アイカツは現実だよ
私がアイカツに感じている本質を書き残しておきたいな――と思ったらはてブで書いた記事に本質を言い当てた一節があったので、今回はここから抜粋します。
前提:アイカツプラネット!が発表されて、hnnmという新展開にオタクたちがビビってる中で書いた記事の一節
以下抜粋。
新しいアイカツを好きになれなくてもいいんじゃないか、という話
「今までアイカツが大好きだったのに、新しいアイカツに夢中になれなかったらどうしよう?」
そんな不安が私の心の奥底には僅かながらも存在しますし、同じような不安を抱えている方もいらっしゃるでしょう。
ここから語るのはあくまで私自身の感情であり解釈であり心の持ちようの話なのですが、実のところ別に新しいアイカツを好きになれなくてもそれはそれでいいのかなと思っています。
さきほどから何度か「アイカツと現実はひとつづき」という話題を出してきました。
一昔前は「アニメはオタクたちがうまくいかない現実から逃げるための幻想」だなんて言われ方をすることもあり、実際に「つらいときの逃げ場所」といった側面が創作物に存在することは決して否定できませんが、そんな中でアイカツというコンテンツはこれ以上なく「現実」と接続された存在であると私は感じています。
アイカツ!の世界観は一見して悪人のいない平和な優しいファンタジー世界のように感じられながら、それは決して優しいファンタジーではなく「現実でもアイカツみたいに頑張れる、頑張ろう」というある意味では厳しいメッセージが込められていること。
それはキャストさんとアニメ世界のリンクだけでなく、アニメ本編でもそういった要素がたくさん存在しています。
現実におけるアイカツというコンテンツを通じた人と人の繋がりを抽象化した「アイカツのWA」や「トモダチカラ」だけでなく、もっとわかりやすいワードでもそういったことは語られてきました。
アイカツという作品に勇気づけられて夢に向かって進んでいくこと、夢だなんて大それたものでなくても素敵な今日や明日を迎えたいと祈る気持ち……アイカツの物語は「疲弊した現実の代替」ではなく、現実のある一側面を描くことによる現実にいる視聴者への訴えかけ、より良い明日への自己啓発でした。
たとえばアイカツフレンズ!第4話「憧れのマイブランド」にて、一度はブランドを持つという夢を諦めた千春さんがあいねちゃんの姿に勇気づけられてもう一度夢を志す姿は、アイカツのアイドルに勇気づけられて現実の大人が前に進もうとする姿がそっくりそのままアニメのシナリオに落とし込まれていたと思います。
崖を登ることはアイカツ。海に潜ることもアイカツ。どれもアイカツ。これもアイカツ。ずっとアイカツ。いつもアイカツ。
そもそも「アイカツとは何か?」という問いに答えを出すとしたら「人生をより良く輝かせる前向きな活動すべて」ということになるのかもしれません。
アイカツを観た人が少しでも素敵な明日を迎えられたらそれはアイカツ。またはアイカツに携わったスタッフやキャストが別コンテンツで活躍していたらそれもアイカツ。
「アイカツ」という概念は「アイカツ!シリーズ」という作品内に留まらず、アイカツというコンテンツの外でも存在するはずです。
アイカツプラネット!を好きになれなかったからアイカツに見放されたというわけではなく、それぞれが今までのアイカツから受け取った輝きを胸にそれぞれの人生でそれぞれのアイカツをやっていければそれでいいのではないかと私は思っています。
今までアイカツは8年も続いてきたのです。8年間も輝きを受け取って、何もないということはないでしょう。
アイカツはいつだって前に進むことの尊さや辛さを描いてきました。
それは「あなたはここにいてもいいんだよ」という赦しを視聴者に与えてくれるような他の作品と比べると、挫折と隣り合わせの厳しく現実的なメッセージなのかもしれません。
小さい子が「いつか○○みたいになりたい!」と純朴に願うことと、大人が「一度諦めた○○にもう一度挑戦したい」とではまるで重みが違います。
しかしさきほど述べたアイカツフレンズ!第4話のように、アイカツは子供だけでなく大人にもそのメッセージを届けようとしているのです。
アイカツ!シリーズも、無印からあかりジェネレーション、スターズ、フレンズへとシリーズが長期に渡って続く中で、「こんなのアイカツじゃない!」とファンが離れることもあったはずです。
私がいつかアイカツ!というコンテンツから離れなければならなくなったとき、アイカツから受け取った輝きを胸に自分なりの未来向きな今を続けていくことができるのか?
それともアイカツの何もかもを忘れて、新しく夢中になれる他のコンテンツを見つけたり、いずれそのコンテンツも忘れてしまったり、今まで好きになったものを忘れながらコンテンツを渡り歩いていくのか?
アイカツ!シリーズが9年目を迎え、アイカツプラネット!という作品で大規模なリニューアルを行うというこのときにおいて、私はそんなことを考えてしまうのでした。
以上抜粋
アイカツが無かったら私は今頃色々なことを諦めたつまらない人間になっていたと思う。
アイカツがあるから「自分がアイカツから受け取ったものを創作に落とし込みたい!」と思っていられるし、その一次創作がどんなに形にならなくても、しんどくても、死にかけた身体を引き摺って諦めていないフリをし続けられているのかもしれない。
人によってはアイカツのまっすぐなメッセージが逃げ道を塞ぐ呪いになっているのかもしれないけれど、私としては仮にアイカツが呪いだとしても、それはそれで構わないと思っている。
おそらくアイカツが無かったら、私は私ではなかった。
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