つしか歳が違わなかったんだな。なのに、手の届かないくらい圧倒的に大人の女性だったな。
リョウコ、今、何してる?リョウコ、あんたは祇園のクイーンだ。
もしもあんたが死んだら、墓には忘れずに胡蝶蘭の花束を贈らせてもらうからな。

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