ヘンリー・ジェイムズ『ねじの回転』を読んでみた〜マイルズは単なる被害者ではない!?

※レポートを加筆修正して公開しています
○序論

 ヘンリー・ジェイムズ『ねじの回転』(注1)において、マイルズとの話し合いにのぞむガバネスは次のように思案する。

 「今ここで私が感じたことはーそれを何度も何度も感じているのだがー私の平衡は、自らの厳格な意志、すなわち、対処しなければならない忌まわしくも、自然に反した真実に対し、可能な限りしっかりと目を閉じるという意志にかかっているということだった」。(ヘンリー・ジェイムズ『ねじの回転』第22章、拙訳)。

 ここでいう「自然に反した真実」とは、マイルズとクイントと思しき幽霊(以下、クイントの幽霊)にかかわることだと思われる。たしかに幽霊とは、現実には存在し得ないとされるものであるということから、「自然に反した真実」とは端的にクイントの霊の存在を指しているともいえなくもない。しかしここでのガバネスの思案は、マイルズとの会話の前になされたものである。そのためここでの「自然に反した真実」とは、マイルズとクイント両者の関係についてだと考えられる。この場面においてガバネスが問題にしているのは、幽霊の存在ではなく、マイルズが幽霊とどのような関係を結んでいるのか、或いは結ぼうとしているのか、ということではあるまいか。

 本稿はここでの「自然に反した真実」とは、どのようなものであったかを具体的に分析する試みである。またガバネスの混乱が、マイルズを幽霊に狙われる一方的な被害者みなせなくなったことに起因することを示す試みでもある。

○本論
 
 ガバネスはクイントの幽霊と遭遇した後、彼がマイルズを狙っていると決めつけ、次のようにグロースさんに力説している。

 「「彼は小さなマイルズを探していました」今、はっきりとした前兆が私に取り憑いた。「それは、彼が探していた人です」/「でも、どうして分かるのですか?」/「分かるのです!分かるのです!分かるのです!」私の高揚感はさらに高まった。「あなただって分かっているでしょう!」/グロースさんはそのことを否定しなかったが、私はこれ以上このことを話す必要がないと感じた」(ヘンリー・ジェイムズ『ねじの回転』、第6章、拙訳、/は改行を示す)

 この時点ではガバネスは、クイントがマイルズを一方的に狙っていると考えているようである。後の箇所の「その男が。彼が子供たちの前に現れたいのです」というガバネスの発言からも、このことを裏付けることができる。この場面においてガバネスは、マイルズを被害者として位置づけようとしているのではないだろうか。そのためガバネスは、犠牲になってでも子供たちを守ろうと決意するのである。

 ここでのグロースさんとの会話において、クイントとマイルズに同性愛的な関係が示唆されていることも見逃せない。生前のクイントは素行が悪く「秘密の障害」を持っていたこと、またマイルズと異様なまでに親しかったことが、グロースさんから語られる。このこととマイルズが何らかの理由で放校処分になっていることを合わせて考えると、二人の間に性的な関係があった可能性が浮かび上がってくる。ガバネスはグロースさんに「他に恐れたことはありませんか?他のその男の影響はありませんでしたか?」と問うている。この質問は、クイントがマイルズに対し公言しにくい影響を与えていたとガバネスが想像していたことを裏づけている。異性愛規範において、同性愛は「不自然」な欲望とみなされ排除される。そのため「自然に反した真実」とは、マイルズとクイントの同性愛的な関係であるとも解釈できる。しかしそれだけでは十分でない。この時点ではガバネスの中で、マイルズはクイントに一方的に欲望を抱かれる存在として位置づけられていることに注意したい。クイントがマイルズを一方的に求めているという話であれば、ここまでガバネスが混乱することはなかっただろう。

 やがてマイルズとクイントの関係が一方的なものなのだろうか、という疑念がガバネスに生じてくる。決定的なのは、夜マイルズが幽霊と遭遇しているのをガバネスが目撃する場面である。

 「月が異様なほどに夜に見通しを与えていたので、芝生にいる人物が見えた。遠くの小さな人物は微動だにせず、まるで魅入られたように立っていた。彼は私のいる場所を見上げていた。彼は私を見ているというより、むしろ私の上のほうの何かを見ていた。明らかに私の頭上に、すなわち塔の上に他の人間がいる。(中略)芝生にいた人物はー私はそのことを知って胸が苦しくなったがーまだ幼い子供のマイルズであった」。(ヘンリー・ジェイムズ『ねじの回転』、第10章、拙訳)

 この場面において一方的に欲望される存在だと思われていたマイルズが、実はクイントを欲望する存在でもあるのではないかというガバネスの懐疑が生じているといえる。この文脈でマイルズが「魅入られてように」塔の上を「見上げていた」という描写はきわめて示唆的である。マイルズは眼差されるだけでなく、眼差す存在でもあった。「魅入られ」るという受動的な側面と「見上げる」という能動的な側面を併せ持つ人物としてのマイルズ像を、この描写かは浮かび上がらせている。マイルズもまたクイントの存在を欲望しているのではあるまいか。子供であるマイルズがこのような欲望を抱いているということは、ガバネスにとって認めがたいことであったようだ。だからこそガバネスは「そのことを知って胸が苦しくなった」のであろう。このことを踏まえれば、「自然に反した真実」とは子供であるマイルズもまたクイントに対して積極的な欲望を抱いていたということであるといえるのではなかろうか。

 ガバネスの平衡を失わせるのは、幽霊の存在だけではない。一方的な「被害者」だとカテゴライズしていたマイルズが、実は子供であるにもかかわらず「不自然」な欲望から幽霊との積極的な関係を結んでいるのではないか。この懐疑によってガバネスは、どのような存在者としてマイルズに接するのかを決定できなくなる。物語の最後、ガバネスはマイルズをクイントから守るべく強く抱きしめ、マイルズの心臓を止めてしまう。ガバネスはマイルズを「被害者」という枠になんとか留めようとした結果、逆に生身のマイルズと向き合うことができなくなり、最終的にその命を奪うことになってしまうのである。

〇結論
 
 ここまでガバネスのいう「自然に反した真実」とは具体的になにを指すのか検討した。「自然に反した真実」とは、①マイルズとクイントの同性愛的な関係であり、②子供であるマイルズもまた積極的にクイントを欲望していることであった。そしてマイルズを一方的な「被害者」としてみなせないということが、ガバネスから冷静さを失わせ、それが悲劇的な結末へと通じていることも明らかにした。


(注1) Henry James "The TURN OF THE SCREW"。尚、訳にあたりヘンリー・ジェイムズ『ねじの回転』小川高義訳(新潮文庫、2017年)を適宜参照した。

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