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【ネタバレ感想・批評】『ぼくらの』




※注意事項※

本記事は、筆者が当該アニメを視聴した際に抱いた感想を綴ったものです。批評としての体裁を保つべく、可能な限り客観的・論理的な記述を心掛けてはいますが、あくまで個人の主張に過ぎず、その他の意見を否定する意図はございません。内容に触れない批評は説得力がないため、全編ネタバレありです。未見の方はご注意ください。なお、筆者はアニメを鑑賞する上でストーリー・シナリオを最も重視しており、作画・音楽・声優等には余程のことがない限り言及しません。ご了承ください。

記事に対する感想・疑問・指摘等あれば、お気軽にコメントしていただけると幸いです。

作品概要

タイトル:『ぼくらの』
放送開始:2007年春
話数:全24話
原作:鬼頭莫宏の同名漫画
監督:森田宏幸
副監督:川畑えるきん
アニメーション制作:GONZO

※参考



まえおき

様々な原作改変で叩かれた作品。筆者は原作を知らないので、いつも通りアニメ版単体での評価とする。

基本設定

夏休み、「御友島(みともじま)」なる神奈川沖の島で自然学校に参加した15人の少年少女。彼らは「ココペリ」と名乗る謎の男に出会い、彼の作った「ゲーム」に参加するとの契約を交わす。ゲームの内容は巨大ロボットに乗り、地球を襲う15体の敵ロボットを撃破するというもので、負けるか48時間以内に決着がつかなければ地球が消滅する。またロボットは人間の生命力を原動力にしており、操縦者は戦闘後に必ず死ぬ。上記ルールの下、15人の子供達が死の恐怖に覚えながら、地球存亡を懸けて敵と戦うというのが本作の基本構造となっている。

巨大ロボット「ジアース(命名は子供達による。正式名称があるかは不明)」の性質として、下記のことが挙げられる。
・全高500メートル程度
・操縦者が念じることで動く
・普段は人目につかぬよう隠されており、敵の出現に合わせて姿を現す
・敵が出現すると契約者は全員コックピットへ転送され、戦闘終了後に送り返される
・契約者以外でも管理者の気分次第でコックピットへ呼ぶことが可能
・外からコックピットへの衝撃は減衰して伝えられる
・モニターのような装置はなく、コックピットの内壁には操縦者が見たい場所の風景が自動的に投影される

また敵ロボットには再生能力があり、体内のどこかにある球状の「急所」を破壊するまで勝利にならない。直接語られてはいないが、ジアースの方も再生能力を有しているのは描写的に明らか。

各話解説

1話。「ココペリ」編?
15人の子供達は「ココペリ」と名乗る男に、巨大ロボットを操る「ゲーム」へと勧誘される。子供達は1人を除いて同意し、彼と「契約」を交わす。すると島に人型の巨大ロボット「ジアース」が出現。次いで蜘蛛のような巨大ロボが出現し、15人はジアースのコックピットへ転送される。コックピットではココペリが待ち構えており、これから次々敵が現れること、最初の一体(蜘蛛)は自分が倒すことを告げる。彼は戦闘の流れに沿ってジアースや敵の特性を解説し、敵を撃破するとジアースとともに消える。

2話。「ワク」編。
このまま「ゲーム」を続けるべきか悩む子供達。そこへ、自我を持ち空中を浮遊するぬいぐるみのような生き物(?)が現れる。彼は自らを「コエムシ」と名乗り、契約後の辞退はできないと宣言。その後ワクという少年が最初のパイロットに選ばれ、ほどなくして第2の敵が出現。慣れないながらも果敢に戦い敵を撃破、しかし直後、彼はジアースの頭部から不可解な転落死を遂げる。

3話。
翌日。ジアースと敵ロボットは「巨大怪獣」としてニュースで報道され、目撃者である子供達は警察に事情聴取を受ける。うち1人は国会議員(原作では海軍軍人)の娘で、自分達がジアースに乗っていたことを父と警察に話すが、にわかには信じてもらえない。警察から情報を得た政府は、15人の中でただ一人命を落としたワクの死体に注目。監察医のもとを訪ねると、転落による骨折等は死後のものであり、死因を示唆するような身体的痕跡はどこにも見当たらなかったという奇妙な事実が発覚する。

4話。「コダマ」編。
コダマという少年が次のパイロットに選ばれる。彼は大手デベロッパーの息子で、「命には二通りある」「死んでいく命と、選ばれて生き残っていく命だ」などと考える選民思想の持ち主。町に被害が出ても「そいつの運命」と冷徹な態度を崩さないが、戦闘のゴタゴタにより、「選ばれた人間」であるはずの父親が乗る車を、自らの手で押し潰してしまう。その後戦闘には勝利するものの、絶対的な勝者と信じていた父親がモブのようにあっさり死亡したことに絶望し、悲壮な表情のまま息を引き取る。同時にコエムシが、「人の生命力で動く」「戦いの後必ず死ぬ」というルールを全員にバラし、物語が本格的にスタートする。

5話。
前回のシーンに続けて、「負けるか48時間以内に決着がつかなければ地球が消滅する」というルールを付け加えるコエムシ。突如明かされた真実に子供達は混乱し、互いに八つ当たりを始める。
ジアースと15人に何らかのかかわりがあると見た政府は、国防軍(≠自衛隊)を通じて彼らと接触。そこへコエムシが現れ、交渉の結果彼は、軍にジアースを調査する許可を出す。しかし地球の科学的アプローチでは正体をまるで解明できず、そうこうしているうちにカコという少年が次のパイロットに選ばれる。

6話。「カコ」編?
敵が襲来し、無人となった水族館で一人頭を抱えるカコ少年。彼は同じ学校のチズという少女に好意を寄せており、死ぬ前にせめてチズへの想いを遂げようとするが、階段から突き落とされそのまま絶命する。
一方の国防軍はジアースに先んじて敵と交戦するも、圧倒的な力量差を悟りただちに攻撃を中止する。

7~8話。「チズ」編。
カコが死んだことによりパイロットの再抽選が行われ、チズがパイロットに選出される。「カコ君が死んだのは私のせい」「私が代わりにあいつを倒して罪を償う」と運命を受け入れる彼女。しかしなぜか敵とは明後日の方向へジアースを進め、自身が通う学校へ到着。ある男性教師をジアースで執拗に痛めつける。実は彼女と男性教師は肉体関係にあったのだが、教師の方は遊びとしか思っていなかったらしく、チズとの盗撮写真をネットに流出させた上、彼女の姉とまで関係を持っていた。チズがジアースの力で教師に復讐を遂げようとしたところ、都合よく姉が彼を助けにやってくる。彼らに対し非情になりきれず、復讐を断念して敵と向き合うチズ。「私が嫌ってきたもの、憎んでいたもの、私の中にもあった」「みんな同じなんだ」と人間の狡さや弱さを認め、満足げな表情で死んでゆく。

6話と併せて極限状態での人間の醜さを描いたパートと言えるだろう。誰しも欲や恨みといった業にとりつかれるのは避けられない、という描写としてはよくできているが、その割にチズの物分かりがよすぎるのがやや引っかかるところではある。

これで終わりと思いきや、戦闘後にモジという少年が、ジアースの顔面部分に灯る光の数が変化していると気付く。過去の戦闘データを参照した結果、戦闘のたびに光の数が減っていたことが確認され、光の数は契約者の人数を表しているとの仮説が立てられる。さらに現在の生き残りは11人なのに対し、光の数が9であることから、最初に契約を免れた1人(カナ)以外にもう一人未契約者がいる疑いが浮上し、不穏な空気が漂う。パイロットの数が足りないのではと案じるモジに対し、子供達の目付け役として配備されていた関と田中という軍人が、自ら契約を結ぶと申し出る。

9話。「ダイチ」編。
次のパイロット・ダイチ。彼の家は両親がおらず、叔父の新聞配達業を手伝うことで三人の兄弟を養っている。叔父からは同居を勧めらていれるが、「父親の帰ってくる場所を残しておきたい」という理由で断っていた。しかし自分の死期を前にして、残る兄弟に不自由をさせぬよう叔父の申し出を受ける彼。敵が出現すると叔父と長女にあとのことを頼むとだけ言い残し、戦場へ。地球の存亡などと言われても実感がわかないが、妹達の未来のためなら戦えると述懐し、敵に挑む。
無事勝利し兄弟を守り抜いた彼。ラストは彼が死の直前に兄弟と行く約束をしていた遊園地で、次男次女が「兄がいなくてつまらない」と愚痴る皮肉な光景で締められる。

これまでと打って変わり、愛する人のための自己犠牲を描いた回となっている。短い尺ながら描写は丁寧で演出も冴えわたり、作中屈指の良エピソードである。ストーリー単体で見るとありきたりなのは否定できないが。

10話。「ナカマ」編。
母が売春婦という噂のためにいじめを受け、その反動で模範的な振る舞いに拘泥する少女。売春の噂が事実だったことにショックを受けるも、そのことを知られたうえでなお人間として愛されていることを知り、「責任を取れるなら、常に模範的である必要はない」との結論に至る。とはいえ、娘がいじめられる原因を作ったのだから「責任を取れている」とは言い難いし、「ジアースの腕を切り落とす(=体を切り売り)」という唐突な描写も含めて、どうも無理矢理感が拭えない。

11話。「モジ」編。
孤児院で同い年の男子(ツバサ)・女子(ナギ)と育った少年。恋のライバルであるツバサが心臓病にかかり、偶然にもモジ自身がそのドナーに最適と発覚する。彼が発症した時「ツバサでなく、ナギでよかった」と思ってしまった彼は、パイロットに選ばれたことを「天罰」と解釈、心臓をツバサに移植するよう遺言を残し戦死する。人間ができすぎていて少し違和感があるものの、思春期の切ない恋心を描いたエピソードとしては中々の出来。

また今回の戦いで、モジが仕掛けた心理戦に敵ロボットが乗るという展開が起こり、ここにきて敵の正体がただの機械ではないことが暗示される。

12~13話。「マキ」編。
弟の出産を間近に控えた少女。いよいよ出産という段になって呼び出される。9話の遊園地と大体似たようなものであまり芸がない。

今回重要なのは戦闘パートの方で、国防軍の後ろ盾があるはずのジアースが、所属不明の戦闘機から攻撃を受ける。国防軍の関・田中にも事情がわからず混乱する中、「てめーらの地球じゃあねえ」と平然とのたまうコエムシ。曰く、宇宙は平行世界のように無数に存在し、その一つ一つに地球がある。今までの戦いは全て、別の宇宙同士の生き残りを賭けた戦いで、敵ロボットにはジアースと同じようにその地球の人間が乗っていることまで話す。目的は「膨張しすぎた宇宙を間引く」「未来の可能性の淘汰」らしい。真相を聞いてショックを受ける子供達だが、マキは家族のいる地球を優先すると宣言し、「ごめんなさい」と呟きながら敵を倒す。

正直この話を聞いたときは興醒めした。平行世界とか、人類を間引く上位存在とかの設定は使い古されていて新鮮味がないし、スケールが巨大すぎて人類側にできることがほぼないため、話に工夫の余地がなくなってしまう。実際ここから最後まで低空飛行が続く。

14話。
この辺りから、原作を知らなくてもわかるぐらいアニオリ色が強くなる。死を運命付けられた子供達が演じる人間ドラマ、というこれまでの趣旨は薄れ、ジアースのテクノロジーをめぐる政治ドラマが主体になる。

まず、ジアースには空間を介してエネルギーを伝達する機能があり、その技術を地球のエネルギー産業に転用できないかという話が財界で上がっていたらしい。政府は財界の圧力により、ジアースのテクノロジーを解明することにリソースを割かされ、街の復興や子供達の救済が疎かになっているという。14話から暫くはこの話を世間に公表するため田中が奔走するという話なのだが、正直唐突だし面白くない。公表しようがしまいが「戦闘のたびに子供が1人死ぬ。負ければ地球ごと消滅」という根本の問題は何も解決しない。たとえ公表しても世間をいたずらに混乱させるか、オカルティズムにかぶれた陰謀論と一笑に付されるのがオチだ。一応、ストーリーラインでは「認知工学研究所」なる国家機関がジアースの研究を担当しており、彼らの努力次第で契約を解除できるかもという流れになっているのだが、平行世界同士をどうこうできるような上位存在のテクノロジーを解明するなど常識的に考えて不可能だろう。仮にできたとしても、彼らからすれば「間引く」ための手段は他にいくらでもあるはずで、焼け石に水としか言えない。黒幕を強大にし過ぎたツケがここで来ている。

15~16話。「キリエ」編。
彼の母親は夫の浮気とリストラにより自殺をはかり、彼自身は「母さんを自殺に追い込むような地球のために戦いたくない」と戦闘を拒否。しかしいざ戦闘が始まると、敵ロボットは自ら急所を握り潰し自滅。キリエはジアースを動かさなかったため生命力を奪われず、パイロットの人数に一人余裕ができる。
その後彼の母親が再就職に成功し、今度は母親のために戦うと宣言、見事な操縦テクニックで勝利を収める。そういうのを日本語で結果論という。

戦闘後、彼はなぜかマチという少女が契約していないことを看破し(一応根拠は述べられるのだが、全く論理的でない)、その流れでコエムシは、マチが別の地球から来た人間で、かつ自分の妹であると明かす。

17話。「アンコ」編。
父親の浮気による家庭崩壊から、男の慰めで立ち直り戦う話。件のカンジという少年は、彼女の死に際に「支配者(命名は彼)」なる人物らの脳内イメージを見る。どうもこの「支配者」達が彼らを争わせている上位存在のようだが、どう見てもアラブの部族か何かにしか見えず、全宇宙の支配者たる威厳は欠片もない。別にシナリオ上の瑕疵ではないとはいえ、あまりに緊張感を損なうナンセンスな演出であり、かなり視聴意欲を削がれた。

18話。「コモ」編。
国会議員である彼女の父は、ジアースが子供達を乗せて平行地球と戦っていること、財界がジアースのテクノロジーをエネルギー産業に転用しようと考えていることをマスコミに公表。証拠もなしに誰が信じるのかという気もするが、これに憤った財界の連中は刺客を差し向け、彼の方も最後に娘と会えれば思い残すことはないと死を甘受。ついでに国防軍の田中も殺され、彼女の遺品が知人を通じて彼女の生き別れの息子に届けられる。

なんかやり切った感を出してはいるものの、先に述べた通り、公表したところ子供達を救うどころか世論を混乱させるだけだし、そもそも刺客まで持ち出してくるあたり、財界連中は関係者を口封じしてもみ消す気満々である。下手すれば娘もジアースに乗る間もなく抹殺の憂き目に遭うわけで、後先考えぬ犬死にというほかなく、原作プロットを知らないゆえの無軌道さを痛感する。なお、コモは父に殉じて戦い死亡。

19話は田中の過去話を息子・ウシロが聞くという回だが、本筋にほとんど関係なく、それどころかニヒリストだった彼のキャラがなぜか家族愛路線にブレ始める失態まで犯す。父親は家庭を捨てて鉄砲玉として死んだヤクザで、母親も財界の陰謀で殺されたという話を聞いてなぜ人道主義に目覚めるのか理解不能。

20話。
マチが自身の来歴を語る。彼女と兄(コエムシ)は別の地球でゲームに巻き込まれたが、マチは契約しておらず、兄もゲームの運営側に回ることで生き残り、宇宙を転々として現在の地球にやってきた。曰く、15戦目まで選ばれなかった最後の契約者は助命され、次の地球で「引き継ぎ戦」と呼ばれるチュートリアルを担当するのが習わしであり、この地球ではココペリがそれに当たる、とのこと。

21話。「カンジ」編。
出現した敵はなぜか急所を潰されても立ち上がり、続いて町の電気が次々と消えていく。マチ・コエムシ曰く、それぞれの地球の科学者がジアースのプログラムの再現に成功すると、プログラムを介してその地球のエネルギーが「支配者」に吸い上げられるようになり、かつプログラムはアンインストールできないらしい。だとしても既に敗北を喫したロボットにエネルギーを流入させるメリットが支配者側にないので、やっぱりよくわからない展開である。大体ジアースは地球の科学では手も足も出ないという設定だったのに、いつの間にプログラムを再現なんて話になってるのか。再現できるならアンストもできろよ。そもそも支配者達の目的は未来の可能性を淘汰して宇宙全体のレベルを向上させることのはずが、競争を勝ち抜いた宇宙からエネルギーを搾取するなどやってることが矛盾してる。もうこの辺りになると、真面目にSFをやる気はないんだなと分かり悲しくなる。

結局、敵は街のエネルギーを吸い尽くしエネルギー切れで死んだ。

22~23話。「マチ」編?
最後の少年、ウシロはコエムシから引き継ぎ役を持ちかけられるが、田中が死んで足りなくなった分を妹カナに肩代わりさせようと言われ、妹を守るべくマチと共謀してコエムシを銃殺。銃殺? あんな生物かどうかも怪しい奴をよく銃なんかで殺そうと思ったな。コエムシが死んだことでジアースの管理権が契約者に移り(ご都合主義)、マチは自らをパイロットに選出。再現プログラムを建物ごと粉砕し、これまでの贖罪のため奮戦。ウシロに後を託す。

24話。「ウシロ」編。
30時間に及ぶ死闘の末、最後の敵を撃破。無事地球は救われた。支配者にエネルギー供給する件拒否しちゃったけど制裁とかないのかな。

キャラクター

キャラが立っている。15人それぞれが異なる背景とそれに基づく思考回路を持ち、自らの信条に照らして「ゲーム」に参加する意義を考え抜く。このパートこそが本作最大の売りと言ってもよく、ここの心理描写がきっちりできている時点で、テンプレ萌えキャラのリサイクルで小遣い稼ぎしてるだけの現代アニメとは比較にならない。どのキャラも中学一年にしては賢すぎるが、設定のシリアスさを考えると致し方ないだろう。見てくれだけ大人で中身は幼稚園児みたいなキャラしか出ないアニメより全然いい。

大人も賢い。6話の首相は手持ちの兵器が効かないとわかるやすぐさま攻撃を中止し、住民の避難を優先する方針に切り替えるよう指示、さらに町をロボットで破壊した子供達が世間から非難されないよう手を回すなど、配慮が行き届いた人物として描かれている。国防軍の佐々見も目の前の超常現象に動じず、なんとか科学技術でジアースの正体を解明できないか探ろうとする柔軟さを持ち合わせている。また、パイロットが足りないとわかるや否や自ら契約を志願する関は軍人の鑑であり、非常に好感が持てる。この手のアニメでは、子供の活躍を描きやすいよう大人はわざと無能にするというのが常套手段なのだが、そういう安易な手法に頼らないところは高く評価したい。

SF的長所

・導入
地球外の存在に言葉巧みに誘導されてゲームに参加してしまうという導入が非常に巧妙で、ロボアニメにありがちな「巨大ロボを未経験の子供が操縦する」という不合理な状況にうまく説明を付けている。

・ジアースの機能
「操縦者の見たい景色が映し出される」という設定が上手い。戦闘面での利便性はもちろんのこと、逆に戦闘中でもあえて戦場以外の景色を映すことで、今現在操縦者にとってそれほど見たい大事な光景なのだということが一目でわかり、キャラの内面を掘り下げるのにも大いに役立っている。

・メカデザイン
これは好みの問題だが、主として節足動物をモチーフにした敵ロボットのデザインが、程よいスタイリッシュさと生理的嫌悪感を両立していてとても気に入っている。人型にこだわる必要などどこにもないのだ。

また、ジアースが大した理由もなく勝ち続けるのをご都合主義と批判するのは誤りで、そもそも無敗の陣営が出てくるのは勝ち抜け形式の必然である。本作はたまたまその陣営に焦点を当てたに過ぎず、例えばもしキリエ戦で相手が自滅しなければ、相手方が物語の主人公になっていた可能性も十分にある。

演出

デスゲーム的な盛り上げ方が巧みで、初めは未知のゲームに心躍らせる主人公然とした少年を描き、その彼をあっさり死なせてインパクトを演出。合間に彼の葬儀シーンを挿入して現実感を強調しつつ、次のパイロットが死ぬタイミングで一気に真相を明かすことで、操縦のたびに人が死ぬという非科学話にも十分な信憑性を担保する……と、デスゲーム物のお手本のような手際のよさが光る。デスゲームと異なるのは生き残る方法があることを終盤まで隠している点で、「必ず死ぬ」を強調することにより、逆に秩序が保たれた空間を作り上げている。コエムシの底抜けに明るいが残忍なキャラクターも相まって、登場人物も視聴者も常に緊張感が絶えず、つい画面から目が離せなくなる。

また、椅子が回転する演出アイディアが見事。これも登場人物・視聴者の不安を駆り立てるのに一役買うし、終盤、主を失った椅子達が寂寥感を醸し出す効果も素晴らしい。

ミステリ的な手法にも優れ、小突いただけで転落死、死体に傷一つない、顔の光が減っている、心理戦に乗ってくるなど、自然な形でヒントが提示され謎が解けていく過程は秀逸……だったのだが、肝心の真相が中学二年の妄想みたいでいただけない。

各種問題点

ここまで褒めちぎってきたが、欠点も多い。いずれも後半特有のもの。

・黒幕
「支配者」が強大過ぎて勝負にならないため、スケールを増やしたせいでかえって盛り上がりに欠けるというありがちなパターンに嵌っている。どうしても勝たせようとすると物語のキャラクターが作者に歯向かうかのごとき薄ら寒い展開にするしかなく、流石にそこまではやらなかったものの、結局エネルギーを吸い上げられる話は有耶無耶になり、出した意義が不明となっている。

・コンセプト崩壊
悲劇の子供達による人間ドラマが見たいのであって、安い政治ドラマに興味はない。田中の話に尺を取られて子供達のエピソードがなおざりになり、見たい景色を映す機能も途中からほとんど使われなくなるなど、前半が良かっただけに後半の残念っぷりが際立つ。

・大人の無能化
田中がいわゆる有能風無能と化し、マスコミや認知工学研究所を引っ掻き回した挙句、特に成果も残さず退場する。6話では有能だった政府首脳も、物分かりの悪い財界のドンみたいな奴が出てきたせいで置物になり下がった。悪役が無能のアニメは盛り上がらない。
あとカンジの母親が建築関係から急に研究職に差し替えられるのも、シナリオ上大した差異にならないとはいえ、制作の無計画さが露呈しているようで冷める。

・ヤクザ
唐突の一言。保もキャラクターはいいのだがストーリー上必要性がまるでなく、存在が宙に浮いている。

・結末
厳しいことをいうと丸投げエンドであり、中盤で掲げた「生きるために殺すことの是非」という有史以来の難問に答えを出せたとは思えない。ここさえ何とかなれば逆転もあり得たのだが、流石に無理があったか。

まとめ

評価が難しい。長所は沢山あるものの、後半の迷走ぶりが帳消しにしている。前半11話までは非人道的な見た目に反し、王道・正統派なドラマ作りが意識されており、丁寧な心理描写と巧みなサスペンス演出を兼ね備えた良質の鬱アニメとなっている。後半は打って変わってグダグダの政治劇、存在意義不明のヤクザ、放り出されるSF設定とまるで別のアニメを見てるかのよう。一個の作品とみなしていいのか悩むレベルだが、総合評価は間を取って普通ぐらいにしておくか。

結論

どうしてこうなった。




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