【小説】#松本清張・最大のミステイク(ショートショート)

「まあ、あれほどの作家だからね」
彼は松本清張の研究家である。
著作もある。
彼は兄。
兄にとって「あれほどの作家」とは松本清張しかいない。

私は、女子高に通い始めて半年――文学少女。
テレビで放映していた『点と線』を観て、清張マジックに見事に嵌った。
巷では、ちょっとした清張ブームらしい。

「何度目のブームか分からない。スルメのように何度も噛んでも、味わい尽くせない。飽きない魅力。それが清張の凄さだ」
兄が熱弁する。

「『点と線』の4分間トリックは、今見ても新鮮」
私は言った。

「そう。日本で最も有名なトリックの一つなのだが、何か違和感はないか」
「違和感」
「トリック上の欠陥があるんだ。文章が上手いので見過ごされがちなんだが」
兄が謎かけをしてくる。

「わからない」

「簡単。あの場面、トリックが2つ必要なんだ。まず一つ目。あの4分間に、犯人が列車の手前側でホステス達にプラットホームを見せる。こっちのトリックは成立している」
「うん」
「だが、二つ目のトリックがアウト。つまり列車の向こう側を同じ4分間に、殺される二人を都合よく歩かせなきゃいけない。こっちが成立していない」
兄は図に書いてくれた。

「本当だ。生身の人間が、4分間にドコを歩くかなんて超能力者でもなければ、わかりっこない」
「正解」

「まあ、清張ほどの天才なら、上手く辻褄を合わせて書くこともできただろう。だが最後まで、この部分について触れられない」
「清張にも筆の誤り」
「うん。でも俺、このミスを、わざと残したんじゃないかと思ってる」
兄は真剣である。
「わざとミスをしたってこと?」
「否。初めは、本当に勘違いしたんだろう。出版後にミスの指摘があったと思う。けれども、そのまま本人は原稿を直さず、わざと流通させていたんだ。こんなこと、誰も指摘しない。だから全くのオリジナルの解釈」

「清張は、ミスを逆手にとって読者に謎かけしたのかもしれない」

「でも、出版後に原稿を直したりできるの?」

「できるさ。連載ものは当たり前のようにやっている。書籍として出版された本に(加筆修正したものです)って記されているだろ。だから別にルール違反でも何でもない。川端康成も、雪国を発表した後、あの有名な部分に手を加えている。だから清張も直せたはずだ」

真相については、見当もつかなかった。

「でも俺、このミステイクは、エッシャーの騙し絵や、腕の無いミロのビーナス像みたいに不思議な魅力があると思う」


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