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婚活を始められないわたしの話 7

注意 ちょっとだけ生々しい話

まあ当社比ですが。
これはまず自分のための日記で、それと誰かわたしと同じような人がネットの海を彷徨っていたら、この日記が冒険者の骸骨くらいの役割を果たさないかなと言う気持ちで書いているものなので。
もし読む方がいたら注意してください。

婚活できない話に最終的に繋がるかもしれない話。

週末は普段より予定が少なく、その分時間があったのに、結局普段より家事が進まないていたらくだった。性的欲求が抑えのつかない状態になって、その対処にほとんどの時間を使ってしまったのだ。

「対処」とは具体的に何をするか。
自分のために、ロマンス小説とエロ小説をひたすら書きまくる。そして読む。
わたしの書く「対わたし」の文章はかなり上手い。少なくとも、そうやって脳髄を犯すことができる(概念的マスターベーション…)。そうして虚脱状態になっている間に時間が過ぎていった。
相当やばい人間である。まあでも、普通の人もセックスに時間使ってるだろうし…。いや、それは「普通」だから社会的に許されるだけなのか。

たいていはロマンスかエロのどっちかでいい。たぶんホルモンバランス的に、どっちがほしいかは周期的に切り替わっている。
ロマンスとエロは私の中でかなりはっきり二分されている。エロにセックスは要らないし、ロマンスに過度の性的倒錯は要らない。どっちも必要になったということは、かなり異常事態だったということだ。歳を取ると性欲が強くなるというのはほんとうなんだろうか。

それはさておき、そもそも性的欲求の対処法からして通常時から異常だ。

一つは、「他人の物語」ではダメで、わざわざ物語を自己調達してること。他人の物語を読む時もあるけど、一番興が乗るのは自分の書いたシチュエーションだ。なんでだろうか。

一般論だけど、物語というものの最大の欠点は、自分が主人公ではないことだ。ロマンス小説と実際のセックスの最大の隔たりもそこにある。いくら妄想をたくましくしても、それを埋めることは誰にもできない。
人が一読者と言う傍観者を超えて、物語に唯一参画する方法はたった二つ。書くことか、演じることだ。現状のわたしのそばには相手が誰もおらず、誰かと演じることができないので、エロなりセックスなりに参画する唯一の方法は、自分が書くことになる。
つまり、わたしはエロとロマンスの傍観者では足りないのだ。性的欲求が他者を見つけえないまま、それでも自分が性をめぐる物語に参画するために、夢中で文字をつづる羽目になるのだ。

ここまで書いてつながったけど。
わたしは物語の中のように恋愛をしようとするただの人が嫌いだ。
婉曲に言って大変現実的な容姿と性格をしているにもかかわらず、わたしと物語の中のように恋愛をしようとした人を嫌いすぎて、秒で別れを告げたことがある。「まあでも、あの顔とよくつき合おうと思ったな、と思ってたよ」と後から友人に言われたが、「顔自体はまあどうでもええねん。あの顔なのに恋愛の仕方がありきたりでキモかったねん」と思っていた。
でも今思えば、彼は恋愛と言う物語に参画するために、まさにありきたりな恋人の姿を「演じて」いたのだ。それはでも「恋愛物語」ありきの参画方法であって、自然発生した感情ではない。発端の気持ちが本物だったとしても、脚本を譲り渡して演じてしまった瞬間に、それは物語に取って代わられてしまう。しかし我々のほとんど(特に喪男と喪女)は、物語に出演するには力不足だ。
 そしてわたしは、わたしが巻き込まれかけた「恋愛物語」の偽物感が、そしてその偽物感に無頓着な相手のあさましさが、どうしても気持ち悪く、許せなかったのだ。

 ああ、そうか、そういうことだったのだ。

 しかしそれ、婚活の全否定とは言わないけど。半分くらいの婚活メイトは、物語を求め、物語を演じようとして活動している印象があるけれど。それを気持ち悪いと思ってしまう、この状態で婚活できるんだろうか。
 逆に恋活要素を含まない婚活の方が、そこはすっぱり切り落としていけるんだろうか。

 この話は掘り下げがいがありそうだ。
「エロ」に参画しようとは思わない、という第二段階の話まで本当は書くべきなんだけれど、もう普段よりずいぶん長く書いたし寝る時間も過ぎているのでここでおしまい。

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