見出し画像

カサンドラ症候群に気づくまで-妹③~ジャンケンは死活問題

私は妹が嫌いだ。

そう言えるようになったのは、つい最近のことだ。言ってはいけない、気づいてはいけないことだとずっと思っていた。

でもずっと苦しかった。
ずっと離れたかった。
ずっと誰かに気づいてほしかった。


小学生の頃から姉妹喧嘩が増えた。
喧嘩の原因は些細なことだ。

バスのボタンはどっちが押すか、とか
どっちのご飯の方が多い、とか
荷物の軽い方はどっちが持つ、とか

これだけ聞けば微笑ましいよくある喧嘩だ。

でも、私はいつも喧嘩のたびに手が震えた。
大抵喧嘩の終わりは妹に暴力を振られるからだ。

ジャンケンに私が勝てば頭をぶたれる
正論を言って言い負かせば足を蹴られる
無視をすれば殴りにくる

いつも色んなところが痛かった。

たまに、それを見た母は妹に
「謝りなさい」
と言っていた。
母が出てくるとまた事がややこしくなるからあまり出てきてほしくなかったのだが、
たまに、妹は謝ってきた。

ただ

「ごめんね」と雑に言いながら睨みつけ、思いっきり蹴ってくる。

母はそれを見ても何も言わない。
余計嫌な思いをするだけだった。


犬を飼い始めた時。
散歩の日は兄妹の中で曜日で決めてあった。
最初からルールがあれば妹も一応従っていた。
ただ、犬のトイレ掃除だけは毎回ジャンケンだった。

兄妹でジャンケンをする。
兄が勝って、私と妹はあいこ。

私と妹でジャンケンをして、私が勝つ。
負けた妹はいつも小さな声で私に向かって

「しね」

と言ってきた。
毎回そうだった。
私はいつも悲しかった。

徐々に、ジャンケンをする前に
私がトイレ掃除をするようになった。


ジャンケンは心の死活問題だった。


妹と頼まれた買い物に行き
買い物袋がひとつだった時。
途中で交代する、ということができない妹とジャンケンをする。

ジャンケンに負けた妹は
荷物をその場に置いて先に帰っていく。

そのまま置いて帰っても
母に怒られるだけだから
結局私が持って帰る。

ジャンケンをする前に、嫌な役割をすることが、私の役割になった。

それが当たり前だったから
これがおかしいことだと気づかなかった。


これを見ていたはずの母も
何も言わなかった。

「アサはいい子ね、ありがとう」

そう言うだけだった。

だから私は、
自分は正しいことをしていると思っていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?