劇場版名探偵コナン『黒鉄の魚影』ネタバレ有り評価!!

 私は名探偵コナンの熱心なファンという訳ではなくコミックスは60巻までしか持っていないし、ここ5年ほどの映画はほぼ追っていない(昨年の『ハロウィンの花嫁』は観たが、まあ酷かった)。しかし今回はプロモーションに並々ならぬ気合を感じたし、なかなか立ち位置が難しいキャラクターである灰原をメインに据えた悪くない作品であるとの評価を見たので、昨年に続き劇場で観ることにした。この記事を書くために2回観たが、どちらの回も劇場はほぼ満員でコナン人気の高さを感じた。
 スクリーンで映画鑑賞をした後の楽しみとして“他人の感想を盗み聴きする”ことがあるが、今回もなかなか面白い感想が呟かれていた。高校生や大学生程度とみられる人達は大いに楽しんだ様子ながらも、「あの設定は無理矢理だった」とか「原作の物語展開に差し支えかねないからこその微妙な脚本」についての疑問もちらほら聴かれた。他にもエンディング直前に灰原が蘭にとった“ある”行動には、2回目の鑑賞時には若干失笑が漏れていたのが興味深かった。
 私としては昨年よりはるかにマシで、各々のキャラクターの見せ場もありそれなりに楽しんだのだが、やはり脚本やミステリー部分の難などをそれなりに指摘せねばならない。ということで評価は10点満点中6点ということにしておこう。

10点満点中6点!コナン映画としては綺麗にまとまっておりそれなりに楽しめるが・・・

 まずは無駄なギャグシーンが無かった点について、良かったというよりほっとした。元々シリアス一辺倒の作品ではないのでギャグを混ぜることについては問題ないが、例えば『瞳の中の暗殺者』でみられたような灰原とコナンによる大人のジョークとでもいおうか、そういう乾いた笑いが初期作品にはあった。だが少なくとも前作ではギャグはいちいちスベっており、そのせいで緊張感もコミカル具合も中途半端なまま印象は希薄、という最悪の事態に陥っていた。今回はそんなシーンは皆無で、緊張感ある場面はシリアスに、ラブコメはラブコメに徹する(?)という切り替えの上手さを感じた。
 先程各々のキャラクターに見せ場があると述べたが、意図的に“お荷物”役にされるキャラがいないのも、良かった。ほぼ全ての常連キャラが無理なく物語の進行に関与しており、安心して観られた。が、少年探偵団と安室の扱いについては相変わらず不満がある。まず少年探偵団に関してだが、確かに“お荷物”役を押し付けられてはいないものの、やはり上手く扱いきれていない。端的に云うと、いてもいなくてもどっちでもいいのだ。歴代劇場版作品中、最も少年探偵団の扱いが上手かった作品は文句なく『天国へのカウントダウン』であろう。これも黒の組織が絡む作品だが、設定上少年探偵団は組織の存在を知ってはならないという作話における制約がある。にも関わらず、本作では彼ら3人のキャラクターを生かしてコナン,灰原と達者に絡ませていた。だが今回は“制約”を受けて彼らは序盤で園子と共にさっさと退場してしまう。蘭に関してはがっつり黒の組織のメンバーとの戦闘シーンがあるのだから、少年探偵団をもっと物語に絡ませる方法があったはずだ(最も、蘭は組織と完全に無関係という設定ではないが)。
 また、安室に関しても登場の必然性はあったのか。直美の拉致にベルモットと共に関与した後潜水艦を出、コナンをサポートするという立ち回りだが、一度顔を見られた相手を組織が生きて返す訳はなく、拉致を実行した後に白々しく灰原・直美救出のサポートをするというのはどういうことか。結局、赤井秀一とコードネームで呼び合うというシーンを作りたいがためのキャラとしか思えなかった。
 メインの灰原に関してだが、これについてはファンは一応納得できるキャラ造形だったのではなかろうか。APTXIN4869を開発した張本人であり、薬の偶発的作用で幼児化したという点ではコナン(=工藤新一)と同志であり、コナンのブレーキ役(保護者的な面)として振る舞うこともある彼女。さらに名探偵コナンという作品の裏テーマである“ラブコメ”的には蘭を巡る関係に複雑な感情を持っているとかいないとか。この3点は脚本に巧みに生かされていた。コミックスの過去のエピソードや映画の過去作(例:『14番目の標的』)へのオマージュなどの山場で灰原をメインに据える試みは成功しているし、彼女の最近の“ポジティブな変化”も台詞で表現されている。終盤近くの行動には原作者・青山剛昌の嗜好が露骨に表れていてやりすぎ感も否めないが、楽しく見ることは出来る。Spotifyなどのストリーミングサービスに挙がっている灰原役・林原めぐみ氏による本作の制作秘話を聴けば、灰原に関してまた別の感想を抱くかもしれない。聴くことをお薦めする。
 主役・江戸川コナンについても相変わらずの無鉄砲ぶり・危なっかしさがきちんと描かれており(黒の組織のメンバーに自ら啖呵を切っておきながら反撃される、博士の推進器を持たずに潜水艦に近づく、など)、キャラとしてブレがない。
※『絶海の探偵』では人前で泣き出すという愚行に出た。この作品は設定のスケールと脚本が著しくミスマッチで私は“駄作”だと思う。思えばこれも櫻井武晴脚本だったが、『黒鉄の~』との違いはどうしたことだろう。
 総じて今回はキャラごとの見せ場が一応あり、言動も原作の設定と矛盾せず、見苦しいギャグもない、ストレスなく観られる脚本だったと思う。

設定・謎には雑さ強引さが散見。リアリティーは“ない”

 コナン映画としては楽しめる出来であったことは述べてきたが、残念ながら物語の根本を揺るがす設定のおかしさは二重にも三重にもある。こういうのは例えば小学生や中学生相手にはある程度の強引さも通用するだろうが、観客が大人になるにつれ細かな齟齬・謎の雑さに目が瞑れなくなってくるだろう。
 まず舞台となるインターポールの洋上施設「パシフィック・ブイ」だが、世界中の監視カメラの映像をここに集中させ管理する施設という設定である。が、こうした警察組織による施設はセキュリティー上の理由や社会的な反発を恐れてある程度秘密裏に計画・建設されるものではないだろうか。このような施設を堂々と子供にまで公開しテレビニュースでも報道するという描写が果たして成立するか。
 また、問題の「老若認証システム」の設定にもかなり無理がある。開発者である直美はじめパシフィック・ブイ関係者は皆「凄いシステムです」としか説明しないが、別に黒の組織云々ではなく、何にでも悪用されかねない危険なシステムであることは容易に想像がつく。開発者はこれを「大人になった宮野志保(=灰原)と会いたい」との個人的理由のもとで開発したそうだが、そうした範囲でのシステムの使用ならともかく、それを警備システムに適用することに対して何の抵抗も覚えなかったのだろうか。だとしたら、研究者として問題があると云わざるを得ない。
 また本作のミステリー要素についても疑問を呈したい。エンジニアの一人・グレイスが実は黒の組織のメンバー・ピンガの変装であったことが明らかになるが、では本物のグレイスは一体何処にいるのか。いつから成り代わったのか。その辺には全く触れられないため、もやもやが残る。
 これは『純黒の悪夢』でもみられた物語展開の問題点だが、黒の組織があまりに公衆の面前に顔を出しすぎている。『純黒の~』では遊園地の大勢の客や目暮警部ら警視庁の目の前で堂々とオスプレイから爆撃を行っていたが、本作ではさらにスケールを肥大させ、世界中を巻き込んで暗殺を企てたりパシフィック・ブイに魚雷を打ち込んだり、エンジニアを拉致したり、たりたい放題である。日本警察としてもこれだけの大事件が毎年のように起こる現状を不審がり何らかの捜査に乗り出すはずであるが、一向に組織の存在に近付くことはない。警察のこうした描写には目を瞑るとしても、最早黒の組織は“秘密裏に”活動しているとは云えない(堂々と上下黒に揃えて電車に乗っていることにも驚いたが)。今回はヘリや潜水艦で日本の海を相当荒らし回ったのだから必ず事後調査なり何なりが行われるはずだが、どうなったのだろう。
 もっというと、いくらハッピーエンドに落とし込みたかったとはいえ、直美の父親の暗殺に失敗していたというオチには無理がある・・・。
 これだけの引っ掛かりがありつつも『絶海の~』のように致命的なイメージダウンに繋がらなかったのは、設定が全て「灰原のピンチを意図的に作り出すため」に考案されたものだからだろう。だから不自然にスケールを拡大する必要がなかったし、自衛隊などの実在する日本の胡散臭い組織を登場させる必要もなかったのだろう。「登場人物を動かすために強引な設定を作りすぎ」との声もあるようだが、その辺は流石にファンタジーだと割り切って観ているし結果として緊張感も生まれたので、劇場版作品の演出としては“アリ”と考える。

良くも悪くもファン向けの作品

 本作は過去の名場面へのセルフオマージュに溢れている。例えば人工呼吸のくだりなど典型的だし、コナンが自身の眼鏡を灰原に手渡すシーン、灰原が過去のコナンを回想するシーン、「キミがいれば」が流れると共にピンガがかつての“松田陣平”に酷似した死に方をするシーン(なかなかニクい)等が挙がる。また、安室と赤井が携帯電話越しにコードネームで呼び合うシーン(先程も触れた)なども、ファンには堪らないだろう。現在も連載中のコミックス原作映画であるしシリーズものでもあるのでファン向けであるのは構わないが、やはりそういったオマージュ無しに名作となり得た『迷宮の十字路』や『世紀末の魔術師』は凄いなあ、という感想が出てきてしまうのだ。これらの作品に共通する適度に抑制されたアクションや振る舞い、あくまで“謎解き”を中心に置く展開などは、少なくとも静野孔文以降のコナン映画が決して備え得ぬものである。
 が、だからといって本作を“駄作”としたい訳ではない。きちんと作られていることは確かだし、キャラクターに愛がある点で静野孔文作品とは大違い、メリハリもあり、エンタメ作品として充分楽しめる出来に仕上がっている。灰原に思い入れがある人は勿論のことそうでない人も、コナンに興味があるなら劇場に観に行って損はない作品だろう。どうかこのまま見失わずに続いてほしいものだが・・・・。

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