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ウィーン・プラハ紀行 4日目 その1

(2019年4月8日) 

そろそろ書くのが面倒くさく、、、なんてなってません!何かに取り憑かれたように一生懸命書いてます。遅れているのはご容赦ください。 

4日もこっちにいると、だんだん身体が慣れてきます。水とか、食べ物とか、気候とか。宿の使い勝手も、ほぼマイホーム状態。帰りたくなくなってきました。 

今日は夜のオペラ(ボエーム!)まで時間があるので、しっかり観光を。といっても、本来の目的であります「墓参り」です!ウィーン中央墓地に、ブラームス先生に会いに行ってきます。 

アクセスは抜群、乗り慣れたトラムの71番に乗って約20分、ウィーン南側に中央墓地があります。バカでかい墓地で、およそ300万人が眠るとのこと。中にバスまで走ってます。 

2番入口から歩いて程近くに、我がブラームス先生のお墓、ありました。勧められたようにお花を門の前で買って、日本から持ってきた赤霧島と一緒にお供えしました。酒好きブラームス先生のお口に合いますかどうか。 

ブラームス先生のお墓の前で、泣きはしませんでした。クラリネット五重奏曲第2楽章を脳内再生して、写真も撮り、お墓の前で少し語りました。鳥が鳴いてました。墓整備の工事の音が鳴ってました。 

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32aの音楽家エリアは、Iさんが仰っていたように、さながら音楽家の同窓会状態。遺骨はないけどモーツァルトさんを中央に、古典派からロマン派の作曲家が密集してます。工事中で綺麗な写真は撮れなかったですが、それでも良し。 

ここから、スグ帰れば良いのにマニアな私、他の場所にある音楽家のお墓を探しに行きます。まず最初にシェーンベルク、ボスコフスキー、フランツ・シュミット、それからツェムリンスキーやリゲティの墓もあります。心理学者のアドラーさんも。 

ここで私、ふと思いました。こんな最近の音楽家がいるのなら、わが尊敬するウィーンフィルのプリンツ先生やウラッハ先生の墓もあるのでは?インターネット時代、すごいです。共同墓地の埋葬者を調べるサイトにたどり着きました。 

ウィーン共同墓地サイト

ここで、「prinz」と入力すると、めっちゃ出てきます。まあまあメジャーな名前みたい。「中央墓地」と死亡年「2014」を入れると、13件の中に、いらっしゃるではありませんか。 

かなり奥にある様子、少し怯みましたが、このフェイスブック投稿を楽しみにして下さっている皆さまのために(意味不明)、行ってきましたよ。 

本当に広大な墓地、偉人地区だけの訪問では分からなかったと思い、ちょっと得した気分に。中央のカール教会のウラにはロシア人戦没者のお墓が。街中にも戦勝記念碑がありますが、ウィーンを舞台に戦った戦没者なのでしょう。一際、敬われていたように感じました。 

ひたすら歩き、たどり着いたお墓。一緒にお眠りのオットー・コルベ(Otto Kolbe)さんとマティルデ・コルベ(Mathilde Kolbe)さんは誰?まあ親戚かなぁと思いお祈りと、写真を撮って、お墓を後にしました。 

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すっかり午前中を墓参りに当ててしまいました。念願の靴も手に入れ、お昼を街中で軽く済ませ、ひとまず夜のオペラに備えて一度宿へ緊急避難。ダラダラします! 

先ほどのコルベさん、今調べると、どうもマティルデさんの方がアルトのプロフェッショナルで、マーラーとも一緒に仕事した人みたい!マティルデ・フレーリヒ(Mathilde Fröhlich)さんが結婚してコルベさんになり、引退したとのこと。何とプリンツ先生はそのお孫さん。どうりで!
マーラー3番の作曲時期と被りますが、もしかして??英語詳しい人、「Correspondence with Mahler」って文通以外の意味ありますか??? 

(ドイツ語ですが翻訳機で何とか理解)
https://www.gustav-mahler.eu/index.php/personen-2/1817-frohlich

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