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カサンドラ症候群に気づくまで-妹②~私は妹の通訳~

妹はよく天真爛漫だと言われた。
よく笑い、よく泣いた。
そしていろんな才能があり、工作なども得意だった。

幼稚園生の頃、家族旅行に行った時に
陶器のコップに絵を書いた。

私はとくに柄も考えず、絵の具を適当に塗りたくった。
ただのカラフルなコップが完成した。

妹は、お手本もないのに
可愛らしいうさぎを描いていた。

まだ小さいのにすごいねとお店の人に言われていて、ただ塗っただけの自分の作品を見て恥ずかしくなった。

家でお絵描きをしていても
妹は時間を忘れて没頭していた。
ご飯だと呼ばれても
納得がいくところまで描かないと食べなかった。

私は何かの途中でも
母に呼ばれたらすぐ行っていた。

妹のこだわりの強さは人一倍強かった。

母はそんな妹を褒め、
この才能を伸ばさなくては

とよく言っていた。

私は物事を器用に進めるタイプで
全てをオールマイティにこなしていた。
習い事でも、先生に言われた通りにすることができた。
こだわりはなく、とりあえず言われたことを正しくこなしていた。

妹とは真逆だった。

妹からすれば、なんでも器用にこなす姉を羨ましく思っていたかもしれないが、秀でた才能を持っていた妹は何かと光を浴びることも多かった。

私はとにかく
「言われたことをきちんとやる」
ことが正しいことだと思って頑張っていた。


私はいつも妹と一緒だった。

小学生になっても何も変わらなかった。

放課後はよく友達の家に行っていた。
妹は妹で友達と遊ぶこともあったが、
いつも私についてきたがった。
私は嫌だった。
ただ友達と遊びたいのに、
妹の願いを叶えるだけの時間は本当に苦痛だったから。

「お姉ちゃんと一緒に行きたい」

そう言われて困った顔をした私を見た母は
私よりも困った顔をして

「一緒に行っちゃダメかな?」

と聞いてきた。
母の言うことには逆らえなかった。

「いいよ」

と言うしかなかった。
母はいつも妹の味方だった。
私は放課後、妹が帰るより前に家に帰り
先に出かけるようにした。

習い事も一緒に行っていた。
妹は先生の言っていることを理解することがなかなかできず、私はいつも妹にわかりやすく説明し直していた。
よく「お姉ちゃんは妹ちゃんの通訳だね」
と言われた。

妹は他人にはとても人見知りをするので
自分の言いたいことは全部私に言わせた。
妹の代わりにお願いしたり、謝ったりしたことは今までに何度あるだろうか。
大人になった今でもよくあることだ。

小さい頃から
私はずっとお姉ちゃんだった。

妹から離れたくて仕方がなかった。

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