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失われた時を求めて、読了

約三ヶ月半の日数をかけて、岩波文庫版吉川一義訳失われた時を求めてを読了した。
論評にあたっては、約14巻それぞれの巻末で訳者が作品に深い洞察を持って記されているから、このノートは、これだけ長い作品を読むということが私にとってどのような経験になったかを主に書こうと思う。

私はAmazonで全巻セットの美装ケースを一括購入した。元々フランス文学に興味があったのもあるが、約6000ページという超大な時間の読書体験という新規性に惹かれていた部分が大きいと思う。
大学の教室、バイト先に向かう電車、自室、喫茶店、様々な場所で読み、何度「なげえな、これ」と独り言を呟いたから思い出せない。三ヶ月半という期間の中、それだけこの作品に対して長いなぁと思ったにも関わらず、読み終わってしまえば割とあっさり、短かったな、と思うものである。
光陰矢の如し、一日一日は長く感じるものであるけれど、過ぎ去ってしまえば24時間の経過がわずかな記憶に凝縮されるのみであるし、その読んだ期間を三ヶ月半、という一言で凝縮することができるのだから、やはり人生もこのように過ぎ去っていくのだろうと思った。当たり前のことかもしれないけれど。
ただ、この作品には長い分それだけ読ませる力があるのは言うまでもない。一文一文を詳細に読めば詩的な楽しみ方もできるし、全体で見ればそのエピソードを楽しむことができる。
フロイト、ユング以前からこのように無意識に対する深い洞察をしているプルーストにも畏敬の念を持たざるを得ない。

自分の人生全体を本にしたら、どれだけの長さになるか、と考えることがあるが、全14巻(それも未完と言われている)にもなる膨大な量になるのか、それだけ自分は世界に対して内省をすることができるのだろうか。
時間の中で人間を捉えることが、まだ22歳の私には難しいことであるから、空間の中だけではなく時間の経過の中で生きている私がどのような発見をこれからしていくのかも楽しみである。

この本を酒を飲みながら語り合える仲の友人を作ることがとりあえずの今後の人生の目標かなあ。クリスマスプレゼントには集英社の方の全巻セットをお願いしちゃいました。また長いようで短い旅が始まるけど、それもまた楽しみ。
どれだけ本を読んだかっていうマウンティングの指標が一辺倒に作品数で語られがちだけど、そういう俗世間的なことから逃れるようにこの一作品を読み続けるのっていいよね。
そういう嗜好も私がその価値基準を意識してしまってのことがしれないけれど。
ただ、流れるようにゆっくり読む。一文一文を嗜むように読んでいけば、きっと読み終えることができる作品だと思う。
そして私も日々の生活のなかで無意識的記憶に導かれるまま、その感動を噛み締めたいものだなあ
無意識的記憶、無意識的記憶、、なんかすごい頭が痛くなる。
文章を始まりと最後で文体が変わっていく、雑なくせやめたいな。物書きは絶対向いてないな。
本を読む時くらいゆっくりしてこうな。

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