Clara
「COGY(足こぎ車いす)」が増やしてくれた脚力で「行けるはずがなかった場所」へ行ってみようと決め、「これが最後かも」とおもいつつ、意外にも多くの場所へ歩み入っています。
2020年にテレビ放映されたドキュメンタリーに関する記録をまとめます。番号のついた記事は⑮まで続く予定です。
「COGY(足こぎ車いす)」関連の記事をまとめました。
【記録◆2024年5月9日】 「空が目の高さにある……」と、声に出しました。 それから、「空が、目の高さより下にある……」と。 近畿で最も高い所を通る『大台ヶ原ドライブウェイ』で。 (最初の写真は、帰りに撮った最後の1枚です。「行き着くこと」に体力を充てるため、「帰りに余力があれば撮る」と決めています。) 植生の豊かさに驚きました。 いつもだと、「山奥のハイウェイ(信号も対向車もない道)」と名づけた道路を走り、「秘境」と名づけた山懐に入り込んでも、立ち並んでい
【記録◆2024年5月1日】② ようやく、当初の目的地に着きました。 ここに来るつもりで家を出たのでした。 見えている部分が約14mで、その後ろは22m30cmの高さがあるそうです。 (段瀑でも、滝壺まで近づくと上段が見えなくなります。) 「神が岩を押し分けて出てきた」とされる亀裂が裏側にある、とのこと。 記紀には、この国つ神に尾があった、と記されています。このあたりも、ここより上流でも、「尾のある神々」の名が地名となっています。 ふと思い出しました。わ
【記録◆2024年5月1日】① 「この瀧をどうしたら眺めていられるのだろう」と何年も考えていました。 何回も見ているのです。車を止められなくて、いつも一瞬だったけれど。 『西河(にじっこう)の瀧』は、『吉野川』にかかる「渓流瀑」です。 (地図には、「大滝割滝(おおたきわりだき)」という名で表示されます。また、すぐ近くの『せいれいの瀧』も別名は「虹光(にじっこう)の瀧」。読み方の「音」のほうに意味があるのでしょうか?) 滝へ行く予定はなかったのに、偶然が重なって、こ
【記録◆2024年4月18日】 都会を好まないため、用事がなかったら、街にさえ行きません。 大和盆地の北部にさえ行かない、ということです(車椅子ユーザーなので買い物にも出ません。家まで届けてもらうか、必要な物を自分で作るか)。 住処に居ないときには、『笠置山地』か『高見山地』か『紀伊山地』か『金剛山地』に居ます。 先週に行った『生駒山地』は北西なので、街を通る必要がありました。 (行ってみると、緑なす丘が多く、住むには良さそうな街でしたが。) きょうは、街が
【記録◆2024年4月12日】② ◇磐船(いわふね)神社◇ 「妙見山」に隕石が落下したとき、飛び散った岩が落ちた所です。 舟形の巨岩は、山頂部分だったのでしょうか。 『星田妙見宮』の御神体は山上の磐座で、「COGY(足こぎ車いす)」だと行けないことが少し切なかったけれど、次に行く『磐船神社』では二本杖で御神体まで行けると分かっていたので、気持ちを切り替えられたのでした。 周辺にも岩が散らばり、『天野川』を埋め尽くしています。 「妙見山から飛び散った岩が落ちるまで
【記録◆2024年4月12日】① 奈良県の大きな地図を買い、行った所に付箋ミニ(25×7.5mm)を貼っていたのですが、広げておけない大きさだから、付箋の多い部分だけを残して折りたたみ、最北端と最南端の市町村は表に出せませんでした。 ハタキをかける方向に気をつけても付箋は剥がれるから、画鋲に替えようと考え、大きなコルクボード(高さ90cm×幅60cm)に地図を貼りつけて、「行った印」を差したら、透明な丸ピンが角度によっては光球のよう。 縄文の神々との交感が各地で小
【記録◆2024年4月2日】 4ヶ月前に見つけられなかった場所を、探しに行きました。 「まだ命が続くのなら、いま居る所の向こう側で見つけたい。新緑の季節が再び巡ってきたときに」と記していたけれど、芽吹きの時を待たずに。 冬の前に探したのは、19年前に、かろうじて辿り着いた坂道の果て。 子どもたちが向かいの山へ駈けていくのを見送るしかできなくて、 「まだ、いっしょに駈けたい。脚の治療をしよう」と決めた場所でした。 記憶にあるのは、自分が立っている小さな丘。そこだけ
【記録◆2024年3月27日】 「島根の出雲」で副王の「事代主(コトシロヌシ)が亡くなった後、妃の「活玉依姫(イクタマヨリヒメ)」は子どもたちと実家(大阪府高槻市)に帰りました。 息子の「奇日方(クシヒカタ)」は成長すると、新しい王国をつくるため「大和」の葛城山東麓に移り、その後、妹の「タタライスズヒメ(三輪山の初代祭主)」と「イスズヨリヒメ」が先に住んだ三輪山西麓へ移りました。 姉妹が住んだ『出雲屋敷跡』に行ったのは12日前。 同じ日、初代大王(タタライスズヒメ
【記録◆2024年3月15日】② 昨年の最後の日、「天香久山」の山頂に祀られている「國常立命」は、『地球の創成に深く関わった金色の龍神の人型』で、「天香久山」の古名は「龍王山」だった、という話を知りました。 「神代七代」の最初の神さまなのに、主祭神となっている所は大和盆地では検索に挙がってきません。「三輪山」の南麓に、ようやくみつかりました。祀られている「十二柱の神さま」の一柱として。 ◇十二柱(じゅうにはしら)神社◇ 「神さま、撮らせていただきます」と、お願いをし
【記録◆2024年3月15日】① この日にみた最も美しい光景は、桜花に可憐なくちばしを差し入れて蜜を吸いつつ花から花へ移っていく鶯が、飛び立つときにだけ散らした花びら。 ゆっくりと3枚ほどが、輝きながら風に舞って落ちていく様でした。 大和盆地が沼地だった頃に最初の王国が創られた「葛城山の東麓」から、東の視界の果て「三輪山の西麓」に「奇日方(クシヒカタ)」が移ったのは何年後だったのでしょう。 わたしは、「週」と「日」で数えられる時の後、三輪山の麓に居ました。 三
【記録◆2024年3月4日】 「大和盆地中央では、風に舞う雪さえも、今年は見ていない」 と書いたら、3月に入ってから雪が舞いました。 前の週、「高鴨神社まで上ってくる間に見た風景を、もういちど見たい」と想い、「願いがかなうとしたら来冬」と書きつつ、「いつか」という時は何十年も前から当てにしていない、と感じてもいたため、わずか数日の後、「たたなづく青垣の涯てが白く縁取られた光景」を求めて盆地の果てへ。 橿原市のあたりから西へ向かうと、坂道の天辺から二上山の雄岳と雌岳
【記録◆2024年2月27日】 「山が名告る」という体験をしたのは、10代の終わり。 目から魂に入り込んできた名は、畝傍山でした。 以下の記事に少し、その体験を書いています。 「山に招ばれる」という体験をしたのは、20代の終わり。 伊勢(三重県)から奈良を経由して京都へ向かう途上、「人生の分岐」が現れて道を選ぶ必要に迫られ、「このまま進む」と考えた瞬間、乗っていた電車の窓が山に占められ、「違う、この道じゃない」と分かったのでした。 わたしを招んだのは「三輪山
【記録◆2024年2月14日】② 杖を使いはじめた頃は、1本の杖で脚の痛みが軽くなって驚きました。 でも、杖を突く腕や肩が慣れるまで痛み、泣きたいほどでした。 人間の腕は、移動に適していないのです。 でも、障害がない部分は使うほどに力を増します。無理をしなければ。 いまは、杖が1本だと身体を左右に振らないと前へ進めません。 右の腕にも左の腕にも杖を持つと、振れる幅が小さくなります。 右脚が真っすぐ前へ出ないので、左脚を前に出して進みます。 段差や階段で
【記録◆2024年2月14日】① 冬には標高の高い所へ行けません。 山間の道は凍結するし、雪が積もるかもしれないので。 車道から見えている瀧にさえ近づけません。 土や岩のどこが凍っているか判らないので。 冬に浴びる水しぶきは、体温を奪うでしょう。 初夏にも日陰では手が凍りそうになる所だと。 一方、「桜、新緑、紅葉の季節には行けない瀧」があります。 訪れるひとが多くて、歩く距離が長い所。 初夏でも、梅雨の時期なら行けることもあります(土砂の崩落や落石
【記録◆2024年2月7日】 奈良には「丹生」と名に入った神社が幾つもあるのに、「丹生都比売」を祭神としているのは、『犬飼山 転法輪寺』の「丹生明神社」だけで、他には見つけられません。 前日には大和盆地の西の山々が白くなっていたけれど、翌日にはどこにも雪は残っていませんでした。行き先が山中ではないから道路の状態はさして気にせず、先月に2回も通り過ぎた「奈良県五條市」へ向かいました。 その先の和歌山県には、丹生都比売を祭神とする神社が幾つもあります。 奈良県の端は
【記録◆2024年1月23日】② 先週、「西の海は、おもっているより近いのでは」と考えたとき、 「そこにも丹生都比売の神社があれば、行ってみよう」とおもったのです。 調べてみると、『玉津島(たまつしま)神社』の御祭神が「稚日女尊」。 それは、「丹生都比売(にうつひめ)」の別名でした。 『玉津島神社』の美しい本殿を写真ではなく実際に見たいとおもったのに、現在は「覆殿」で保護されているため屋根しか見えない、とのこと。 目にすれば自分のうちの何かが目覚めるような気がした