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忙しさが増えたのか、身体がついていかないのか

そんなことを考えながら、さっきまで寝ていた。ぐっすりしっかり寝た。

仕事としての営業職を語るときに、たまに、いったい何のために、体に鞭打ってやっているのかわからなくなる。

それでも、なけなしのお給料をもらうために、がんばる。それも是。それでも、家族を養うために、がんばる。それもまた是。私の場合は養育費がある。それも働く理由であることは、間違いない。

分からなくなるのは、ふとしたきっかけだ。たぶんみんな、シアワセになりたい。シアワセって何だろう?私が今読んでいる本に、「豊かさ」についての論考があった。その本では、聖書にも入っている「知恵の書」をからの譬え話を引用して、平たくいえば「今も昔も、変わらない」というようなことが書いてあった。

いま、遅まきながら「愛の不時着」を観ている。16話の佳境だ。韓国ドラマのあるある設定に漏れず、お金持ちの財閥の令嬢がヒロインだ。しかし、シアワセではない。その彼女が、シアワセを探し求め、出会うさまが、良い。

「生きる意味」ともいえる。私は今日、小さなあることで、シアワセを感じた。何かは書かないでおく。みんなが感じられる、なんてことないことだ。そんなしょうもないことでも、シアワセを感じられた。そんな小さな小さなことでも、シアワセを感じられる自分を、褒めてあげたい。それでも、また、「豊か」になるために、「生きる」ために、誰かのために、生きていきたい。

さて、続きみよ。

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