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弱い者がつよい時代に。

Metoo運動。はっきりいって釈然としません。

もちろん、今まで「力」によって抑えられてきて、同意のない性行為を強いられた人たちは、本当に辛く、心が引き裂かれる思いをしてきたと思います。「力」を乱用した権力者は、ここでしっかりと糾弾されるべきと思います。

しかしながら、それが「被害」にあたるかどうかは、当人にしか分からないものです。たとえ夫婦関係にあったとしても、相手の同意のない性行為はレイプと見なされることもあるようです。性交渉というのは、それだけ曖昧な同意や、空気感の中で行われるものであり、実証が難しいこと。

でも今回の事件は、それが女性側に断れない空気を、後輩芸人たちが意図的につくったこと、そして松ちゃんもそれを容認していたことが、糾弾される焦点になっている。つまり、「力」によって女性の権利を蔑ろにしたかどうか、この一点なのだ。

そして、そもそも松ちゃんの女性観というものに、歪んだものがあったとしたら、それはそれで質さなくてはいけないし、それが芸能界、お笑いの世界、吉本興業といった世界全体に蔓延しているかどうかも論点なのである。

ただ、やっぱり釈然としないのは、これを「メディア」が、裁く事なのかとうことだ。色々な議論がでることは良いけれど、これによって世論が形成され、祭り上げられた人間は、その時の「イメージ」によって、社会的に抹殺されてしまう。

当然、僕も含めて、メディアが報じなければこの問題は知り得なかっただろうし、「私も被害者である」と強権者に対して発するのは、大変な勇気がいるのだから、綿密な証拠集めや、詳細な描写が必要なんだろうけど。だから週刊誌という存在は、「必要悪」なのかもしれないけど。


でも本来は、当事者同士で、解決する問題だし。今回の一連の騒動を経て、最終的には、こうやって週刊誌が「力」を持ちすぎることを抑制できたらいいのに、と思う。LINE画像や、音声とか簡単に記録に残る時代。人の裏側を暴く事を正義感ぶってやりすぎるのもどうかと思う。

ずーっと釈然としないんですよね。松ちゃんを取り巻く問題については、もう個人的には、松ちゃんのファンとして見守るしかないし、いつか必ず、ガキ使のフリートークで楽しませてもらいたいとしか思えないんだけど。

この「文春砲」とかいう、たぶんちょっと調子に乗っているメディア野郎に、芸能人が怯えたり、過去の問題を便乗して取り上げて、気分を悪くしたりするのは、本当に望んだ事なんだろうか。

これこそが新しい権力の暴走だとしたら? 

ちょっと、まだ今の我々には、この新しい「道具」を使いこなせていないようです。本来、こんなときこそ、松ちゃんの一言が聞きたいのに。笑ってはいけないのって、本当に笑えないと、ただ辛いだけですね。。

この状況の全てを何とかしてくれ、と。ただ休業というのではなくて、何かしてくれないかなー、と思っている人もたくさんいると思います。
でもまた次の木曜日、この週刊誌は、まだ何か出すんでしょうか。年始から困った感じですね。正月気分が抜けきれないのは、しばらくこの問題のせいにさせてもらうとします。

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